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卒業式のマスク着用で説明が二転三転。永岡桂子文部科学大臣とはどんな人物なのか。

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永岡文部科学大臣のマスク答弁が迷走している。現在は推奨しない方針で検討をしているそうだが報道が右往左往しているため時系列に整理した。さらにそもそもこの永岡さんという人がどういう人なのかも調べてみた。

学校は絶対に間違えてはいけないという無謬性

日本には学校の先生は絶対に間違えないし間違えてはいけないという無謬神話がある。この神話を利用して権威を保っているため「我が校にはいじめなどない」としていじめを隠蔽するようなことが起こるがこれは無謬性神話の弊害の一つだろう。この教育現場の権威の源が文部科学省だ。文部科学省がそれを主導したというわけではなく多くの学校関係者がそう期待していると言えるのではないかと思う。

こうした無謬性組織を何に例えるかは別として、永岡桂子さんは期せずして頂点に君臨することになってしまった。

これがそもそもの間違いだったのだろう。

文部科学大臣の発言が二転三転

とにかく責任を取りたくない文部科学省・自分で判断できない教育現場・おそらくは問題を全く把握していない大臣という最悪の組み合わせにより状況が混乱している。おそらく最初は「常識レベル」でご家庭で決めてくださいと言えば問題が解決すると思っていたのだろう。これがのちに大騒ぎになる。

家庭の判断で外してください

おそらく政府が方針を出したのだから「もう勝手に決めていいのだろう」と思い込んでいたようs。あとは保守政治家として「個人ではなく家庭が責任を持てばいい」などと個人の見解を加えて答弁した。

やっぱり決めてません

ところがこの発言が政府で初めての「マスク外し容認」と広く報じられたことで事態の深刻さに気が付いたようだ。記者に聞かれて曖昧な返答をして文部科学省の官僚に何か耳打ちされるという映像も残っており状況を把握しきれていないことがわかる。

現場からは「やっぱり決めて欲しい」の声

実は教育現場が気にしているのはクレームだったのだろう。誰かが決めてくれないとマスク守旧派の非難を直に受けることになる。とにかく学校は間違えてはいけないわけだが、その正解(マニュアル)を文部科学省が決めてくれないというあってはならない事態に直面した学校現場からは悲鳴が上がる。「お国が決めたマニュアル」なしでは学校運営立ち行かなくなっているということがわかる。

推奨しないことを検討

おそらく政府の本音はこれ以上コロナに国として責任を取りたくないということなのだろう。これをどう表現しようかについてまだ迷っているようである。

何もしない(推奨も禁止もしない)ことを決めたいのだがこれで批判されることを恐れて「まずは専門家に聞いてみます」と言っている。ただコロナウイルスの毒性や特性が変わったわけではないのだからおそらく専門家は文部科学省のいうような答申を出せないはずだ。

答弁は撤回しません

こうした混乱をよそに永岡さんの関心は「私は悪くない」という自己弁護に向かっている。野党から批判され「答弁の修正はしない」と言い続けている。

責任を取りたくない官僚・絶対に間違えられない学校・とにかく私は悪くないと考える大臣のもとで混乱するのは生徒と保護者である。

永岡桂子氏とは

夫の代わりに急遽出馬し比例復活を繰り返す

永岡桂子氏は農水省官僚出身で亀井派議員だった永岡洋治氏の妻である。派閥は郵政民営化に反対したものの永岡洋治氏は造反には加わらなかった。かなり重い決断だったのだろう。結果的にこれを苦にして自殺したとされている。

選挙区のライバルは中村喜四郎氏だ。もともと田中派だったがのちに竹下派に転じ建設大臣を務めた。だが、ゼネコン汚職で現職国会議員として逮捕されてしまう。裁判中も当選を重ねたがついに有罪判決が確定して失職する。

夫の急な自殺で選挙区に穴を開けるわけにはいかない。そこで担ぎ出されたのが妻の桂子氏だった。中村喜四郎氏はその後再選を繰り返す。つまり永岡圭子氏は選挙区では勝てない時代が続いた。それでも拠点を失うわけにはいかない。自民党は永岡氏を擁立し続けた。

中村喜四郎氏は紆余曲折があり最終的には立憲民主党に入党した。2021年の選挙では無所属ではなく立憲民主党であることが嫌われ公明党ほか地元議員が離反したとされている。逮捕歴がありつつ14回当選していたが初めての小選挙区での敗北だったそうだ。NHKによると選挙区は立憲民主党に対して「共産党とやっているところだろう」というリベラルに対する蔑視感情が強い地域のようだ。

つまり汚職はいいけど共産党は嫌という土地柄なのだ。

統一教会問題でも不安定な答弁

このような経緯で大臣にまで上り詰めた永岡氏だったが、統一教会問題をめぐり答弁の不安定さが問題視されていた。答弁の不正確さからみてもおそらく問題を把握しているとは思えない。

これがあまり注目されなかったのは岸田総理が全面に立ってしまったからである。問題の切り離しで頭がいっぱいの岸田総理が場当たり的な答弁を繰り返したため主に岸田総理が批判されることになった。

つまり実はいつ問題を起こしても不思議のない政治家だったのである。

結論

立憲民主党の井坂信彦氏は「教育のトップとして恥ずかしいと思う。意地を張るところではない」と批判したというのだが、おそらく教育のトップ以前に政治家としての資質には乏しいと考えた方が良さそうである。

こうなると、なぜ永岡桂子氏が文部科学大臣に就任したのかがよくわからなくなる。実はこれまで文部科学大臣は「保守派」の清和会系の定席だった。清和会が文部科学大臣の椅子を使って何をやりたかったのかはわからないものの、岸田総理はこれを麻生派の永岡さんに変えている。派閥と当選回数が念頭にあるとすれば「任命をめぐる説明責任」が果たせるはずはない。

文部科学大臣を頂点とする学校組織を秘密結社とか教団に例えるのは適切ではないかもしれない。だが、やはり「学校は絶対に間違えない」という偽りの無謬性は原理主義的な宗教結社の主張に近いものがある。

永岡さんは期せずしてその「教祖」の席に座らされてしまったことになる。ただ、そのことによって現在の学校組織が自律的に物事を決めることができないということは明らかになった。ある意味これが永岡さんと永岡さんを送り込んだ麻生派の一番の功績なのかもしれない。

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