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虚偽申告しないと大臣や官房長官になれない くすぶりつづける旧統一教会問題

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朝日新聞が「盛山文部科学大臣と統一教会」の問題について報じ予算委員会が大騒ぎになっていた。今度は林芳正官房長官が幹部と面会していたと報じられている。これも問題になりそうだ。今回の問題では統一教会との関わりの是非というよりも「政策協定(公約)」の軽さと「自主調査」の曖昧さが顕著に浮かびあがってくる。選挙が単なる政治家の就職活動になっており、その後のポジション争いにのみ結びついている。

また倫理的な問題も見逃せない。関わりがわかっていても形式上は「関係はありません」と宣言した方がトクなのだ。つまり政府が率先して「嘘」の効用を説いていることになる。

ただ、不思議なことにこれはこれで民主主義として成り立っている。積極的支援ではなく縛り合いによって「政治家に何もさせない」という新しい民主主義の形だ。政策なき政治が行き着いた極北なのかもしれないが「いやこの程度では終わらないのではないか」という不気味さもある。

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朝日新聞が盛山文部科学大臣と統一教会の問題について報じていた。選挙応援があったのではないかという問題だったのだが、新たに「政策協定」の存在が明らかになった。時事通信は次のように書く。

盛山氏は、教団側との接触について「うすうす思い出してきた」と認めた。地元有権者に呼ばれて参加した集会で「急に(確認書の)話が出て『サインしてくれ』と言われたかもしれない」とした上で、「十分に内容をよく読むことなくサインしたのかもしれない」と釈明した。

よく読まずに政策協定(公約)にサインしたと言っている。政治家にとって政策とはこんなに軽いものなのかと呆れてしまう。応援が得られるならばなんでもホイホイとサインをするが都合が悪くなると忘れてしまう。さらに追求されると「そういえばうすうすと思い出した」などと言い出す。これが子供に「嘘をついてはいけません」と説く学校を所管する文部科学大臣だと思うと情けなくなる。

ところが統一教会の攻撃はこれで終わらなかった。宗教法人解散命令をめぐって、国と教団は法廷闘争中だ。教団は岸田政権にダメージを加えたいと考えているのかもしれない。非常に興味深いのは統一教会はかなりの攻撃材料を温存しておりいつでも「爆弾」を仕掛けることができるという点だ。後々のことを考えていくつも保険をかけているのだろう。そして政権はそれに対してほとんど何も対応ができていない。バレた時の理屈すら考えておらず、やられ放題なのだ。

今度は新潮に林芳正官房長官の記事が出た。教団の幹部と面会をしており写真も押さえられている。新潮によるとただの信者ではなく幹部なのだそうだ。

林氏に「必勝」と掲げられた千羽鶴を手渡したスーツ姿の男性を仮にA氏と呼ぶ。その隣にいる男女はそれぞれB氏、C氏とする。実はこの3人は旧統一教会の信者である。それだけではない。A氏は教団関連団体「世界平和連合」の事務総長(肩書きは当時、以下同)で、銃撃される原因となる「ビデオメッセージ」を安倍元首相が送った教団関連団体UPF(天宙平和連合)の幹部。B氏とC氏も世界平和連合山口県連合会の本部長と事務局長である。

岸田政権は要職に就く議員については「統一教会との関わりがなかった」かどうかを調査したことになっている。自己申告で「関わりがあった」議員は大臣などの要職につけない。新潮は林芳正官房長官が嘘をついたと断罪している。つまりこの問題は統一教会の良し悪しではなく「嘘をついてまで要職につきたい」人たちを信頼していいのだろうかという道徳感情に訴えた記事として提示されている。

林官房長官は「改めて確認したところどうもそうみたいですね」と言っている。

安倍政権時代にもこのような曖昧で人を馬鹿にしたような回答は珍しくなかった。この時には「どうしても有罪評定を引き出さなければならない」とか「議員辞職につなげなければ気が収まらない」という人が多かったという印象がある。

ところが最近ではトーンが少しづつ変わり始めているように感じる。

まず与党支持者たちはこうした政治家の不信が政権交代につながることを恐れていた。つまり野党の勝ちにつながることを警戒していたのだ。だがそれはおそらく起こりそうにない。彼らは政権を積極的に擁護しなくなった。

さらに岸田政権は何か政策転換を発表するとその後に国民負担がついて回るという印象がある。防衛と子育ては増税のための言い訳に過ぎない。マイナンバー健康保険証も何となく面倒くさいから今のままがいい。つまり政治はもう余計なことは何もするなという人が増えている可能性がある。

つまり政治不信が続いた方が都合がいいと感じる人も多いということだ。

今回の一連の騒ぎが「岸田政権倒閣」につながるのかそれとも世論の牽制材料になるだけなのかと考えてみたのだが明確な回答につながるような材料はない。

SNSで世論にプレッシャーが与えられるようになったこともあり、従来言われていた政治不信とは違う「極めて不思議な形の縛り合い民主主義」とでも言えるようなものが生まれているとしか言いようがない。アメリカの政治ではSNSによって政治に参加する人が増えたことで政治の不安定化が起こっている。日本では縛り合いが増えたことで政治が何もできなくなっている。どちらもそれぞれの国の民主主義が行き着いた終着駅だ。ただこれが本当に最終到達地なのかはわからない。今は最悪と思えることでもその先があるかもしれない。

かつて「通ってほしい政治家ではなく、こいつは許せないという政治家を指名できればいいのに」という主張があったことを思い出した。その時は「そんなめちゃくちゃな民主主義はない」などと感じていたのだが、どうやらそれと似たような状況になりつつある。望みが叶わないならば政治家に何もさせなければいいと考える人も増えているのかもしれないが、岸田政権はそれを打開するような解決策を持たない。

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