民主主義は成長と繁栄を求める。ではそれが民主主義が与えてくれる唯一の報酬なのだろうか。それがわかる事例がある。インドデモスクが破壊されヒンドゥー教寺院が建設されている。再選を狙うモディ首相はここから再選運動をスタートさせることにしている。もともとBJPの運動の源流になった寺院建立運動の現場に立ち会い運動を盛り上げようというのだ。
インドの神に「ラーマ神」がいる。インドの叙事詩ラーマーヤナの主人公だ。正確には神ではなくヴィシュヌ神の化身なのだそうだ。ヴィシュヌは「正義」と言うコンセプトを擬人化したものでありさまざまな化身となって現れてヒンドゥーの人々を守ってくれるとされている。このラーマ王子が生まれた場所とされているのがウッタル・プラデシュ州のアヨーディヤである。
しかしながらインド北部はイスラム系のムガル帝国に征服されている。このため、ヒンドゥー寺院などが破壊されイスラム系の施設が多く作られている。インド観光といえばアグラにあるタージ・マハルが有名だがこれもまたイスラム様式のお墓に過ぎない。このためインドを旅行するとせっかくインドに来たのに「インドっぽいものがない」と感じる人も多いのではないか。
1992年にイスラム教のモスクがヒンドゥー教徒に破壊された。ムガル帝国時代から続くイスラム支配を脱却し「本当のインド」を取り戻す戦いと位置付けられた。宗教対立が激化し2000人以上が死亡したとBBCは書いている。
建物は民間からの寄進によって作られたが、首相再選を狙うモディ首相はラーマ神の像に捧げ物をして寺院建立の成功を祈った。もともとインド人民党はこの寺院建立運動がきっかけになって作られた政党でこの寺院建立計画はいわば彼らの一丁目一番地だ。BJPは当初の目的を達成し更なる躍進を正義の守り神であるラーマ神に誓った。
インドの人々が歴史を取り戻し、インドに「インドっぽい観光資源」が作られる。これはいいことなのではないかと思える。だがこの話には裏面がある。死者が2,000人も出ていると言うことは当然迫害されたイスラム系住民がいる。BBCのビデオには夫を奪われた未亡人が出てくるが、手足を切断されて袋詰めになったそうだ。
ヒンドゥー至上主義はイスラム排斥運動とセットになっている。BJPは2019年に憲法370条を廃止しイスラム系の勢力が強いカシミール州をヒンドゥー化しようとしている。
一方で大統領にサンタル出身のムルム氏が選ばれたようにカースト外に置かれていた少数民族の取り組みも進んでいる。東部インパールでは主要民族が指定カーストになることに反対した周辺の少数民族が暴動を起こしておりインドに多重の差別・被差別構造があることも窺える。
BJPはこれまでの差別構造を転換しイスラム教排斥に置き換えた上で求心力を高めようとしていると言える。民主主義においては数が重要だ。このため少数者を新しい仲間はずれにして政権の求心力を維持しているのが現在のインドと言える。
だが、少数者の迫害につながる政府を西側先進国は見逃してきた。インドは対中国の重要なカードだと見做されているからだ。
もともと人類は群れを作って他の群れを排斥するという本能があるのだろう。国家はこの群れる本能を逸らすために「豊かさの追求」と言う別の目的をでっちあげたと言えるのかもしれない。豊かさの追求ができなくなると、当然民主主義を維持するためには別の目的設定が必要になる
こうした現象は先進国でも見られるようになった。いわば民主主義の先祖返りだ。例えばアメリカ合衆国はヨーロッパ系の住民が「アメリカを取り戻せ」というMAGA運動を展開中だ。フランスの政権はイスラム系の市住民を「フランス化」させるために学校教育を改革しようとしている。ドイツでは北アフリカにモデル国家を作って有色人種などを追い出そうとしている。つまり敵を設定することによって味方を作り出し支持を集めようと言う動きは先進国でも広がりつつあるといえる。
当然こうした傾向が強まれば強まるほど異質なもの同士が共存する現在の世界秩序をそのままの形で維持するのは難しくなる。民族や宗教の違いを理由にした戦争が起きているがそれを止めることができる超大国も国際機関もない。紛争は当然ながら自由な通商と交通路の混乱を招くため、我々は高いコストを支払って交通路を維持する必要性に迫られている。
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