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保守の期待を集め、高市早苗氏が総裁選出馬会見 

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高市早苗氏が総裁選に出馬会見を行った。この会見の様子をあとから記事で見てこの人がなぜ国民に人気があるのかがよくわかった。心情主義で中身がない。

高市さんは「サナエあれば憂いなし」というおそらく関西ではキャッチーなコピーを引き下げて登場した。そのうえで「日本は素晴らしい国なのだからこれからも経済成長できる」と断言していた。だがNHKの記事の内容を見る限り具体的な政策はなにもない。だがおそらくこれが高市氏が保守の人気を集める理由なのだろうと思った。

逆に具体的な提案をしてはいけないのだ。

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日本の「保守」は心情的に「日本は素晴らしい国」と思いたい。もちろん一番素晴らしい国はアメリカ合衆国であり日本は二番目くらいという「奥ゆかしさ」も持っている。「素晴らしい日本は経済成長しないわけはない」のだから特に経済成長を促すような仕組みづくりを具体的に考える必要はない。さらに仮にその目標が達成できなかったとしてもそれは何らかの別の理由(例えばリベラルなど)のせいであって自分たちの問題ではない。

さらに経済政策も立場が決まっている。安倍総理はもともと積極的に財政出動をして経済を上向かせるという「財政出動派」だった。日本では上げ潮派と呼ばれる。だがこの「上げ潮派」が何だったのかについては定説がない。国民負担を下げるために結果的に政府の財政出動を増やすという政策になっているが細かい提案を見ると矛盾に満ちている。

金融市場は次の総理大臣が「財政出動派」なのか「バランス派」なのかを気にしている。円相場や株価に影響を与えるからである。このためロイターは次のように書いている。将来的な消費税減税に含みをもたせたという記事もあったがおそらく具体的なプランはないんだろうと思う。

会見では、雇用と所得を増やし、消費マインドを改善させるための「戦略的な財政出動」の必要性も訴えた。物価環境を巡り「エネルギーや食料を除いてコアコアでみると、まだ弱い。外的要因によって押し上げられている(状況では)、安定的な物価目標を達成できているとは言えない」との認識も示した。

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このように高市さんの記者会見には「日本はスゴイ国なんだから世界でアメリカの次ぐらいの経済力があっても当然なはず」という心情的な見込みがすべての起点になっている。この心情にあわせてすべての事実が破綻しないようにするのが「保守政治家の役割」ということになるだろう。

この「心情ファースト」は国民に人気が高い自民党候補に共通する属性だと気がついた。

小泉進次郎氏は基本的に岸田政権の経済政策を踏襲する姿勢のため目新しい経済政策がほとんどない。代わりに「選択肢を増やしそれぞれの生きかたを信条的に肯定する」という姿勢だ。とはいえ夫婦別姓を完全に肯定するためにリーダーシップを取るわけではなく「党議拘束を外す」と言っている。

石破茂氏にも具体的な経済政策はない。経済成長を地方とリンクさせ「地方創生」をみんなで話し合えば自ずと良い知恵が出てくるだろうという打ち出しになっている。これまで無視されてきた地方の心情を代弁している。

そんな石破氏が不思議な提案をしている。日米地位協定は一方的な提案である。この不平等さを改善するために「日本の自衛隊もアメリカに拠点をおけばよいではないか」と言っている。その名目は何でも構わないので「訓練でもいい」と言っている。

軍隊や軍事組織を海外に置くためには何らかの目的が必要だが石破氏の提案にはその合理的な目的がない。あくまでも「一方的な協約であってはいけない」という心情を肯定するために「心情に合わせるとこうなる」と言っている。つまりアメリカも日本の立場にたてば「きっとわかってくれるだろう」と言っていることになる。

おそらく欧米の人たちは「目的なき軍事展開」を提案されて困惑するばかりだろうが日本人の心情を優先するとこういう事になってしまうのだろうなあと妙に感心させられた。

この様な心情中心の打ち出しを見ると「演歌的だ」と感じる。もともと演歌は西洋音楽に日本人の屈折した感情を載せたものだった。演歌というジャンルの発祥は都はるみにあると看破した人もいる。

恋愛に破れた女性がなぜか北に逃避行し来てもらえる見込みもないセーターを編み続けていると言う理不尽な歌詞が有名だ。生産性もなければ合理性もないが、日本人はこの様な非生産的で非合理的な生産活動に「グッと来てしまう」のだろう。

高市氏は保守の心情を代表し「家族に選択肢を」を訴える小泉進次郎氏の心情とコンフリクトする。また石破茂氏はアベノミクスは地方の声を聞いてくれなかったと言う心情を代表し高市氏とコンフリクトする。これらの矛盾した心情が破綻しないためには、それぞれが「北に逃避行し観光にも出かけず部屋の片隅でセーターを編み続けるしかない」ことになる。つまり何も決めないことによってしか成立しないのだ。

ただ黙ってセーターを編み続けることにも耐えきれないので「涙こらえて」と訴えてしまう。

当ブログでは国益や政治的生き残りのためになりふり構わぬ交渉を続ける政治家たちを継続的に観察している。このため「こんなナイーブな(繊細という意味ではなく弱々しいと言う意味になる)人たちばかりでは国際社会では生き残れないだろう」とは思う。

だが国民は心情第一主義の政治家たちを支援しているし、安倍派の人たちも「裏金と世間で叩かれている自分たち」を肯定してほしいと感じているようだ。

つまり日本人は何かを達成できるとは思っていない。単に自分たちの心情を肯定して欲しいというのが最大の政治的ニーズになっている。非常に奇妙な結論だが筋道立てて考えてゆくとそういう結論になる。日本人にとって重要なのはイデオロギーではないのだろう。

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