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小泉進次郎さんの「偽りの安心感」こそ日本に今最も必要なものなのかも

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小泉進次郎氏が自民党総裁選挙出馬会見を行った。事前の予測通り可もなく不可もなくという内容だったのだがさんざんいろいろな候補者を見たあとなので「もうこの人でいいんじゃないか」という気がする。

これは「何がうまい物が食べたい」と街なかをぶらぶらする体験に似ている。さんざんいろいろなレストランを回るがどれもどことなく不安が残る。そんなときこそ、マクドナルドとか吉野家などのチェーン店を見つけ「まあここでいいか」という気分になることがある。

その意味では今回の自民党の総裁選挙は日本のリブートのための処方ではなく終末期医療のカルテににているのかもしれない。求められているのは鎮痛薬である。

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小泉進次郎氏の安心感はどこから来るのだろうと考えた。河野太郎氏と比較してみるとわかりやすい。

河野太郎氏の父親河野洋平氏は自民党の中ではリベラルで知られているが総裁を務めながらも総理になれなかった。また保守からは「河野談話」で叩かれることもある。このため河野太郎氏は父親からの脱却が大きなテーマだった。彼の自己宣伝が過大なのはそのためだ。

一方の小泉進次郎氏は父親があまりにも偉大な成果を上げた総理大臣だったことで早くから将来は総理総裁になるのではないかと期待されてきた。逆にその期待が重圧となり「できるだけ目立たないように」と行動する習慣がついている。高すぎる期待に内容が付いてこないというのが小泉進次郎氏の一般的な評価になっている。

小泉進次郎氏の「雑巾がけ」 父や安倍流とは一線(日経新聞2015年10月)

ではなぜこれが「マクドナルド(などのチェーン店)の安心感」に似ているのだろうか。

Quoraの政治フォーラムで8000人のフォロワーからコメントをもらうことがある。この中には、政治について大きなポジションから語りたい「保守」と呼ばれる人たちが多く混じっている。政治について語ることで「なにか重要なことを扱っている」という大きな気分に浸れるのだろう。彼らには問題解決の視点はない。単に自分を大きく見せたいだけなので事後になにか不都合なことが起きても過去の発言に責任を取ったりはしない。

ところが最近若い人の間にこれとは違う人達が増えている。彼らは高度成長期を知らない。つまり社会・国・組織が安心感を与えてくれていた時代を経験していない。むしろ「日本はこのままではダメになる」というメッセージをシャワーのように浴びていて危機感を募らせている。とはいえ学校で討論の訓練も受けておらず、自分で検索して情報を調べるという訓練も受けていない。だから不安だけが募る。

最近、河野太郎氏の確定申告について「こんなメリットがありますよ」という回答を書いたところ多くの高評価をもらった。その後に「そのためには税制を簡素化し手続きも簡易なものにしなければならない」と書いたのだがおそらくそれは無視されているだろう。

社会的な批判が集まるとそれに対して不安を覚える人が増えているのだろう。だから、それを解消してくれる「肯定的な材料」を探して不安を解消したい。とは言え中身を理解しているわけではない。この回答も4つのポイントを列記してそれに事例引用を付けているので「何となくちゃんとしている」と外形的に理解されたのではないかと思う。

これを踏まえると現在の日本人は偽りでもいいから安心感が得たいのではないかと言う仮説が成り立つ。新しい店に入って失敗するならば馴染みの店のほうがまだ安心だというわけだ。これを「保守的」と呼んでいいのかはよくわからないが外からは区別がつかない。

一方で「日本はもっと成長できる」という茂木敏充さんの提案などは嫌われる。どうしても「変化の波に乗れなかったらどうしよう」という不安や「実は騙されているのではないか」という警戒心が先立つからだ。そのため「失敗したら3年は返してくれるんでしょうね」というような反応が先立つ。成長を提案されて最初に感じるには「でも失敗するかもしれない」というネガティブな感覚なのだ。それくらい日本人は失敗したくない。

「偽りでもいいから安心したい」と考える国民が多ければ多いほど「癒し系」の小泉進次郎氏の人気は高まるだろう。この人のSNSは実によくできている。待ち時間に子どもたちの動画に癒やされたり、高校時代の野球部での失敗を語り「今でも仲間たちに申し訳ないんですよね」と語る動画が流れている。どれも政策ではなくやさしい人柄に焦点を当てている。

時事通信は小泉氏の初心を次のように書いている。要するに国民は好きなように生きてもらって構わないんですよ、改革はこっちでやっておきますから国民の関与は不要ですよと言っている。また経済成長政策も「アメリカで成功している事例をこっちで適当に持ってきますから」というものが多い。国民の関与は求めないので「波に乗れずに失敗したらどうしよう」という不安を抱かなくてもすむ。なにせ「成功している」事例を持ってくるのだ。

小泉氏は会見で「国民の共感を取り戻して改革を断行し、新しい政治、新しい日本をつくりたい」と強調。夫婦別姓など「選択肢の拡大」に加え、政治改革と規制改革を「1年以内に断行する」と打ち出した。

小泉氏「早期解散で信問う」 出馬表明、選択的別姓1年で―加藤氏、10日に会見・自民総裁選

そう考えると解散は「まだ何もやっていない=まだ何も失敗していない」時期が最もふさわしいことになる。

ここから実は日本人が現在の政治に対して「衰退してゆく惨めな姿を見たくない」という嫌悪感と「改革を強要される」という不安を抱えている事がわかる。背後にあるのは失敗への恐怖である。

その意味では日本の政治は終末期医療の状態に入ったといってもよい。痛みや苦痛を和らげる処方箋が必要とされているということになる。

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