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「貧乏人は麦を食え」に怒らなくなった国民 ご飯のかさ増し食材が人気

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後に所得倍増で知られるようになる池田勇人の有名な失言に「貧乏人は麦を食え」がある。現在も同じ様な状況が起きているが現在ではもう誰も怒らなくなった。ダイエット食材として「かさ増し飯」が市民権を得ていることもあり国民は進んでコメにムギなどの食材を混ぜて食べている。一方で政府に米価対策を求める消費者はいない。生活と政治は完全に別物なのだ。

ではこれは良いことなのか・悪いことなのかということになる。心情主義に陥った政治は結果的に国民生活を縮小させている可能性がある。

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当ブログではまず「国民は経済成長を求めているのか」という問いを立てた。伸び切ったゴムのように頑張っている人々は「これ以上頑張れない」「勘弁してくれ」と思っているのではないかと感じたからだ。だが国民は自民党総裁選の「経済成長プラン」に怒っていない。

ヒントになったのは高市早苗氏だった。高市氏は「日本はすごい国なんだからもう一度世界のてっぺんに立てる」と宣言した。だが具体的な成長プランはない。せいぜい省庁再編などが提唱されている程度である。

ここから「心情」が先にあり「心情に合わせると事実はこうなるはずだ」という見込みがあると置くと理解しやすいと気がついた。

自民党の総裁選挙の議論には「心情」が先にあり事実が心情に合わせて曲げられると言う特徴がある。そして心情主義依存度が強い人のほうが人気が高い。もちろん科学的思考が身についた人たちはこれに大きな違和感を覚えているようだ。Xでもこうした心情主義に対する批判がある。

心情主義は高市早苗氏だけの特徴ではない。「岸田政権の政策はうまく行っているはずだからそのうち所得は倍増するはず」と言っている加藤勝信氏やアベノミクスは大きな間違いだったが地方に権限を渡せば日本は輝くはずと言っている石破茂氏などがいる。

今回の自民党総裁選の迷走の背景にあるのは「今はデフレなのかインフレなのか」という現状認識の混乱だ。

岸田総理のプランに肯定的心情を持っている人はデフレ脱却期にあると主張し、アベノミクスと岸田総理のプランに否定的な人は「今はデフレ脱却が最優先課題だ」という。石破氏は「アベノミクスを否定し地方に権限を移すべき」といい高市氏は「アベノミクスを続けるべき」と言っている。高市氏によれば安倍晋三氏が間違えることは決してなく安倍総理の推進してきた政策は未来永劫正しいということになっている。「足元の変化」については考慮しない。

ただ、心情主義には誰も傷つけないというメリットがある。意外と良いことなのではないかと思える。

しかしその優しさにはやはり弊害がある。

「デフレからコストプッシュ型のインフレに移りつつあるのだろう」とか「インフレの恩恵を受けることができるセクターとそうでないセクターに分かれているのだろう」と現状を分析することはできる。だがそもそも心情主義に陥り、ファクトベース・エビデンスベースで会話ができなくなった人々には全く伝わらないだろう。

そこで別のニュースが気になった。

TBSのNスタで「かさ増しご飯」特集をやっていた。サツマイモ、トウモロコシ、モチムギなどの雑穀飯は戦中・戦後には窮乏食の代表格だった。このため高齢者は混ぜ込み飯を嫌う傾向にある。

だが、ダイエットブームでモチムギご飯などが受け入れられていることもあり抵抗感は薄れているようだ。

また韓国でもコメ不足を雑穀飯で補っていた歴史がある。韓国ではお母さんの味・家庭の味として受け入れられている。ダイコン飯(ム・パプ)、トウモロコシ飯(オクスス・パプ)、サツマイモ飯(コグマ。パプ)、ムギ飯(ポリ・パプ)等がある。これが日本にも伝わりトレンドになっている。

池田勇人氏は大蔵大臣時代には失言が多かった。米価高騰を受けた国会審議での発言が新聞で「貧乏人は麦を食えということか」と報道され大いに反発されていた逸話が残っている。この頃の日本人は政府の政策と生活が一体であると感じていたのだろう。「経済原則に従えばみんながコメを食えるわけではないのは自明のことだ」という発言が反発された。

池田勇人蔵相は、緊縮財政下の不況の上、米価が高騰していた1950年12月7日、参議院予算委員会で「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」と答弁した。これが「貧乏人は麦を食え」と伝えられ、国民の反発を買った。

時事通信

ところが現在では「政治と生活は別」であると考えられており、国民は進んで(必要にかられていると言う側面はあるだろうが)かさ増しご飯を検索している。

コムギの価格が値上がりし相対的にコメが割安になった。しかし農林水産省の厳しい減反政策のためコメの流通総量は変わらない。地震による備蓄需要想起なども重なりテレビが「スーパーにコメがない」と報道し始めたこともありコメが本当に店舗から消えてしまった。

2022年末には「農家は三重苦で離農せざるを得ない」という報道が出ていたが価格転嫁は進んでいなかった。マスコミがコメ不足を煽ったことでコメの価格転嫁が進んでいる。新米は3割から9割(つまり倍近く)に値上がりしているそうである。これは良いことのように思えるのだが、実際には「コメがなければかさ増しして食べればいいじゃないか」というような風潮が高まっている。

スーパーなどの店頭に出回り始めた2024年の新米価格が、店舗によっては昨年に比べて3~9割高と高騰していることが10日、共同通信の取材で分かった。23年産米から切り替わるタイミングで、コメの需給が逼迫していることが要因。今後は主産地から出荷が本格化し、品薄は解消する見通しだが、新米価格は昨年より割高となる公算が大きい。

新米の店頭価格高騰、出荷本格化 9割高も、品薄は解消の見通し(共同通信)

つまり政治が問題を調整しなくなったことでそれぞれが自己防衛に走り全体的に市場が縮小するということが起きている。いわゆる「部分最適・全体縮小」の状態に陥っているのである。

政治調整がないなか「コストプッシュ型インフレ(スタグフレーション)」が起きると需要が縮小するということがわかる。おそらくこれが「デフレマインド」の正体だろう。やはり政治の生産物だったということになる。

政治が心情主義に陥りファクトを重要視しなくなったことで国民は政治そのものを信用しなくなり市場の縮小が始まったと図式化することができる。ここから類推すると地方の衰退も人口減少でも同じ問題が起きているのではないかと仮説することができる。

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