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セルフブランディングと意識高い系

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日本はなぜ成長できないのかについて考えている。原因の一つに、産業構造の硬直化があり、裏には労働移転の停滞がある。労働者としての個人が儲ける力がなくなった産業や組織から、儲けられる産業や組織へ移転できないのだ。労働者の中には起業家やマネージャーも含まれる。古い産業に労働資源が張り付いているのが問題なのである。
実は労働移転が模索された時代があった。
TwitterやFacebookが出てきたとき「セルフブランディング」という言葉がもてはやされた。会社とは別に自分のブランド価値を作ろうというような動きだった。Google Trendで探ると2004年頃には既に存在したようだ。なぜか日本ではLinkedInが流行らなかったのだが、こうした動きに注目したのが職歴のない学生だったからかもしれない。
ところがこの「セルフブランディング」は徐々にネガティブな色彩をまとうようになる。「地に足がついていない」とか「上げ底」と捉えられるようになってしまうのだ。そこから出てきた言葉が「意識高い系」である。もともと学生の間で言われていたようだが、流行らせたのは常見陽平という作家らしい。行き過ぎたセルフブランディング(盛ったプロフィールなどというように使われる)を冷ややかに見つめた。本が出版されたのは2012年12月らしい。ここから「意識高い系」という検索ワードが増えることになった。
ちょうどアベノミクスという言葉ができて「何もしなくても日本は大丈夫」と考えられるようになった時期に重なる。民主党時代には「自分だけはなんとかしなければ」という動きがあったのだが、救世主が表れてそのような機運はついえてしまうのである。
このセルブブランディングの変遷はフリーターという言葉の変遷に似ている。もともと自由に好きなことができる人という意味で出てきた言葉だったのだが、徐々にアルバイトしかできない収入の不安定な人という認識ができた。バブルが崩壊しこの言葉はネガティブな意味合いで定着し、現在に至る。今では「フリーターは国家的な問題だ」というような使われ方が一般的である。
この国では一貫して「好きなことを仕事にする」というのはネガティブに捉えられてきた。仕事とは苦しくて嫌な物なのだというのが当たり前に受け入れられている。いろいろな労働調査をすると「自分の現在の仕事を肯定的に受け入れられない」人の割合がきわめて高くなる。
嫌々仕事をやって生産性が上がるはずがない。言われたことだけをやって、時間が来たら帰るだけというような職場が作られるだろう。だが、それも許されず不効率な職場環境を残したままで、長時間労働を強いられる人と、パートとして短い時間で働く人に分かれている。
確かに「盛ったプロフィールは痛い」ものなのかもしれないが、何もしないよりはマシなのではないかと思える。しかし日本人は「何もしない」ことを選んで、チャレンジする人たちを揶揄することにしたのだ。
日本人は徹底してリスクを回避する。大学教授は研究開発費を得るためにポンチ絵を書かされるそうだ。審査するのは役人であり、その人たちのために「確実に投資が回収できる」絵を描かされているらしい。役人は「失敗」を国会で追求されてはならないのだから、危ない事業には手を出さないだろう。国がリスクマネーを出してベンチャービジネスを支援しようという動きもあるようだが、これを審査するのも役人と資金を出している大企業だ。彼らは従来の成功事例をもとに「確実に自分たちが儲かる事業」にしか支出しない。結局、関係者が税金を回収するための装置になっているようだ。
こうした動きは、社会主義の失敗に似ている。社会主義経済では「確実に達成できる目標」が優先される社会だったが、次第に計画は物語化していった。労働者(経済の担い手と言ってよい)たちの意思を組み込まなかった故に失敗したわけである。なぜそれがうまく行かないかというと労働者は消費者としての側面も持っているからだ。つまり、供給者=需要者などという図式は存在えしないのだ。
日本経済が成長しないのは、やりたくもないことを長時間かけてだらだらとやらされているからなのだが、それだけでなく、やっと出た「経済を成長させたい」という意欲を冷笑して摘み取ってもいる。つまり「成長しないようにがんばっている」社会なのである。


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