中国軍機が長崎県男女群島付近の日本の領海を侵犯した。
国際秩序を無視する中国の力による現状変更は中国の覇権主義的野望の現れであり決して容認すべきではない
と、多くの政治家が発言している。
心情的にはこれに賛同したいところなのだが「いや待てよ」とも思う。このままでは中国に負けてしまうと思うからだ。勇ましい政治家の発言を聞いた時には「but how?」と問いかけるようにしたい。
普段から国際情勢を見ている。各国の首脳は思惑に沿って行動している。そして状況を積み上げて行き自分たちの野望を達成する。これを「する型」行動と名付けたい。
この「する型」行動に基づいて考えるならば、中国の意図が何なのかを見極めたうえで対処方針を考えなければならない。それを踏まえて報道を読むと、中国の意図が何なのかが全くわからないということがわかる。NHKも専門家に「中国の意図を見極める必要がある」とまとめさせている。
このときに便利なフレーズがある。それが「注視する」である。実際にはただ黙って見つめていると言う意味になる。
一部にはドイツとイタリアの船が来ていることの報復なのではないかと言う観測があるそうだ。小谷哲男さんは産経新聞を引き合いに出して「するかな?」と言っている。小谷さんは「産経新聞よ、本当にそうなのか?」と考えているのかもしれない。
仮に産経説が正しければ中国側は不快感を示す何らかの発言を行っているはずだ。だが中国は領空侵犯の意図はなく経緯は確認中としている。
ここに巨大な象がいる。
それがすずつきの中国領海侵犯だ。中国側は「技術的な問題と聞いた」としているが日本側は「調査をします」との報道が出たあとで音沙汰がない。
自衛隊は文民統制なので仮に領海侵犯が意図的なものであれば岸田総理か木原防衛大臣が領海侵犯を指示したことになる。「日本には覇権主義的な野望があり……」と指摘されても何も言い返せない。
だが、仮に「現場がやむにやまれぬ気持ち」で領海を侵犯したとすればどうだろうか。憲法の枠外に置かれていて問題対処の法的根拠を持たない自衛隊の文民統制違反ということになる。だから国民に説明できない。日本のメディアはこのあたりを優しく察していてそれ以上の深堀りはしない。
つまり今回の件も中国から「調査をした結果ちょっと間違えただけなんですよね」と言われてしまうと何も言い返せなくなってしまうのだ。
このことから日本人の行動原理がわかる。
1つは心情主導型だ。やむにやまれぬ気持ちでなにかやってしまう。もう1つは「なる型」だ。なにか状況が起きると責任を回避し「みんなの心情」に合致した言動が求められる。日本人は他人から逸脱した行動を取りみんなから批判されることを重大リスクと考える。
林官房長官と木原防衛大臣の見解をそれぞれ見てみよう。
林官房長官は「中国の領空侵犯は断じて許容できない」との心情を吐露する。しかしながら「では実際にどう対応するのですか?」という質問には答えない。さらになぜこんなことが起きたのかや今後の日中外交にどんな影響が出るのかを「今後の外交上の対応や日中関係に与える影響に予断を持って答えるのは差し控えたい」と回答を拒否した。木原防衛大臣も「事柄の性質上、確たることを申し上げるのは困難。中国の軍事動向に強い関心を持って注視する」と言っている。
そもそも二階俊博氏や岡田克也氏など超党派の人たちが中国を訪問中だ。政治家達は中国との経済的関係を維持したいのだからあまり中国を刺激するような事は言えない。「すずつき」についても国民には何ら説明はしないがおそらくその経緯はよく分かっているだろう。何も言えなくて当然である。
中東やロシア・ウクライナでは毎日のように鋭い刃物のような言葉が飛び交っている。国益や政治家個人の生き残りをかけた「する型」の最前線と言える。それに比べると日本政府の対応は(仮に中国の覇権主義が絶対に許容できないのであれば)いかにも軟弱という気がする。日本の政治家は中国の脅威から日本を守る行動が取れていない。
だがそれよりも気になることがある。
どうしても「する型」の中国と「なる型」の日本が本気で争った場合どちらが勝つのかなと考えてしまう。心情に合わせて場当たり的な行動を取ったあと責任回避型の言動に終始する日本の政治家が国益に沿った状況を作り出す中国に勝てるのか?と考えてしまう。
日本人は議論ができない。議論ができないということは意思決定ができないということである。勇ましい言葉を連ねて気持ちよくなりたい人を止めるつもりもないが、おそらく「今のままでは勝てない」ことは十分に自覚しておくべきだろう。
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