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中年の危機と劣等機能の慰撫

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中年の危機という言葉がある。ある日「私の人生こんなはずじゃなかった」と思うことがあるのだ。ユングは、中年の危機は放置してきた劣等機能の暴走だと考えた。中年の危機を回避したり癒したりするためには劣等機能をのばして「個性化」すればいいのだが、なかなかうまく行かない。
劣等機能を伸ばすのは右利きの人が左手で字を書くみたいなものだ。だが、これを慰撫しないと大変なことになる。自分が破滅するだけならいいのだが、他人への攻撃に向かう人も多いみたいだ。中には70歳代になっても他人をいじめて喜んでいる人がいるが、人様に迷惑をかけるのはよろしくない。
最近では、劣等機能が何なのかということは簡単に診断できる。つい先日もインターネットでMBTIをやったばかりだ。まあ、占いみたいなものだし、ユングとは直接関係がないという話もあるのだが、この際置いておく。
僕の場合は内外がバランス取れているが、感覚と感情が弱いようだ。特に感覚的にものを見たり、感情を表に出すのが苦手なのである。ということで、感情的になると手がつけられなくなるし、あとで後悔が大きい。また、全体の枠組みを大雑把に捉えており、細かい点の検証も苦手だ。
ということで、慰撫すべきなのは「感覚機能」である。服飾デザイン(いわゆるファッション)とかインテリアのコーディネートなんかが苦手だ。ということで、趣味でこういうことをやっても大した成果は得られない。でもやるわけである。
今回は部屋に飾る観葉植物をやたらにたくさん挿し木してしまった。普段抑圧されている劣等機能なので暴走するのだ。理性的に考えれば置き場がないわけで「止めときゃいい」となるのだが、あえて暴走させてやると良い。
重要なのは、いったん暴走したこの感覚を最後に手放すことである。衝動が落ち着いたら「ああ、満足した」と心の中で呟くのだ。Twitterなんかで感謝してもいいかもしれない。「ああ、満足した。今日は十分だ」と書いたり、他の人に言ってみたりするわけである。まあ、誰も聞いていないわけだが、それはそれで構わない。
例えば買い物依存症に陥る人がいる。必要もないものを買って、似合わなかったりする。でも、それでも構わないのだ。劣等機能なわけだから。重要なのはクレジットカードの請求書を見て罪悪感を持ったりしないことだ。似合わないものを買ってしまったと自分を非難するのはよくない。機能を抑圧してしまうからである。
ただ、暴走した機能をそのままにしておくのもよくない。最後に「ああ、満足した」というのが重要だ。感情機能も劣等なのでこれも満たしてやるのである。
今回はたくさん挿し木をしてみて「ゴミ屋敷」を作る人の気持ちが分かった。そもそも挿し木で増やしたい衝動というのは、うまく寄せ植えが作れないところに起因している。感覚的に「形」が作れないのだが、「それは素材が潤沢に選べないからなのだ」と思ってしまうのである。すると「たくさん作っておいておきたい」という欲求が生まれる。これは「新品を買えない」という抑圧が「ものをたくさん集めたい」という衝動に変わるのに似ている。
だから記録を取ったり成果を眺めたりして「ああ、満足した」というのが重要なのだと思う。後で見直せば少しづつでも進歩していることが分かる。つまり「成長した」という実感につながるわけだ。劣等機能なのだから他人と比べてはいけない。
要約すると劣等機能の暴走を食い止めるには次のようにすれば良いことが分かる。

  • 苦手分野があることを自覚する。
  • 苦手分野を客観的に測定する。
  • 意識的に苦手分野を使う仕事を探して、一定期間耽溺してみる。
  • 最後に「ああ、満足した」と言って、気持ちを手放す。

これができるようになれば、他人に迷惑をかけることはすくなくなくなるのではないかと思う。誰かを生け贄にして憂さを晴らすよりも「満足した」という方がよほど気持ちがいい。
「神様に満足して過ごす」ということがなぜ大切なのかが分かる。結局のところ「神に感謝」することで、抑圧した感情を解放しているのだと言える。感謝するといっても、決して人格としての神を見て対話しているわけではないのだ。ある意味、劣等機能の解放は宗教的な儀式なのだと言えるだろう。