中國新聞が「「100万円けちって落ちたら後悔するでしょ」 元自民党事務局長の証言 選挙の「裏金」」という記事を読んだ。2019年まで自民党の事務局長を務めた久米晃氏に政策活動費の使い道を聞いている。これを聞いて自民党は今すぐ下野すべきと感じた。この文章でその理由を説明するが「いやそれはピント外れではないか?」と感じる人が出てくるかもしれない。「お金を粗末にする政党がまともな経済対策を打ち出せるはずなどない」というのがその理由だ。
久米氏は次のように説明している。
「だいたい車中でぱっと相手の懐に(現金入りの封筒を)突っ込みますよ。それが表に出ないカネ」。こう明かす久米は続けた。「当選するためにできることはする。だって戦だもん。勝たないと意味がない。100万円をけちって落ちたら後悔するでしょ」
記者はなぜこんな渡し方をするのかを聞くのだが納得できる答えはかえってこない。
おそらく源流にあるのは田中角栄氏などの古い政治家の残像だろう。困った人が訪ねてくると返さなくていいからと札束を渡すことで有名だった。渡された人は期待された額以上の札束に驚き一生それを忘れない。新潮が田中角栄氏のお金の配り方についてまとめている。まだ貧しかった日本で札束に色々な意味を込めることができたようだ。例えばそれは「労い」だったり「評価」だったりする。
ところが現在ではこれが変質している。
- 第一に幹部たちは政党助成金などの税金を分配しているに過ぎない。自分で集めてきたお金ではない。
- 相手はいきなりお金を渡されるだけでそこに「どんな思い」がこもっているのかが理解できない。
- とは言え簿外の金を動かす後ろめたさを持ち一種の共犯意識が生まれる。また「もらっているのは自分だけかもしれない」という意識も持つかもしれない。
結果的にお金は「何か後ろめたいもの」になる。「表沙汰にできないお金」を押し付けたことで共犯関係が演出できるという効果もある。これが慣行としてほぼ無意識に行われているから久米さんはうまく説明ができなかったのだろうし、自民党の改革案もここには踏み込めない。これは自民党に古く浸透した文化コードである。制度と違って文化コードの改革は難しい。付け加えるならばこうしたコードは自民党出身の小沢一郎氏などを通じて野党にも浸透しているはずだ。
田中角栄氏がなぜ「お金配りの達人」だったのかはわからない。ただご自身もお金にはかなり苦労しているのではないかと思う。だからこそお金が人の気持ちを動かすということを知っていたのだろう。だが現在の自民党ではお金を配るという慣行だけが残り「想い」の要素が消えてしまった。
ではなぜこれがよくないことなのか。
日本の家計は現在2,000兆円を超す資産を保有している。また日本は470兆円以上の資産を海外に貸している。つまり日本にはお金が溢れている。これが使えないのはなぜか。「いざという時にお金がなければ誰も助けてくれない」と思っているからだ。ところがこれでも不安は払拭されず「このままでは医療・福祉費用が賄えなくなる」と不安を感じる人が多い。お金はあるのだがそれを有効に利用できないために社会が沈みつつある。それはとても滑稽な状況だ。そしてお金は「不安」の象徴になっている。預金通帳を見て「まだ足りない」と不安を感じる人も多いのではないか。
本来であれば、今の日本政府は「お金を使うことはいいことですよ」「それは回り回ってみなさんのところに戻ってきます」と説得しなければならない。昭和型の日本が貧しかった時代に生まれた無意識は現在の「金余り」の時代にはそぐわない。
我々がお金を払うのはなぜか。例えばスーパーマーケットで食材を買う時「これを作ってくれてありがとう」という気持ちを表すためにお金を払う。そして自分がお金を稼ぐのも「働いてくれてありがとう」という誰かの気持ちを受け取るからである。お金は本来は感謝の気持ちの運ぶ手段になり得る。だが実際の日々の暮らしでこのような感覚が持てるだろうか。自分自身のことを考えても「難しい」と感じる。
我々が持っているお金に関する印象はどこか後ろめたい。このため「お金は感謝の乗り物だ」とか「思いを託すものである」などと言っても「この人は何か怪しい新興宗教でも始めたのではないか?」という印象にしかならないのではないだろうか。
現在の日本に必要とされているのは日々「生き金」を回しているビジネスマンのような人なのかもしれない。自分でお金を稼ぐ大切さを知っておりなおかつ使い所もわかっているような人たちである。だがこういう人たちは政治に直接参加しなくなった。「政治はちっとも楽しくない」というのが彼らの感想ではないか。
自民党の「結局人の心を動かすものはお金しかない」という気持ちは今回の定額減税にもよく現れている。定額減税は事務手続きが煩雑で「なぜこんな制度にしたのか」という疑念を持たれている。政府の「想い」が全く伝わらないことから政府は「明細に記載しない場合には労働基準監督法の罰則も検討する」などと言い出した。想いを伝えるどころか逆に罰則で「感謝を強要する」という脅しに出てしまったのだ。
冷静かつ合理的に考えると極めて不思議なのだが「お金は後ろ暗い人身掌握術」という無意識を持っている今の自民党にとっては極めて普通の考え方なのかもしれない。仮に政治が不安を解消するための装置であると期待するのであればまずはここから変えてゆかなければならないのではないか。
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