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政党としての「自殺」にまっしぐらの立憲民主党

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立憲民主党が代表選挙を通じて破滅の道を歩み始めた。自民党の総裁選挙だけが注目され埋没することを恐れたのだろうが露出の高さは却って立憲民主党が破綻に向かって歩み始めていることを物語っている。

河野太郎氏のセクションで「河野氏の問題は目標設定だ」と書いた。河野氏の目標設定は自己宣伝であり改革はその手段になっている。では立憲民主党はどうか。自己宣伝から始めたという点は共通している。河野氏の問題は単にプロジェクト管理の問題だが立憲民主党の場合はそもそも「商品価値」に問題があるという違いがある。

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まず民主党の失敗をおさらいしよう。

  1. 民主党は高い理想を掲げた。その理想とはいわば「人間中心の経済」だった。
  2. だが民主党はそれを達成するための手段である財源には無関心だった。財源はどうにでもなるしできなければあとから謝ればいいと発言した藤井裕久氏の発言を鵜呑みにしたなどとも囁かれているが総括は行なわれていない。
  3. 民主党は熱心に埋蔵金探しを行ったが、野田政権は最終的に消費税増税に追い込まれた。
  4. 野田総理はごめんなさいと謝ったが国民は許さなかった。

その野田氏が「自分はまた総理大臣を目指す」と宣言した。だがその発言から「前回の何が間違っていて、今回はなぜ同じ過ちを犯さないのか」という説明は聞かれなかったようだ。少なくとも記事にはなっていない。記者たちは立憲民主党が政権を取れるとは思っていないのだろう。

野田氏は次のように言っている。コカ・コーラが不安ならペプシ(あるいはドクターペッパー)を飲んでねと言っているわけだが「ペプシ(あるいはドクターペッパー)がうまくなった」とは言っていない。単にコカ・コーラが開拓した顧客を盗むと言っているだけである。

野田氏は「中道保守シフト」について、「本来は自民党を支持してたけれども、失望したという保守層の心をつかんでいくやり方が必要になってくる」と説明する。裏金事件で自民を離れた「穏健な保守層」(野田氏)の受け皿となる狙いがある。

野田元首相が描く「中道保守シフト」 自民離れの「保守」取り込みへ

枝野幸男氏の政策は「人間中心の経済」である。旧社会党系のサンクチュアリに支援されていることから、社会党の政策の売り込みと考えて良い。ではなぜ社会党は単独で政権が取れなかったのか。

  1. 日本の国家目標は富国強国である。
  2. この目標を達成するために普通教育を充実させ中間層を育成した。この時は「富国強兵」と呼ばれた。
  3. 産業が育成され日本は列強入りを果たすが戦争により一度破綻する。
  4. 戦後第一世代は国民資本による復興により再び経済強国を目指す路線に変更する。
  5. この政策が成功するとその「上がり」を使って国民の福利厚生を挙げ、国民が経済強国路線を賛同するようにと国民を誘導する。

社会党はこのうち「5」の強化を提唱するだけで、1〜4が抜けていた。野田氏の政策を見ても枝野氏の政策を見ても1〜4は見当たらない。このため自民党が再分配に意欲を失うと5が活性化され社会党の議席が伸びるという基本構造があった。

基本的な商品価値に問題があるため、政権を失ってからの民主党・立憲民主党は更に追い込まれてゆく。リベラルが掲げる「人間中心の政治」は富国強国政策の余録だった。だが、日本で経済成長が望めなくなると、そもそも国民が「いざとなったら社会や組織が自分たちを助けてくれるだろう」とは信じなくなった。

このため、失われた30年を通じて進歩派リベラルの存在意義そのものが失われてゆく。実はリベラルの挑戦はかなりしんどい作業だ。国民が「社会や組織は自分たちを助けてくれる」と信じさせなければならないが、平成に生れの自己責任世代は(左派リベラルの論客を含めて)そもそもそんな社会を知らない。

このため主張が過激化し「安倍政権は戦争を望んでいる」という主張が現れた。いわゆる「アベ政治批判」だ。

枝野氏も野田氏も「アベ政治批判」が国民を遠ざけたという認識を持っているようだ。だが彼らは「自分たちが掲げる左派リベラルという商品に魅力がない」とは考えなかった。

彼らが行き着いた結論は

  • 今の市民左派運動は共産党に汚染されている

というものだったようだ。自己宣伝を目標とする人が阻害要因を考えるとどうしても「誰が自分たちを邪魔しているのか」という結論になってしまうのかもしれない。

結果的に「反アベ政治」から脱却し「現在の安保路線に反対しない」という方向に傾いている。

本来ならば

  • 自分たちの商品価値と販促方法を見直し
  • 既存顧客を拡大したうえで
  • 新規顧客を取り込む

べきなのだが

  • 自分たちの商品に悪いところはないが
  • マスコミが宣伝してくれず
  • 一部の過激な左翼が妨害している

と考えるようになったのだろう。

まず、これは新規顧客獲得には役に立たない。経済の改善と医療福祉システムの持続を求める人たちは「天然素材だけで作られた新しいヌードル」は手にとらない。おそらく「これまで食べていたカップヌードル」を買うだろう。体には悪いかもしれないがそれでも馴染んだ味のほうがいい。天然素材のヌードルは体にいいかもしれないが「一体価格はいくらなんだ」と考えるだろう。

さらにこの「脱反アベ」は立憲民主党の党内で亀裂を生んでいる。そもそも代表戦に参加できない一部の議員から反発されている。仮に吉田晴美氏のような東京の市民運動を背景にした人たちが代表戦から排除されればその運動はますます過激化するだろう。

つまり、商品の見直しを行っていないため

  • 新規顧客は取り込めず
  • 既存客も怒らせる

という最悪の選択をしている。

そもそも、小西洋之氏がいう「立憲主義」を考えると既存顧客が新規顧客の参入を阻害している理由がよくわかる。蓮舫ショックで「内向きの左派運動が無党派の取り込みに失敗した」事がわかっていながら、彼らはまだそこから抜け出せていない。

日本の憲法は脱軍備を進めるGHQの移行を汲んで作られている。中にはGHQが急いで作ったという人までいるくらいだ。だが朝鮮戦争が始まるとアメリカの方針が変わり(逆コース)自衛隊が整備された。これに合わせて日米同盟が改定されるのだがセットになるはずだった憲法改正は果たせなかった。

つまりそもそもの憲法・法律体系が一貫していない。この内部矛盾をはらむ体系をそのまま尊重すると「何も意思決定できない」ことになる。プログラムにバグが有るのだから出力はない。それでもそれを守れというのが「立憲主義」であるとするならば立憲主義は国民生活を破壊する。出力がない安全確保プログラムのバグを温存し「何もするな」と言っている。新規顧客が彼らの政策に賛同することはありえないだろう。

河野太郎氏の「自殺」の構造は割と簡単なものだった。単にプロジェクト管理の問題だ。立憲民主党の「自殺」の構造は商品価値を遠因とするやや複雑なものだ。もともとの商品に魅力がないため無理のある反アベ運動に傾倒したと言う経緯がありそこから抜け出すのに苦労している。

立憲民主党が政権を取るためには分厚い社会福祉を維持するための経済基盤を確保するための説得力のある政策を用意する必要がある。だが、残念なことにそれは彼らの得意分野ではない。また「エクスカリバー」を岩から抜いた人はだれもいないので勇者たちがこぞって「我こそはエクスカリバーが抜ける」と主張しても誰もそれを本気にしない。単なるハッタリだと考えるだろう。茂木幹事長が「3年で結果を出します」と言っても「じゃあ失敗したら3年を返してくれるんですよね」という冷笑しか生まれないのはおそらくそのためだろう。

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