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エマニュエル駐日大使が長崎平和祈念式典の出席拒否

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広島・長崎に原爆が投下されてから79回目の夏を迎えた。今年の式典には様々な政治的ノイズがあり、これまでの平和記念式典の在り方が一つの終わりを迎えていることがよく分かる。その象徴の一つがエマニュエル駐日大使の長崎平和祈念式典出席拒否である。イスラエルが排除された式典に参加することで政治的に攻撃されることを恐れているのだろう。

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日本人は第二次世界大戦の終結に複雑な思いを抱いてきた。国民が軍部を称賛し破局を迎えたこと、自分たちで戦争を終わらせることができなかったこと、広島・長崎に原爆が落とされてたことで結果的に戦争を終わらせることができたこと、広島・長崎の罪もない一般市民を多数殺害したアメリカ合衆国を解放者として迎えざるを得なかったことなどの折り合わない感情があの静かな平和記念式典に詰まっている。

その象徴が「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という主語のない誓約だ。誰に何を誓っているのかがわからない。だが日本人は主語を明確にすることができない。日本は敗戦国だからである。

今回の広島の式典では一部の団体が会場から締め出されていた。放送には会場に入れなかった人たちの叫びが乗っていた。おそらく外で抗議の声をあげていたのだろう。岸田総理は核拡散防止条約へのこだわりを見せていたが「毎年同じ文章をコピペしている」という批判にさらされている。

湯浅広島県知事がロシアとイスラエルを非難すると見られる内容の文章を朗読するとNHKがイスラエルの大使の顔を抜いてみせるという「阿吽の呼吸」による静かな抗議活動も展開された。

一方、長崎市長の選択はもっと過激だった。名目上は騒ぎを恐れているということになっているがイスラエルの大使を招かずパレスチナの代表団だけを招いた。ちなみに広島市長はイスラエルだけを招待しパレスチナを招かなかった。

広島と長崎が何らかのアクションを期待する以上はイスラエルかパレスチナかを選ばなければならなくなっている。アメリカと西側先進国主導の平和という漠然とした絵はもはや過去のものになった。

エマニュエル駐日大使はイスラエルが排除されたことに抗議し長崎市の式典に出席しないことを決めた。G7の大使たちも長崎市長に抗議の手紙を送り出席をボイコットするものと見られている。式典は明日だがG7大使たちは長崎市長に考えを改めるように迫っており長崎市長の対応に注目が集まる。

ユダヤ系の寄付に期待する民主党のエマニュエル駐日大使に選択肢はないのは明白だがG7各国がどこも同じような状況を抱えていることがわかる。

政治家たちは、口先では人命を守るためには民主主義が大切だと言っているが、実際の民主主義は自分たちの議席を確保するための単なる道具に過ぎない。ネタニヤフ首相はそのことがよくわかっており、民主党と共和党両党の議員や大統領候補と面会を重ねながらガザ地区への攻撃を止めていない。イスラエルの極右閣僚は「イスラエルの正義のためなら200万人が飢えても仕方ない」と嘯いている。

ユダヤ系の寄付と言っても大財閥が支えているわけではない。長い間国を持たなかったユダヤ人は現地の政治家に献金を行い身の安全を確保するしか民族の伝統と宗教を守る手段がなかった。大口の寄付だけでなく小口の献金もかなりの数に上っている。だが、それが結果的にネタニヤフ政権を増長させ、ユダヤヘイト(アンチセミティズム)の原因となっている。

「核なき世界」という漠然としたスローガンは自分たちの覇権のために市民を犠牲にしたアメリカ合衆国を見て見ぬふりをすることでかろうじて成り立ってきた。だが、偽善ではあっても結果的に平和が護られているのであれば「それは良い偽善なのではないか」と考えることもできる。

ところが「良い偽善」の前提になっていた西側先進国主導の世界平和は今や風前の灯だ。つまり我々の平和祈念活動も平和教育も一つの岐路にあると言って良い。

もちろん、我々が岐路に立つのは今回が初めてではない。よく知られているように広島の式典はもともと「アメリカ合衆国をの統治を歓迎する」ためのパレードが出発点になっている。つまり広島に入った進駐軍のプロパガンダだった。ところが市民の間から「犠牲者を忘れて騒ぐことは難しい」という声があり、今の形に落ち着いてゆく。当初はアメリカが落とした原爆で被害が出たと表現することも禁止されていたようだ。

市民の熱意と盛り上がりが開催を後押ししたのである。一方で軍政部の意向をまず確かめたように、「平和」を唱えることすら占領政策の枠内に限られた。報道や出版物はGHQの検閲を受け、原爆被害を扱うのはタブーでもあった。

平和記念式典70年70回 <上> 始まり 市民の熱意 開催後押し(中國新聞)

ここからオバマ大統領の広島訪問が実現するまでに長い道のりがあった。オバマ大統領は核なき世界を目指す宣言を行いノーベル平和賞を受賞した。ところが実際のオバマ大統領既得権保護と表向きの理想主義を使い分けていたことがわかっている。つまりオバマ大統領の8年の統治はアメリカの統治を守るための偽善だった。

だがノーベル平和賞受賞者の名目を保つためにオバマ大統領は広島訪問を決意するがホワイト・ハウスは「オバマ大統領は謝罪のために広島を訪問するわけではない」と強調し続けていた。

エマニュエル駐日大使の式典参加はこの民主党的な偽善を踏襲したものだったが、ユダヤ系の寄付と支援という実利によってかき消されてしまった。

民主党的な偽善は「民主主義の理想は一種の臭み消しであり大衆は騙されている」という疑念を生みトランプ氏への支持に接続している。中流階級の失望は大きかった。

中東でも民主主義と人権を擁護すると言いながら、実際にはガザ市民の飢餓には全く無関心であると示されている。

広島と長崎の平和祈念式典の混乱を見ると「アメリカ主導の平和」という日本が依拠してきたものが崩れつつあることがわかる。だがそれに代わる新しいルールはまだない。あるいはしばらくは作られないのかもしれない。

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