「トヨタは悪くない、全て現場のせいだ」と総括されたダイハツ問題だが、管理職側にかなり問題があったことがわかってきた。週刊文春が「「開発スケジュールが過度にタイト」ダイハツ“不正の温床”を生み出した「天皇の独裁体制」の実態 「責任者を置かず、現場に責任を……」」という記事を出しているのだが、わかったこととますますわからなくなったことがある。
今回のテーマはわかったことよりもわからないことの方が多い。よくハーバード・ビジネス・レビューに掲載されているケーススタディのような独特の趣がある。特に技術畑出身の経営者にとっては示唆に富む課題となっているのかもしれない。技術者の理想が必ずしも経営的に良いこととは限らないのだ。
アメリカのMBAではよくケーススタディというメソッドが使われる。少し長いがケースメソッドについて紹介した文章を引用する。
ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)がケーススタディを用いる講義を始めたのは1921年のこと。以来100年にわたり、数多くのケースについてさまざまなディスカッションが行われてきた。その真骨頂は、クラスメートとともに情報を分析し、意見を交換し合い、最終的な判断を下すプロセスの中で、認識力や判断力のようなメタスキル、すなわち「新しい物事をより迅速に学ぶことを可能にする一連の恒久的能力」を身につけることにある。本稿では、ビジネススクールの授業で取り扱われる知識や理論を超えて、ケースメソッドを通じて身につけることができる7つのメタスキルについて論じる。
仲間内でのディスカッションを通じて経営のメタスキルを高めてゆくという手法だ。ダイハツの事例は年末年始の休みの間に研究するのに面白いテーマなのかもしれない。
週刊文春の記事でダイハツの問題のきっかけと名指しされているのが白水宏典氏だ。2005年にトヨタの副社長からダイハツに天下ってきた。白水氏は2005年から2011年までダイハツに「君臨」しダイハツの企業風土を歪めたことになっている。
この記事で白水氏は天皇と呼ばれている。おそらく権力を一手に掌握し不可侵の存在になったという含みがあるのだろう。
だがどうもこの一節がよくわからない。
「白水元会長は生産技術部門を優遇する独裁政治を敷いてきたため、設計や実験部門を含み横断的に管理させる“プロジェクトリーダー”を事実上、存在させてこなかった。そのため、ダイハツでは部署ごとの“タテ割り”がまかり通る事態になってしまったのです。大きなプロジェクトなのに全体のとりまとめ役がいないというのは異常なこと。責任者を置かないということは上層部が現場に責任を押し付ける以外の何物でもありません」
天皇に権力が集中するわけではなく「設計や実験」よりも「生産技術部門」が優遇されていたことになっている。昭和体制で軍部が暴走したのは天皇が権力者だったからではない。天皇に実質的な権限がなく軍部を抑え流存在がなかったことが原因だ。この最も顕著な事例が関東軍である。結局外交で関東軍の暴走をカバーすることができず第二次世界大戦に突入した。つまり専門家集団が全体を破壊したのが第二次世界大戦だった。
なぜプロジェクトマネージャーを置かなかったのかという説明もないが「上層部が現場に責任を押し付けることになった」と断定している。プロジェクトマネージャーをおかないということは現場から会長などの経営陣に直接レポートが上がるということだ。つまり最終責任はむしろ明確になっているはずである。
さらに言えば現在は経営者が変わっている。今の経営者は何をしていたのだろうか?という疑問が湧く。なぜ彼らは現場で起こっていることに対して「全然知らなかった」などと平気な顔で説明をしたのだろうか。
かろうじてわかるのは白水氏が技術屋さんだったのであろうということだ。ここからむしろ天皇ではなく暴走する専門家集団のトップだった可能性が高いように思われる。
これがわかる記事がある。白水氏は「進化形(1)カイゼンを飛び越し進む生産技術「革新」–白水宏典/トヨタ自動車副社長 新井益治/トヨタ自動車取締役堤工場長」という技術論文を書いている。ものづくりの会社としての誇りがあったのだろう。他にも探せば出てくるのではないかと思う。
さらにダイハツの成功について定量的に分析した研究もみつかった。サプライチェーンを整理して効率化をはかったそうだ。カイゼンという内部改良だけでなく構造改革もおこなったということである。
白水氏は実際に成果も出している。1位のスズキを抜き去りダイハツを業界トップに押し上げた。11年に相談役・技監に退いたが(ここからも生産技術にこだわりがあったことがわかる)2016年に完全子会社化するまでダイハツで「権勢」を振るった。おそらくはこの強い技術屋としての誇りと成功が「不正の蔓延につながったのだろう」ということになる。満ちれば欠けるの理の通りである。
成功について先に挙げた定量研究は次のように称賛する。これが価格競争力を生みスズキを追い抜いた。だがこの成功故に誰も白水氏を否定できなくなった。
これまで、日本の自動車産業における系列関係の解体や部品共通化の浸透は、定性的な学術研究やマスコミによる調査によって示されてきた。たとえば、トヨタ自動車副社長からダイハツ工業会長に転じ、現在は相談役・技監の白水宏典氏は、生き残りのために系列を解体し、その結果1台あたり1000ドルのコスト削減に成功したとJapan Timesの記事で発言している(注1)。我々の研究は、このような事例で見出されていたことを、定量的なネットワーク分析によってより一般的な事象として明らかにすることができた。
時系列的に整理すると次のようなことがわかる。
白水氏は2005年にダイハツに天下った。おそらくは関心が深い生産技術部門を優遇し他部署の不満が溜まった。2008年にリーマンショックが起きると世界的なサプライチェーンは混乱する。ここで系列を解体し一定の成果を収めた。白水氏の辣腕によりスズキ自動車を抜き去り行異界一位に躍り出る。ところが2011年に会長を退任したあたりから何かがおかしくなったのだろう。2014年ごろから不正が増え始めた。一方の白水氏は「自分がやったことは間違いがなかった」と内外に喧伝し続けた。すでに内部は疲弊していたのだろうが誰も白水氏を否定できなくなった。2016年になんらかの理由で経営統合が実現し白水氏はダイハツを去った。自発的にいなくなったのか放逐されたのかは不明だ。
この白水時代と現代をつなぐ記事がない。まるで白水後に考えるのをやめてしまったかのようだ。
白水後のトヨタから来た経営者たちは「現場で何が起きているのか」がわからなくなってしまっていたことは確かなようだ。またダイハツのプロパーの人たちも無力感を募らせてゆく。このあたりの事情は全く語られていないが、とにかく現場は「白水さんがきてから全てがおかしくなった」というような認識になっている。
このようにダイハツ問題は「わかったこと」よりもわからないことの方が多い。明らかにトヨタの経営陣の知らないところで暴走が起きている。技術専門者の暴走という意味では天皇より関東軍に近い。近視眼を起こした専門家の暴走だ。ただし破壊されたのは現場のモラルでありこれは外からはわかりにくいといえるだろう。
トヨタの社長や会長はとにかく抜本的な改革が必要だと言い続けている。だがこの「抜本的な」は「どこから手をつけていいかわからない」ということを意味することも多い。社長も会長もとにかく「徹底的に」とか「根本から」などと連呼している。さらに言えば2016年の経営統合の裏には何かあったはずだ。白水体制で生じた歪みは認知されていたのかもしれない。ただここで「実は知っていました」とは言えない。いよいよ豊田章男会長の責任問題になってしまうからである。
- ダイハツ不正問題、なぜ起こった? トヨタ豊田会長「抜本的な改革必要」、佐藤社長「ダイハツが世の中に必要か問われる」 認証経験者が解説
- トヨタ 豊田章男会長にダイハツの認証不正問題について聞く 「174項目をしっかり説明していく。間違えた認証についてはやり直していく」
「ダイハツの経営がなぜおかしくなったのか」はハーバードビジネスレビューにケーススタディとして掲載されても不思議ではないくらいの問題を含んでいる。一見成功した誇り高い技術者がなぜ現場からモラルを奪い去ったのかというのがそのテーマである。トヨタの経営者たちがどんな答えに辿り着くかはわからないが冬休みの自由研究としては面白いテーマなのではないか。