日本が成長できない国になった理由にはいくつかあるが「上級国民」と呼ばれる人たちの国家観のなさも一つの要因になっている。それがよくわかる発言があった。
自治官僚出身の木村敬熊本県知事が「普通科なんかいらない」「事務職なんかAIが肩代わりする」と発言し問題になっている。知事は発言を撤回しているがおそらくこれは彼の持論であり本音だろう。
江戸時代末期に黒船の襲来に驚いた日本人は積極的に欧米を視察し一つの結論を得た。欧米は分厚い市民階層に支えられておりこれが国力の差につながっている。当時の日本社会は武家が支配するエリート支配型の社会だったがこれを改造しなければ日本は西欧列強に飲み込まれてしまうだろう。
日本にはもともと寺子屋制度という職人養成のための優れた教育システムがあり、それを発展させる形で市民教育に力が入れられた。まずは国語・算数・教練・道徳という4つの基本科目を教え込み、中等教育、高等教育のシステムが造られた。
その後議会政治は劇場型政治に堕してゆき国家は戦争に巻き込まれる。だが明治維新政府の国家方針は受け継がれ日本にはそれなりの市民階層が出来上がっていた。日本の戦後復興が比較的容易に進んだのは国民の教育レベルがそれなりに高かったからである。
戦後第一世代の人たちはそれを理解していたが安倍政権の頃から様子がおかしくなった。
これが顕著に表れているのが安倍総理が押し進めた大学改革である、日本が成長でない理由をアカデミズムに押し付けた。教育の無償化などで評価されることが多いが、実は一部の大学だけを選抜しそれ以外の駅前大学を専門学校のように改築してしまうという「改革」が含まれている。これをL型大学・G型大学という。
木村知事の発言はこのL型・G型に見られる歪な選民意識を高校教育に置き換えたものだろう。要するに「自分達の手足となって働いてくれるエッセンシャルワーカーがいればそれでよい」と発言している。後に誤解だと陳謝したようだが会合では「長年の持論」と言っている。
発言は、木村氏を本部長とする県の「『くまもとで働こう』推進本部」の初会合であった。会合では、一般事務職の求職者が求人数を上回る一方、建築・土木技術者や介護サービス職などで人手が不足している資料が示された。
「事務職不要」熊本知事が陳謝 県庁会議で発言(共同通信)
一般の事務職、さらに「学校の普通科」はいらないと発言しました。木村知事は、知り合いの経営コンサルタントの見解を述べる形で、「一般事務は全部AIが代行する。これから必要なのは、エッセンシャルワーカーだ」と強調しました。
木村知事「一般事務職も学校普通科もいらない」熊本県の人材不足対策検討会議で発言(くまもと県民テレビ)
「私の心の中の長年の持論が証明された。逆をみると足りていてどうしようもないのが、一般事務とかは、要はいらないんですよ。そういう若者を育てちゃいけないんですよ、僕らは。教育長に過激な言い方だけど、普通科なんかいらないと僕は思っているのね」
木村知事「一般事務職も学校普通科もいらない」熊本県の人材不足対策検討会議で発言(くまもと県民テレビ)
安倍総理は東大卒のエリートに囲まれながら自身は大学教育に適応できなかった経歴を持っている。これがアカデミズムに対するルサンチマンになっていた。このアカデミズムへの敵意は受験に適応できなかったサイレントマジョリティのルサンチマンと共鳴し「悪夢の安倍政権」時代をつくった。
左派リベラルいじめにも同じような背景がある。理想を語るリベラルを「自称保守」のサイレントマジョリティは許容できない。現在の岸田政権が保守の指示を失ったのはこのためだろう。岸田総理は開成高校出身で自分と同じ学歴エリートを好んで周りに置きたがる。若手ホープとされる小林鷹之氏は岸田総理の路線を踏襲すると宣言している。だが岸田総理の減税策や補助金については見直すべきだとも主張しており、総裁選次第では自民党のエリート支配が進む可能性がある。財務省から見れば岸田総理の減税政策は大衆に対するへつらいでしかない。
リベラルへの敵意を背景にいびつな成長をみせた安倍政権のもたらした改革案は2014年には文化系の学部は全て必要ないという極論に成長した。
「文学部はシェイクスピア、文学概論ではなく、観光業で必要になる英語、地元の歴史、文化の名所説明力を身につける」「経済・経営学部は、マイケルポーター、戦略論ではなく、簿記・会計、弥生会計ソフトの使い方を教える」「法学部は憲法、刑法ではなく、道路交通法、大型第二種免許を取得させる」「工学部は機械力学、流体力学ではなく、TOYOTAで使われている最新鋭の工作機械の使い方を学ぶ」といった具合だ。
「G型大学×L型大学」一部のトップ校以外は職業訓練校へ発言の波紋
この背景には「自分達がしっかりしていれば国家は運営できる」「手足が知恵をつけてもロクなことにならない」と考えるエリートたちがいたはずだ。彼らは中流層向けの政策を「ポピュリズム」と見下していたのだろうが、それを表向きに発言することはなかった。
セブンアイホールディングスの買収が動揺を生んでいる。背景には日本の経営者が経営資産を生かしきれていないという問題がある。このため一部の企業はバーゲンセール状態になっている、日本の経営者はこれに太刀打ちできない。
木村知事は「熊本の県立高校程度を出ても一般事務職になるだけだろう」という侮りがあるのだろう。だがこれは本当にそうなのだろうか。
実際には大学教育を充実させたうえで、高度な教育(経営理論やITなど)を受けて海外に太刀打ちできるような経営者を育てることが重要なのではないか。終身雇用が当たり前だった時代の正社員は潜在的な経営者候補だった。地方都市の少年野球チームから甲子園につながるパスがなければ大谷翔平も出てこない。
木村知事のような不見識な知事や過度な万能感を持つエリート官僚が見識を改めない限り、日本経済の砂漠化はますます進むのだろう。