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ネパールで毛沢東主義の首相が誕生し親中国に傾斜

ネパールで毛沢東主義者の新しい首相が指名された。元ゲリラだが三度目の首相登板である。今回の総選挙は親中国と親インドの争いだったそうだが、結果的に親中国にシフトするのではないかと言われている。親インドと親中国の間を揺れ動くネパールの政界事情について調べてみることにした。

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新しくネパールの首相になったのはネパール共産党党首プシュパ・カマル・ダハル氏。7つの政党と3人の独立した国会議員を束ねる連立与党のリーダーになった。インドのモディ首相はダハル氏の首相就任歓迎のコメントを出している。だがネパールは親中国にシフトしそうだと時事通信は書いている。

ただ、この親中国と親インドはかなり便宜的なものである。ネパールは二つの大国の間で揺れ続けている。特にダハル氏はその時々の状況で自分が有利になるようにポジションを変えており今もゲリラ気質が抜けないという感じのようだ。

西側のメディアはダハル首相を「元ゲリラのリーダー」などと紹介している。これまで2回首相になった経験があり今回の首相就任は3回目になる。プラチャンダ(猛者)という異名で知られているそうだ。1996年から2006年にかけてネパールでは君主制打倒の内戦が行われていた。ルモンドは1万7000人が亡くなったと書いているほどの激しい内戦だったようだ。だがかつての反乱者たちは武装反乱を放棄して組織を「政党」に作り替えた。ただし民主主義になった後も武器なしで同じようなことをやっている。

今回の政権交代のきっかけは11月に行われた総選挙だった。アルジャジーラによるとネパール下院の定員は275人だ。与党「ネパール会議派」は過半数を失ったがそれでも最大政党だった。日経新聞の当時の記事によるとネパール会議派がインド寄りで統一共産党が中国寄りということになっていた。

この時にダハル氏はネパール会議派と組んでいる。つまりダハル氏は親インド派のはずだ。だが今回は親中国派であるはずの統一共産党と連立与党を組んでいる。ネパール会議派のダウバ前首相との間でどちらが首相になるかで譲らず連立交渉が破綻したことで今回の政党連合による新政権が誕生した。

政権を奪取するために主義主張が異なる政党が手を組んだことになるが、そもそもどっちでも良かったのかもしれない。

アルジャジーラは経済的な不調もありネパール政界が安定することはないだろうと言っている。インフレ率は8%だ。新興国から見れば低い水準だがネパールでは過去最大のインフレだとされている。生活必需品を輸入に頼っているため外貨の不足にも直面しているそうだ。世界経済の不調で観光や海外労働者の仕送りが減っていたと書いている記事もある。

5年の任期を統一共産党と半分に分けるという合意のようだが、このような合意はたいていトラブルの原因になる。

ネパールの民主主義は機能不全に陥っている。それもそのはずだ。直前までそもそも政治に責任を持つ議会がなかった。つまり議会制民主主義の伝統はなく、それまで抵抗軍だった人たちが議会の主導権争いを繰り返している。

ネパールは239年間の間君主制国家だった。2008年に君主制が廃止されてから政権交代が10回も起きているそうだ。いまだに憲法が制定されておらず経済はさらに混乱するものと見られている。

ネパールでは2001年にビレンドラ王が息子の王太子に射殺されるという事件が起きている。一家は皆殺しとなりビレンドラ王の弟のギャネンドラ国王が即位した。この事件には不可解なことが多くギャネンドラ国王が民主化に会議的だったため民主化運動が激化し王政は廃止された。

ギャネンドラ氏は退位した後もタバコ製造メーカーなどの株式を保持しており資産家として生活していると産経新聞は書いている。ギャネンドラ氏は資産家として生き延びたが国民は安定しない政治の影響を受け続けており王政復古運動も起きているという。

経済的にはパッとしないネパールだが地政学的にはインドと中国の間の緩衝地帯になっている。インドとの関係が悪化し一度は中国に接近し「一帯一路」プロジェクトが展開された。だが、ネパールの狙いはインドや中国に近づいて双方から有利な援助を引き出すことにあったようだ。

ただ大国の間で有利な援助を引き出す政策はあまりうまく行っていないようだ。結局政治家同士で日本の戦国時代さらながらの内紛を続けているだけだ。国民生活が豊かになることはない。

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