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アイルランドのジャガイモ飢饉

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図説 アイルランドの歴史によると、経緯は次の通り。1841年当時、アイルランドは連合王国の植民地だった。1800年頃の人口は400万人だったのだが、40年で人口が倍の800万人に増加した。ベルファスト以外に都市がなく、工業はほとんどなかった。故に、ほとんどの人たちが農業に依存している。歴史書によってはこれを「政府の不始末」としているものもある。
本来、穀物は基本的な農作物で、余剰農作物が海外に輸出される。しかし、アイルランドは植民地であり価値のある農作物はイギリスに輸出された。アイルランドでは兄弟が土地を平等に分ける習慣があり、小分けにされた土地で自分たちのために作れる作物はジャガイモしかなかった。歴史書にはなぜ40年の間に人口が倍増したのかという記述はないのだが、少なくともジャガイモだけ食べていればなんとかなる状態だったらしい。
 
しかし、1845年にジャガイモにウィルス性の病気によって収穫の1/3がだめになってしまう。その年には貯蔵があったのでなんとかなったのだが、1846年も同じように不作だった。不作はその後5年間続いた。
1846年にはイギリス政府からトウモロコシ公共事業が与えられた。しかし、その後政権交代が行なわれ、地方のことは地方でやるようにという自由放任政策が取られ、福祉政策は後退した。地代を払えなくなった小作たちは地主たちから農地を追い出され、アイルランド中をさまよう事になった。
その間もアイルランドからブリテン島に向けて食料は輸出され続けたのだが、中央政府はアイルランド人には冷淡だった。「野蛮で遅れており、怠け者だから」こういう事態に陥ったというわけだ。ノーマン・デイビスの『ヨーロッパIII 近世』はこのあたりちょっとおもしろおかしく書いており、「ジャガイモを食べていれば、踊ったり、密造酒を飲んだりすることができた」と言っている。
結局、アイルランドでは下層階級を中心に100万人が死に、残りの100万人は国を逃げ出した。その後、海を渡った親類を頼った移民が相次いだ。行き先はアメリカやオーストラリアだ。その後も流出傾向が続き、1930年までに移民の数は400万人になった。
船の旅は決して楽なものではなかった。1/5が途中の船の上で亡くなったそうである。しばらくの間彼らはアメリカの下層階級を構成していたが、第二次世界大戦後になってケネディが大統領にまで登り詰めた。
この飢饉の結果起こった人口流出は結局回復しなかった。現在のアイルランドの人口は南北あわせて600万人程度だという。このジャガイモ飢饉の評価は立場によって議論が別れる。非支配階級の人びとが亡くなったり流出したことは確かで、純粋なケルト語話者は大幅に減り文化も失われた。

類似点と相違点

日本との類似点と相違点を洗い出してみよう。
まずは類似点から。閉鎖的な経済圏でイノベーションが起こりにくかった。資本も不足していたとされる。農民達は土地を所有できなかったから生産性を上げようと言うインセンティブも少なかっただろう。現代の日本には農奴はいないから相違点のようにも見える。しかし非正規労働者が1/3というのだから、状況は同じようなものだろう。
まがりなりにも暮らしてゆける手段があり、多くの人が同じようなものに依存するようになっていた。
中央政府は問題を解決するために、やる気やイノベーションといった複雑なプロセスを取らず、手っ取り早い手段に訴えた。これがトウモロコシ公共事業だ。
急激な変化が起きてその産業が破壊されると地域経済がパニックに陥った。
 
次に相違点だ。
日本が戦後海外との貿易で資産を蓄積しているのに比べ、アイルランドは植民地なので搾取されるだけの存在だった。日本では国民は選挙を通じて自分たちの代表を選ぶことができることができるようになっている。
一方、アイルランドには受け入れ先があった。長年の植民地支配を通じて英語を習得していた。またアメリカは多くの労働力を求めており移民の受け入れ先になることができた。日本人の海外移民は難しい。外国人との接触にすら慣れておらず、中国語にせよ英語にせよ最初から習得しなければならない。
また「失われた10年」とか「20年」とかいわれるようにじわじわと進む日本と違って、アイルランドの飢饉は5年という短い期間に起こった

結果

当初、アイルランドの飢饉は1年限りのものと思われていた。その場しのぎの福祉政策が取られたが、翌年にも同じことが起こったので「自己責任」の名の下に、福祉政策は切り捨てられてしまう。その間も穀物はアイルランドから本国に送り続けられていたが、これを農民に与えようという人たちはいなかった。
一方、農民の側も自分たちでなんとかしようという気持ちにはならなかったようだ。自力で資本を持つ事ができなかったことが大きいように思われる。その証拠に危険を顧みず渡ったアメリカでは成功者もあらわれている。中央政府は、その場しのぎの福祉政策に頼ろうとしたのだが、経済回復の見込みが得られず、結局支えきれなかった。結果、多くの人が国を捨てることになったのである。
アメリカでは、アイルランド人の中にも成功者はいた。しかし本国では怠けた人なのだから困窮しても仕方がないと考えられたのである。
2013年1月31日:書き直し


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