ざっくり解説 時々深掘り

なぜ国体というものが真剣に追求されたのか

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国体について調べていると面白いことがいろいろと分かる。
日本人は明治時代に「西洋もやっているしかっこいいから」という理由で憲法を導入したのだが、それだけでは国を統治することができなかった。外国とのやりとりを通じて激動していた時代だったので、状況も刻々と変化して行く。そこで出されたのが「詔」である。天皇のお言葉を文章にして国民に心構えを伝えたものだ。玉音放送も詔の一種なのだそうだ。詔を書いたものは詔書と呼ばれ、細かいものは勅語と呼ばれる。教育勅語が有名だ。これをまとめて詔勅と呼んでいる。
日本の思想界は、天皇を中心にした国づくりを正当化するために、思想を体系化しようとした。外国を意識したものと思われる。ところが途中で詔勅が発布されるとそれを織り込まざるを得なくなる上に、細かなところまで考え抜かれているわけではないために「これはどういう意味だろう」という類推が始まる。
面白いことに、日本の思想家たちは思想体系を組織化しようとは考えなかった。それどころか様々な国体論が出ると派閥に分かれて論争が始まった。また、最初のころの詔勅には世界と対峙する日本という視点はなかったのだが、戦争などを通じて世界を意識しだすと、思想的な齟齬が生じることになる。そこで新しい理論が作られたり、詔勅が出されたりした。
西洋流でかっこいいからという理由で立憲主義を柱にしたのだが、天皇は国の機関だという説がでると「面白くない」と思う人が出てくる。天皇機関説を否定したことで、結果的に立憲主義は否定された。天皇が主権者だということになってしまった。かといって天皇に政治的・軍事的な実権があったわけではなかった。結局天皇は第二次世界大戦への参戦を止められなかった。全く一貫性は見られないのだが、誰も気に留める人はいなかった。
もともと日本の思想は海外から流れ着いた物を混ぜ合わせて作られている。仏教はインド由来だし、儒教は中国のコンテクストから作られた物だ。そこに西洋由来の唯一神的な思想が入り込み「国家的に統一的な思想を作るべきだ」などという思い込みが生まれてしまった。
例えは悪いがTwitterで流れてくる様々な思想を混ぜ合わせて自分の妄想を膨らませるのと同じようなことをまじめにやっていたのである。そして、それをTwitter上の人たちが「いや、お前は間違っている」と罵り合うのが日本の思想界だったわけだ。それでも協力してなにかを作れればよかったのかもしれないのだが、お互いに「議論」と称して、お前は間違っている、いやお前がいうなというようなことが大真面目に行われていた。
日本人は誰にでも受け入れられるような単純な理論を尊ぶのだが、中心ができるのを極端に嫌う。天皇は詔勅を発するところまではやるのだが、それ以降の議論にはいっさい関わらないし、周りのひとたちも「じゃあ、本人に聞こう」とはならない。単に忖度してお互いに牽制しあうのだ。
もともとこの問題を考えるきっかけにになったのは、磯崎議員の「自民党は新しい日本国憲法について日本の国柄を示す物にしたいと思っている」という発言なのだが、実際にはこれは憲法ではなく詔勅によって行われていたものだ。戦後、天皇の政治的機能を極端に制限したために、それを代替しようというのが(磯崎さんの主張によれば)自民党の考え方だということになる。本人たちが気がついていないのが痛々しい。そもそも価値観の押しつけは憲法の機能ではないのだ。
磯崎議員のいう「自民党」が目的を達成するためには、天皇の地位を復旧して国事行為としての詔勅を認めるべきだということになる。しかし、それはその時々の文脈の影響を受けたものにならざるを得ない。鎖国するならそれでもよいのかもしれないが、外部とは文脈を共有しないので、問題解決は難しくなるだろう。
このように揺れ動くものを中心に据えていたために、日本のイデオロギーは完成しなかった。それでも海外の民族を統合する論理が必要になり、新しい理屈が作られた。それが八紘一宇である。天皇は世界の中心であり、諸民族は天皇秩序のもとで仲良く暮らさなければならないというような話だが、実際はキリスト教を布教して諸民族を文明化してやらなければならないという思想の焼き直しになっていることが分かる。
仮にこれが「諸民族を西洋から解放して豊かになる」という思想であり、実際に説得力があったなら状況は変わっていただろう。しかし、思想では状況は変えられなかったし、実際には諸国民を武力で蹂躙しただけに終わった。理論が実際に役に立つことはなかったわけだ。それどころか、自国民に対しても最終的には「お前、天皇が父だと思うなら、死ね」というような単純化された思想になり、終戦で否定されてしまった。
自由民主党というのは、戦後の自由主義・民主主義というイデオロギーを実現するために結党された。しかし、2009年に国民から否定されたためにやけを起こし、かつて破綻した理論を引っ張りだしてアイデンティティ・クライシスに対応しようとした。真剣に憲法議論をやり直せば、この破綻した理論と向き合わなければならなくなるはずだ。