堀井学議員に対する捜査が続いている。例によって検察からのリークが中心だが「数百万円が私的に流用されていた」疑いが出てきた。安倍派の政治とカネの問題では「私的流用などありえない」とされてきたが、検察の捜査であっさりと覆った。これを調査すると当然「ではそのスーツ代とサウナ代の原資はきちんと税務署に申告していたんですよね」という問いに発展する。
問題を追求しきれなかった野党にしてみれば「それみたことか」ということになるだろう。やっぱり脱税はあったのだから全議員を調査しろということになる。自民党の総裁選挙はおそらく「全てリセットしましょう」という形式で進むことになるだろうが野党は場外から「過去の問題はどうなったんですかね」と言い続けることになる。
安倍派を中心とした政治とカネの問題の「本質」は表向きは清浄な政治の実現ということになっている。しかし野党は有権者の嫉妬心を味方にして党勢の拡大を狙いたい。
庶民はありとあらゆる手段で収入を補足されているのに政治家だけはやりたい放題なのではないかという図式を作り出し嫉妬心に訴えようとしている。こうすることで「我々(国民)対あいつら(自民党の政治家)」という図式が作られる。
日本の熱心な有権者は「推し活」と利害関係を通じ候補者と心理的に癒着する傾向があるが、実際には「村の外からの冷笑感情」を持つ有権者の方が多い。これがいわゆる無党派層だ。
蓮舫参議院議員(当時)は政治資金管理団体の問題に着目し「私的流用も可能ではないか」と新藤義孝経済再生担当相らに迫っていた。新藤氏が答弁書を叩きつけて感情的に反応したのが記憶に新しい。
新藤氏は「政治資金の隠蔽」と指摘されると、憮然とした表情で「あの、隠蔽といわれるのはどういうことか。私は隠蔽していると言われたら冗談ではない」と答弁書を答弁台に叩きつけながら反論し、野党席からヤジを飛ばされる場面もあった。
蓮舫氏、「政治資金の隠蔽」と挑発 政治とカネで2閣僚追及 新藤氏、小泉氏は猛反論(産経新聞)
ただ有権者はおそらく「まあやっている人はやっているだろうね」と思っていたのではないか。堀井学議員はパーティー券のキックバックを約2000万円ほど受け取り政治資金収支報告書に記載していなかった。これらはすべて簿外の個人収入になり本来ならば納税の義務があるはずだ。自民党は「これらはすべて政治資金として使った(はず)だから脱税には当たらない」と繰り返し答弁してきたが一人例外が見つかったことで「他の人はどうなんだ?」ということになる。
結果的に堀井氏は「サウナやスーツ代」に数百万円を流用していたようだ。スーツはまだ必要経費なのかもしれないが「趣味のサウナ」ぐらい自分で出せばいいではないか。堀井氏の秘書たちは議員をなだめようとしたが聞いてもらえなかったと証言しているという。
実はこのところ、岸田政権の支持率は微増していた。政治報道が少なくなるとネガティブな評価が消える傾向がある。テレビやネットのニュースを半月ほどで忘れてしまう有権者が多いのだ。
野党は常に「政権を揺るがすネタ」を絶やさないようにしなければならない。今回の件では早速国民民主党の玉木雄一郎氏が再調査を自民党に要請している。自民党が応じないという実績を作ることが重要だ。岸田総理は全容解明と国民の信頼回復に後ろ向きであるという評価を作ることができる。
自民党は早期に総裁選挙モードに入り「未来志向」という名のもとに問題を水に流したかった。だが、堀井氏の問題が新たに掘り出されたことで何らかの対応を迫られることになるだろう。
自民党では極めて興味深い動きが起きている。
茂木幹事長が「令和の明智光秀」と噂れることを恐れており自分が最初に手を上げることはないと宣言している。すると最初に手を上げた人が「光秀化」して潰されてしまうと言う空気になる。だから、誰も総裁選に手を挙げないのだ。これをよく知っている岸田総理は最後まで総裁選への出馬表明をしないことで周りを牽制するという戦略にでた。
茂木氏は、総裁選への出馬を判断する時期を巡り、「常識的には8月から9月上旬だろう」と述べた。出馬表明に関しては「最初に手を挙げることは絶対にない」と語り、理由として「明智光秀は一人で本能寺を急襲した。私が先頭になってということはない」と説明した。茂木氏はかねて「令和の明智光秀にはならない」と主張してきた。
[深層NEWS]自民党の茂木幹事長、総裁選への出馬判断は「8月から9月上旬だろう」(読売新聞)
明智光秀化を恐れるが本音では総理になりたい人たちは「日銀は利上げを開始すべき」とか「自衛隊を軍隊にできるように話し合いを始めましょう」などとバラバラな発言しており党内が全くまとまらない。
いずれにせよ自民党が主張していた「自民党に脱税議員はいないから調査はしない」としていた主張はあっさり覆ってしまった。だが、総裁候補が「自民党の中を再調査します」などと言い出せばありとあらゆる手法でお金の捻出をしてきた議員たちから猛反発されるだろう。リーダーシップ不在の自民党が国民からの信頼を再び獲得するのは極めて難しそうだ。
野田元首相は離反した保守を立憲民主党に取り込むべきだと主張している。これは維新にも見られる「第二自民党理論」だ。
立憲民主党も維新も日本人を理解していない。実際の世論調査を見ると「与党が勝ちすぎても野党が勝ちすぎても良くない」と考える人が多い。産経新聞が各社の世論調査をまとめている。このため総選挙は与野党が均衡するかあるいは時々(野党が勝ちすぎない形で)政権交代が起きるのが好ましいと考えるのが日本人流なのだ。日本人のメンタリティはあくまでも受動的でありムラの外の出来事については冷笑的だ。推しや利害関係で過度に集団に依存一方でそれ以外の問題について極端に冷淡なのも日本人の特徴なのだ。推しの感情は被害者意識というネガティブなものに支えられていることが多く広がりを持たないのだから、結果的に誰も勝たせないという縛り合いが日本の政治を状況を支配し結果的に閉塞感をもたらす。
国民はむしろ明確な勝ちを作らないことで有権者に対する取引(例えば岸田政権の所得減税など)が誘発されることをよく理解している。また野党が勝つと性急な改革を誘発しかねない。だから社会保障の現状維持を求める有権者は実はどの政党にも勝ってほしくない。
こうした日本人の受動的でムラの外の出来事への冷笑的態度は石丸伸二旋風の一つの原動力になっていた。つまり東京都知事選挙では「政党政治」に加担したくないという人たちが160万人も存在したのだ。