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とと姉ちゃんの嘘

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とと姉ちゃんを見ていて疑問に思ったことがある。昭和30年代の日本の家電業界はたいへんなありさまだったようだが、いつ正常化し、さらに世界に誇るような業界になったのかという問題だ。しかし、調べても日本の家電業界が粗製乱造のひどい有様だったというような資料は(少なくともネットでは)出てこない。もっとも資料の多くは成功した家電メーカーが書いたものが多いので、不都合な事実は載っていないのかもしれない。
それどころか昭和30年代にはすでにホンダやソニーがアメリカに進出している。日本製製品は壊れにくくて優秀だという評価を獲得する。とと姉ちゃんの日本と現実の日本は別の国だったのだろうか。
確かに日本の製造業は粗製乱造だった時代があるようだが、戦後早くからデミングの指導で品質改善運動が行われていた。昭和32年には松下幸之助が家電店を組織してナショナルショップを組織している。家電の性能が悪かったとしてもそれは日本人の意識が低かったわけではなく、単に技術力がなかったということなのではないだろうか。アメリカの製品の模倣品が多かったのだ。暮らしの手帖へのクレームはそう多くなかったようだ。
さて、それでは日本の製造業は立派だったのかというとそうでもないらしい。問題が多かったのは食品だった。果汁を使っていない粉末ジュースや牛肉を使っていない牛肉の缶詰などが売られていた。国が消費者を保護するという考え方がなく、保健所に持ち込まれたり、主婦連合会が独自に研究所を作ったりしていた。
昭和40年代には不当表示を取り締まる法律が作られ、兵庫県に生活科学センターが作られた。これを模倣する動きがあり、国も追随した。そもそも消費という概念もアメリカの輸入品だ。アメリカでは1936年にコンシューマーズ・ユニオンがコンシューマー・レポートという雑誌を出している。暮らし手帖のアイディアもオリジナルというわけではなさそうだ。
戦後民主主義の高揚がありその一環として消費者へのエンパワーメントが行われたのではないかと考えられる。
昭和43年に消費者保護基本法が作られるまで、消費者には企業を訴える法的権限はなかった。粉ジュースの不当表示をめぐる裁判では「消費者は企業を訴える当事者ではない」とされ敗訴しており「かといって、嘘を書くのはよくない」ということになったようだ。消費者保護基本法が作られたの理由は「家電製品の不具合はよくない」とか「牛肉以外のかんづめがけしからん」というような話ではない。粉ミルクに砒素が混じったり、油に有害物質が混じったりというような事件が頻発していたのだ。今の中国のような状態だったのである。
国としての消費者保護はなかなか進まず、地方と民間の主導だったようだ。今でも消費者相談の窓口は国と地方の二本立てになっている。製造者責任法ができたのが平成6年だ。しかしその時点でも消費者保護を統括する役所はなかった。さらに第一次安倍政権は消費者行政をリストラしようとした。今でも大企業優遇の色合いが強く庶民には共感しない安倍政権だが、大企業のためには消費者行政が邪魔に映ったのかもしれない。その後安倍首相が体調不良のために辞任してから福田康夫政権で揺り戻しが起き、一転して消費者庁構想がでてきた。福田康夫の悲願だったようだ。しかし、福田政権も1年しか続かなかったので、消費者庁ができたのは民主党時代だ。
当初は自分たちで試験をすれば何が安全なのかということがわかったのだが、最近は事情が変わっている。遺伝子組換え食品のようににわかには影響がわからないものも多い。金融・住宅・電子商取引のように複雑化しており民間団体が「消費者目線」で検査してわかるレベルを超えている。一方で経済成長が鈍化しており、企業も消費者を騙してでも生き残らなければというプレッシャーにさらされている。
とと姉ちゃんは暮らしの手帖の意義を際立たせようと、様々な演出をしているようだが、却って「一人の英雄的な女性が日本品質の基礎を作った」という間違ったイメージを与えかねない。実際には様々な人たちが集まって徐々に日本の安心社会が形成されたのだ。うらをかえせばこれが当たり前だということにれば、不安社会に逆戻りしかねない。消費者保護行政をリストラしようとした安倍首相などはそのことがよくわかっていないのだろう。