今回の「静かなコメ騒動」でわかったことがある。国民はもはや政治を信頼しておらず期待もしていない。問題を共有することもなければ政府に対して抗議運動を行うこともない。自分たちの行動半径の情報だけを集めてその範囲で「合理的に」行動している。おそらくこの状況は日本の政治状況を静かに悪化させるだろうが誰もそのことに気が付かないだろう。
局所合理性ほど恐ろしいものはない。静かに全体効率が低下するが誰もそれに気が付かず状況に馴れてしまうのだ。
前回までの2つのエントリーでは
- 生活コストの上昇がコメ不足を招いたが
- 政治家は国民に冷静な対応を呼びかけるばかりで構造分析を放棄している
とまとめた。
日本は農業保護のためと称してコメの価格を管理している。しかし実際にはコメ農家を疲弊させており「誰のためにもならない」農政が展開されている。農水省の農水省による農水省のための政策だ。
岸田総理は「消費者の立場で対応を」と訴えているが具体的な支持は出していない。おそらく農林水産省は「JA保護」と「農水省の保護」という目線に立ってしか行動しないだろう。消費者のニーズは無視され続ける。そしてJAは保護されるかもしれないが一般農家は保護されないかもしれない。
政治家は国民に対して「冷静な対応を」と訴えている。国民はバカで冷静に対応できないという上から目線があるのかもしれない。だが国民は別に暴動を起こしているわけでもない。大阪のような一部の地域を除いて「あるときにコメを買っておく」という対応だ。消費者は「自分は賢い行動と取っているつもり」と思っているのではないか。
そもそも食べ物は豊富にあるのだから暴動を起こすような理由がない。
コンビニからおにぎりが消えたと言う話は聞かない。また弁当屋がコメをやめて麦飯にしたと言う話も聞かない。近所を見て回った限り災害備蓄用にも使えるパックご飯は潤沢に存在する。またパンやパスタが消えたというわけでもない。
そもそも家でコメを炊いている家庭はどのくらいあるのかと考えてみた。子育てをしている家庭はコメを炊いているかもしれない。また高齢者世帯は生活防衛の意識からコメを炊いている可能性が高い。外食を減らすためにお父さんにお弁当を持っていってもらうと言う人もいるかもしれない。一方で働いている単身世帯はどうだろう。外食やコンビニメシが多いのではないか。
おそらく日本では生活防衛意識が高まっている世帯とそうでない世帯に二極化が進んでいるのではないかと思う。だから「世間の平均」を調査しても無駄だ。
今回の報道を見ていて特に気になったことが2つある。
コメ農家は早い段階から肥料の高騰やコメの価格の下落を訴えてきた。奈良のコメ屋は「実は春先からコメが足りない状況が続いていた」と告白する。つまりそれぞれのパートでそれぞれの異変が囁かれてきたが社会全体で問題をまとめようとする人はだれもいなかった。もちろん、政治もこうした声なき声を拾ったり統計情報を見て「これは大変なことになるぞ」などとは考えてこなかった。
さらにコメが足りないという報道が顕在化してからも消費者がデモを起こしたり政治に対応を求めると言う動きは全く出ていない。ただ淡々と「有るときにコメを買い占めておこう」と考える人が増えている。今回スーパーの店員に話を聞いたが「テレビでさんざんコメがないと言われているのに、あんたは何もしらないのか」と笑われた。「ではいつコメが入ってくるのか」と聞いてみたが「そんなことわかるわけないだろう」とも言われた。全体の状況を把握することを諦め自己責任だと切って捨てる最近の風潮はスーパーの店員にも及んでいる。社会全体のことを考えても仕方ないと考える人は多い。
消費者は冷静と言えば冷静だし合理的と言えば合理的だ。だが、その合理性は「消費者一人ひとり」の限られた情報に基づくもので「限定的に合理的」でしかない。我々の社会は実にバラバラになっているが、誰もそれを問題視しない。「局所合理性」と言われる状態で全体的な社会効率性が犠牲になる。だが誰も全体効率化を期待していない。
今回のコメ不足は高齢者世帯や現役世帯の暮らしの悪化を示唆する。つまりインフレの影響によるものだと思われる。その背景にはおそらく日本の管理農政の失敗もある。しかし、国民=消費者は抗議の声を上げないのだから政治家は問題を認識しないだろう。
おそらく消費者=国民は「その場その場の判断」を積み重ねて投票行動に反映させるようになるだろう。
つまり政治のアジェンダと国民の意志決定が全く乖離する状態が続くことになる。自民党が変化を訴えても国民は協力しなくなるだろう。政党が支持不足に悩んだときにはもう手遅れだ。彼らが「なぜ国民が協力してくれないのか」を探ろうとしてもそもそも意思表明も問題の共有もしない国民の声を拾うことはできない。あれこれ様々な提案をしても全く響かず、ジワジワと支持を失いつつも政権を維持すると言う状況に移行してゆくのかもしれない。
つまり日本の政治は政権交代に至らないまでも徐々に不安定化し何も決められない状況に陥ってゆくのではないかと言う予想が成り立つ。