ざっくり解説 時々深掘り

習近平国家主席の「権力委譲ショー」で我々が見せられたものは何だったのかを考える

中国で習近平国家主席の3期目が始まった。当初の予定通りライバルたちが排除され習近平氏に近い人たちに取り替えられた。途中で胡錦濤前国家主席が退席を余儀なくされるというハプニングがあったがショーはなにごともなかったかのように粛々と続けられた。今後の中国情勢を見る上で「ああそういえばあの時」という歴史的イベントになりそうだ。今後、中国との関係をどうするのかは立場によって意見が異なるのだろうが「何かおかしい」という違和感は無視してはいけないようだ。

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今回の出来事を演劇に例えるならばショーの途中で重要なキャストの一人が暴れ出した(あるいは倒れた)ことになる。だが周りにいる人たちは顔色を一切変えずに演技を続けた。権力委譲ショーだとすると「成功」だったことになるが、政治劇としては極めて異常なものだったと言えるだろう。

現在国家主席はPresidentと訳されている。つまり大統領のようなポジションだ。だが毛沢東時代の反省から権力集中を抑える必要があり、長い間大統領職は置かれてこなかった。たとえば鄧小平氏の時代には「鄧小平氏は中国の事実上の最高実力者」とされていた。

これが変わったのが江沢民国家主席時代だった。だが江沢民・胡錦濤・習近平と代を重ねる間に大統領の皇帝化が進行している。民主的なリーダー選出が行われないため代替わりの儀式が必要になる。次第に平和的な権力委譲はできなくなるので権力継承を前提としない終身大統領制に移行しつつあるというのが今の中国である。

今回は次の資料を読んだ。

今回の権力移行式典の演出意図は極めてシンプルだ。前の実力者が見守る中で無事に習近平氏の続投が決まったと演出することである。

ただ舞台裏ではいろいろなことが進行していた。中国の中枢には習近平氏に近い派閥と「団派」と呼ばれるエリートたちがいた。習近平氏は父親が権力基盤から脱落すると地方に飛ばされた経験を持つ。新しくメンバー入りした人たちを見ると同じような経験をしている人たちがいる。一方で今回外された「団派(共青団派)」は中央に独自人脈を持つエリートたちだったようだ。

ただ、習近平氏はエリートを排除するだけでは権力基盤を独占できなかった。習近平思想の構築に寄与した人と反汚職キャンペーン(ライバルたちの粛清に利用された)で活躍した2名を加えて「新執行部の7名」になっている。

最後の仕上げは前の実力者たちの前で「権力が受け継がれた」と内外に示すことだった。江沢民氏が不在なので胡錦濤氏にはぜひこの場にいてもらわなければならなかったのである。

いずれにせよ新しい執行部は極めて閉鎖性が高い。情報が限られる中で集団思考に陥りやすい陣容だ。今後中国で何かが起きた時、今回のイベントは「あああの時そういえば」と思い返すようなものになりそうである。

中国では経済過熱による格差拡大と少子化という問題を抱えており、これまでのような経済成長路線が続けられるかは極めて微妙な情勢だ。習近平氏としては江沢民時代から続く「上海閥」を自分の支配下に置き換えた集大成ということだったのかもしれないが今度は自身のグループが外から狙われることになる。権力が集中するというのはそういうことなのである。

中でも特に異常だったのが胡錦濤前国家主席途中退出だ。このニュースを最初に見た時に「テレビ中継が入っている中で胡錦濤氏を引き摺り下ろすことで権力の移行を示したかったのではないか」と考えた。外国が伝えているのだから当然国内でも伝わっているだろうと思ったのである。

だが我々の常識は通用しない。

実際にはこの様子は国内ではテレビ中継されなかったそうだ。中国中央電視台(CCTV)が夜のニュースで放映した映像では退席前の胡氏の姿が通常通り確認できたとロイターが書いている。ただし海外メディアはこの様子を記録していたため西側のメディアにだけ流れた。

胡錦濤氏も健康不安を抱えている。だが、前々代の最高指導者だった江沢民氏も不在だったため、政治ショーとしては「前代の胡錦濤さんも見守る中で粛々と権力基盤が確立された」という演出が必要だと習近平氏は考えたのだろう。つまり不測の事態があったものの「ショーは事前のシナリオ通り」粛々と進められたことになる。

ただ、西側のメディアが「前代が見守る中で権力が無事に引き継がれたからこの政権は正統だ」などとは感じない。単に異質だと感じるだけである。中国には中国なりの独自の理屈があるのだろうが、その世界観は極めて内向きであるということがわかる。

習近平氏はおそらく今回のショーの進行に自信を持っていたのだろう。全てを外国のメディアにオープンにしている。粛々と権力継承がなされる過程を外国にも誇示したかったということになる。その意味では国際的な政治ショーだった。だから途中でシナリオを破綻させてはいけないのだ。

だが西側のメディアを通じてこれを見ている人たちには「今主要キャストの一人が何かを叫んで降板させられたぞ」としか見えない。

のちに新華社通信が英語のTwitter(中国人は見ることができない)で「あれは健康問題だった」という説明を流したそうだ。習近平氏の描いたシナリオ通りに歴史が書き換えられて「あの件はそれで終わり」となってしまった。

西側のスタンダードから見れば極めて異常な出来事なのだがおそらく中国ではこれが当たり前なのだろう。最後に習近平氏は内外の記者団に「客観的な報道をするように」と注文をつけたそうだ。自分が考える歴史観こそが「客観的で正しいものなのだ」と思っていることになるだろう。視聴者は脚本家が考えた通りに番組を解釈しなければならずテレビ局も脚本家の説明に従って事後報告をするというのが中国の常識だ。

日経新聞が「ゼロチャイナなら国内生産53兆円消失 中国分離の代償」と書くように、確かに中国経済は我が国経済にとって重要である。しかしながらやはり今回の政治ショーにはかなりの違和感を覚える。こうした違和感に目を瞑って経済をとるか「やはり持続可能性がない関係だ」ということを自覚した上でリスク回避するか。

人によって意見は異なるだろうが、もう一度落ち着いて考え直した方がよさそうだ。

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