山崎雅弘という識者が「TPPは帝国主義時代の不平等条約に似ている」と呟いているのを見た。合意の内容の正文が英語なので、チェックするためには全部翻訳すべきだろうと主張しているが、この主張は間違っている。
この主張が間違っている理由は簡単だ。これは不平等条約に似ているのではなく、不平等条約だからだ。確かに、英文を翻訳すれば現在の内容はわかるだろう。しかし、合意内容にはあまり意味がないかもしれない。意味があるのは運用だ。ルールを決める人ではなく、解釈して運用する人が経済を支配するのだ。裁判も英語で行われるのではないだろうか。
数の上でも英語圏が勝っている。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダが参加している。これにシンガポールが加わる。
とはいえ、これが「日本に対して不平等」とはならない。英語ができる日本人が、英語ができない日本人を支配することになるだろう。日本にいる外資系企業と同じだ。新自由主義的には「英語も能力のうち」ということになるのだろう。
この事があまり問題にならないのは、日本人が多文化圏での経験を余り持っていないからではないかと思われる。公用言語ができないことで、経済活動から学術まで排除されかねないという経験をしたことがないのだろう。多数決や民主主義というのはとてもフェアに聞こえるが、言語的に排除された人からみるととても不平等な制度なのだ。
特に現在意思決定の頂点にいる人たちは言語の大切さというものを理解していないものと思われる。
官僚は自分たちの子供には英語を学ばせつつ、英語話者の代理人としてこの国を取り仕切れるだろうと考えているのかもしれない。大元が曖昧であればあるほど解釈できる裁量は大きくなるからだ。一方、ドメスティックな環境に慣れきった自民党の政治家たちは指導者の地位から滑り落ちてしまうかもしれない。経済的な重要政策を東京で決められなくなってしまう。
だから自民党の議員たちは「農業で補助金を」と要求する前に「日本語で交渉しろ」と言うべきだった。そこまで長期的なことは考えられなくなっているのかもしれない。
不思議なのは、右派の人たちが反対しなかったことだ。普段は「日本精神の大切さ」を唱っているのだから、こうした国際交渉ができる場では、しっかりと日本語を公用語として認めさせる運動をするべきだった。だが、右派の親玉と見なされる安倍首相がTPPを推進しているので、反対に回れなかったのだろう。
いずれにせよ、右派の人たちが「日本の伝統云々」という主張は割り引いて考えた方がよさそうだ。彼らは権威に乗って威張ったり、半島系の人をバカにしたいだけで、日本の伝統がどうなっても知った事ではないのではないかと思われる。
いずれにせよ「日本語にしてくれないと、どこがヤバいのかチェックできない」という主張は間違っている。運用が始まればどっちみち意思決定から排除されるのだ。文字が読めないのに「証文には金返せって書いてありますよ」と言われたら従わざるを得ないのと同じだ。裁判になっても言葉が分からなければ泣き寝入りするしかない。
だから反対するなら「不平等条約みたいだ」というのではなく「不平等条約だ」と言い切った方がいい。
なお、蛇足だが、アメリカはスペイン系移民に浸食されつつある。連邦レベルでは英語は公用語ではないので、いつのまにか「日本人もスペイン語を勉強しなければ出世できない」という時代が来るのかもしれない。TPPのスペイン語国にはメキシコ、ペルー、チリがある。