麻生太郎氏が「派閥は悪くない」と開き直った。確かに悪くはないかもしれないが意味もないと感じる。河野太郎氏は麻生氏と行動をともにすることで改革派政治家としては自殺した。では派閥政治家として生きてゆくのかということになるのだが、その道もなさそうだ。そもそも「派閥とは何なのか」がわからなくなりつつある。
麻生太郎氏が「派閥は悪くない」と発言したと時事通信が伝えている。確かに派閥自体が悪いわけではない。自民党はアメリカの指示(アメリカが勧めたと表現してもいいが)によって作られた寄り合い所帯だ。このため主流派と非主流派に分かれる事が多い。派閥は少なくとも必要悪であり自民党では一定の役割も果たしてきた。
非主流派は政権から距離を置き自分たちの政策を作る。つまり誰もが政権に参加できるわけではないと言う状況にはそれなりに意味があった。池田勇人も非主流派であり岸政権時代に所得倍増計画の素案を作っている。そして岸政権が行き詰るとバックアップとして政権を引き継いだ。これが自民党の存続に役に立った。また不確実性を嫌う日本人も政治の継続性を担保することができた。
このことから派閥は本来「政党内政党」であり首班を盛り上げるための装置だと定義できる。結果的に複数の派閥が競い合うことで政治の安定性が保証されている。
安定性確保のために必要な基盤が2つある。それが政策と選挙体制である。宏池会は政策重視の派閥だった。一方の田中派は石破茂氏が「総合病院方式」と呼ぶ選挙支援体制を作る。派閥内の支持者の要望を取りまとめて政策化するという利権誘導型の装置だ。
前者はエリートが政治を主導するという形式を取っている。大蔵(現在の財務省)官僚が中心になって政策を磨きそれを首相が宣伝する。「経営企画部が強い会社」と表現できる。後者は営業重視型である。各地の営業所の要望を取りまとめて商品を作る。
では麻生派はどうだろうか。
今回、麻生太郎氏は「自分は河野太郎氏を応援するが派閥には支持を求めない」としている。派閥内に甘利明氏の「さいこう日本」があり小林鷹之氏とのつながりがある。日経新聞は茂木敏充氏を支援する人もいると書いている。実は麻生派は麻生派、甘利派、山東昭子派の連合派閥であり一体性がない。
つまり麻生派は派閥が領袖を押し上げると言う仕組みになっていない。本来は会長である麻生氏を盛り上げるべきだが麻生政権はすでに終わっていて次の見込みもないのだから、本来は河野派になっていなければならなかったが、麻生氏は自分の長老としての地位に拘った。
おそらく麻生氏は「地方票のウエイトが大きい一回戦はつぶしあいになる」と考えており河野氏が勝てると思っていないのかもしれない。重要なのは本戦である。2名の候補が生き残り国会議員中心の選挙になる。ここでまとまって誰かを応援すればつぶしあいに巻き込まれることもなくプレゼンスを確保できると言う狙いなのだろう。ではそのプレゼンスとはなにか。おそらくそれは麻生派のプレゼンスではなく麻生太郎氏の存在感だろう。
今回、河野太郎氏は唯一の派閥公認候補になっている。改革派の面影はなく国民からの期待も大きくない。麻生派を出て派閥解消を提案すればインパクトはあったのだろうがその道は選択しなかった。菅義偉氏は「世代交代の演出」のために小泉進次郎氏を推していると言われている。菅氏が河野氏を支援すると言う選択肢もなったのだろう。
仮に決選投票が(麻生氏の政治的ライバルである)菅義偉氏が推す小泉進次郎氏と麻生おろしの口火を切った石破茂氏の一本勝負になればおそらく麻生太郎氏はどちらも応援できない。
また組織をまとめる意欲と実力に乏しい一匹狼型の河野太郎氏が麻生太郎氏に代わって麻生派を引き継ぐことも難しいのではないかと思う。
結果的に「大宏池会構想」と麻生派は「麻生氏の麻生氏による麻生氏のための派閥」に過ぎず、政策的にはなにの意味もない。有害ではないかもしれないが有益でもないということになる。