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教育投資の重要性 バングラデシュの学生暴動から「日本の何が幸運だったか」を考える

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バングラデシュで学生運動が過激化し大勢の死者が出ている。少なくとも百人を超えているそうだがインターネットが遮断されていて実際の死者数がどれくらいなのかよくわからないそうだ。

バングラデシュ経済を調べると「詰んだ」状態になっていることがわかる。と同時に「日本はどうしてこうならなかったのだろうか?」という疑問も湧く。

色々考えると「日本の手厚い教育投資」にヒントが有るのではと考えた。この教育投資がなくなると日本も衰退してゆくことになる。安倍政権時代から続く日本の政策が日本の国力にとってはマイナスのインパクトを与えることがわかる。

ただし政府批判ばかりしていても仕方がない。色々考えると結果的に「政治の限界」の他に「教育投資の構造的問題」が見えてくるのだ。

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バングラデシュの学生デモの死者数が100人を超えた。だがインターネットが遮断されているため実際の死者がどの程度なのかはよくわかっていないそうだ。きっかけはハシナ政権の支持者優遇策にある。パキスタンからの独立戦争で戦った人たちの家族を国家公務員として優遇している。

この優遇枠から排除された人たちの抗議運動が一部暴力化したのが今回の反政府運動のきっかけだ。政府はこれを強権的に抑えようとしたため反発が全土に広がっている。インターネットを遮断しても暴力運動が抑えられないということは誰か特定の首謀者がいるわけではないということになる。

ではなぜこうなったのか。もともとベンガル地域は豊富な水を背景にしたコメやジュートの生産地だった。バングラデシュではコメが豊富に取れるため人口が1.7億人を超えている。コメの自給率はほぼ100%で一日あたりコンビニオニギリ4つぶんのコメを食べているという計算もあるそうだ。だが人はコメだけを食べて生きているわけではない。

イギリスが支配していたインドのイスラム地域がパキスタンとして独立すると東部辺境として扱われインフラの投資が進まなかった。しかし皮肉なことに低賃金が魅力ということになり非熟練労働の重要が一気に高まる。

国はとにかくインフラさえ整備されれば豊かになれると考えるようになった。バングラデシュはインドと中国に挟まれた要衝にあり大国から援助の申し入れを得るのは難しくない。日本も含めた各国の支援を背景にインフラ整備そのものが一大産業化していった。

おそらく国家主導インフラ整備による経済成長と国内の低賃金労働が乖離しているのだろう。

アルジャジーラは15~24歳のバングラデシュ人の約40%は就労も就学も訓練もしていなかったと報告している。また、バングラデシュの若年失業率は12.27%になるそうだ。日本は労働人口が足りないといわれているがバングラデシュには豊富な労働人口がある。だがまともに教育を受けられない人も多く教育を受けても彼らを満足させるような産業と仕事がない。主な外貨獲得は既製服の輸出と海外移民からの送金だという。

インフラをいくら作っても稼げるようにならないがそれでも政権を維持するためには公共工事を続けるしかない。政府は既得権をクオータと言われる割当で支持者に分配している。しかしコメが豊富に取れるため人口が増える。するとその割当が得られない人が増えてゆく。そして暴動がおきた。

ここでふと考えた。

なぜ日本はバングラデシュのような状態にならなかったのか。江戸時代の寺子屋システムを背景にした国民階教育に秘密がある。初期の国民教育は国語(基本的な読み書きを覚えると同時に「藩の一員)ではなく「国の一員」である意識を植え付けるために日本語ではなく国語と称された)・算数・体操・修身だった。読み書き算盤以外に富国強兵に資する人材を育てるのが明治政府の考えた教育だったのだ。

ではなぜ明治政府はこの4つを基本としたのか。おそらくは西洋列強に触れ「それに飲み込まれないようにするにはどうしたらいいか」を考えた結果であろう。結果的に日本は農業国から軽工業国になり軽工業国から重工業国になった。

低所得国がその境遇から抜け出せなくなる理由は大体決まっている。資源が豊富にある国の政府は国民を教育しなくても資源を独占すれば食べてゆける。またバングラデシュのように外国からの援助が見込める国は援助に頼るようになる。この場合はインフラ投資が資源と同じような利権の温床となる。もう一つの失敗例はそもそも政府を作ることに失敗し武器を持ってお互いが争うという「失敗国家」の形態だ。いずれも国民教育に分配するインセンティブがない。

ここからふと「今の日本の政府も教育に力を入れなくなった」と感じた。安倍政権では大学教育に分配する国家予算が制限された。このため大学研究者の主な仕事は研究ではなく研究予算獲得のための書類づくりになってしまっている。また大学院を卒業してもポジションを得るのが難しくなっている。異なるフォーマットを埋めても埋めてもポジションが得られない人が「心が折れそうだ」と嘆くつぶやきをXで見かけた。国家が教育に熱意を持たなくなったことと日本が国として成長できなくなったことにはおそらく関係があるだろう。

今回バングラデシュでデモを起こしたのは貧しくて教育を受けられない人ではなく教育を受けたがまともな仕事につくことが期待できない層の人達である。この人たちと日本の大学院卒の人たちの境遇がそっくりなのだ。

日本が経済的に発展した理由は国民教育にあると分析した。そして政府が国民教育を充足させた理由は海外に飲み込まれることに対する恐怖であろうと考えた。明治時代の日本政府には人権という考え方は希薄だった。また福祉という概念が生まれたのも実は戦後になってからだ。だが結果的に国民教育は投資になり国民生活を向上させた。日本は工業国からさらに発展すべきところに来ているが政治家がそれに対応しない限りはここから脱却できない。

日本で政治家になるような人たちは専門教育を受けておらず大学院レベルの教育が理解できないのだろう。ここが日本の社会としての成長限界になっている。だがバングラデシュは初等教育すら理解できないという人が政治の中枢にいるのかもしれない。なんのためにインフラ投資をするのかを自分の頭で考えることができないような人たちだ。

だが、政治の限界の他にも行き詰まりの原因はある。

子供をたくさん作ればその子供によって豊かな暮らしが送れると考えると人々はこれを「将来投資」と考えるようになる。だが現在の日本では子育ては「できるだけ減らしたいコスト」と捉えられる事が多い。そもそもこれはなぜなのか。

アメリカ合衆国ではヒスパニックが出生率を押し上げており一時期は2を超えていた。だが、移民に対する風当たりが強くなるとヒスパニックの流入が減ってゆく。このことから新規に入ってくる(したがって低賃金単純労働につく人)ほど子育てがコストではなく投資と考えられるようになることがわかる。

アメリカで「移民」と言っても実はインドや中国系のハイテク産業を支える移民と単純労働力を支える移民がいる。ここに挟まれる形で白人中間層が存在するが、その白人中間層の不満が爆発したのが「トランプ旋風」だ。

  • 子育て投資の効用が得やすい低賃金労働とそのための教育
  • 中間所得者の生活満足度を上げるための教育
  • 成長限界点にいる人達を支える教育

はそれぞれ別個に考える必要があるということだ。

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