映画会社は斜陽時代にどのように対応したか

映画産業は1950年代に黄金期を迎えたが、その後テレビの台頭があり1960年代に急速に斜陽産業化した。ピーク時の動員数は年間11億人で、日本全国に7,400以上の映画館があった。(トピックス: 日本映画産業のピークと斜陽のはじまり
各社は人気俳優に依存する「スターシステム」を取り、「五社協定」(後に六社協定)として知られる俳優の囲い込みを行っていた。しかし、人気のある俳優の引退や流出が相次ぎ、テレビドラマが本格的に作られるようになって有名無実化した。
斜陽への映画会社の対応はそれぞれ異なる。
日活は性風俗を扱う映画(日活ロマンポルノ)を制作するようになった。しかし1980年代には再び行き詰る。アダルトビデオ(AV)の登場でニーズがなくなったからだった。その後、1990年代に一度倒産する。「〜をする」に注目せず、「形」にこだわったことによる失敗と言える。
東映から別れた新東宝や大映のように斜陽産業化してすぐに倒産してしまった会社もある。1980年代に大げさな演出の「大映ドラマ」で知られる大映テレビは大映本体から別れて生き残ったテレビ制作会社なのだそうだ。
「〜をする」に着目した会社は斜陽時代を乗り切った。東映・東宝がその例だ。結局映画会社の強みはコンテンツの制作や経験の提供だ。
例えば東映太秦映画村のようなテーマパークを作ったり、テレビ朝日に出資しテレビコンテンツを作るようになった。また、東宝も多角化し、テレビの制作事業や芸能プロダクションを立ち上げた。1980年代にはアイドル映画も制作するようになる。2000年代には東宝シネマズというシネマコンプレックスを立ち上げ成功を納めている。
ある産業が斜陽化したときにうまく対応するためには多角化が良いということが分かる。結果的に映画制作会社は「コンテンツ制作」という強みを活かし、テレビやテーマパーク向けにコンテンツを制作するのが最も成功率が高い生き残り方である事が分かる。一方、日活のように映画という形にこだわると苦戦する。いったんは乗り越えたと思っても、また別の形(日活の場合はAV)にとって代わられることになる。
興味深いことに、斜陽産業化した映画はその後極端に動員数を減らすことはなかった。つまり、かつて程の勢いはないが全く消えてしまうこともなかったのである。
さらに、テレビと映画の関係はその後面白い展開を見せる。2006年に洋画と邦画の関係が再度逆転した。(邦画と洋画のシェア逆転)背景にあるのはテレビとの連係だ。テレビがヒットすると、スペシャルドラマを作る感覚で映画が作られる。これをテレビで宣伝し流行らせるという方式である。かつては映画を斜陽に追いやったテレビが邦画ヒットの原動力になっているという点は皮肉といえば皮肉といえる。

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