クリエイティビティ- 抽象化する能力
部長が今月の営業成績が悪いといって部下を怒っている。部下は一応聞いているフリをしているが、実際にはお昼に何を食べようか考える。今日は金曜日だからシーフードカレーの日だなといった具合だ。進化人類学者によれば、この機能が人間をサルと分ける大きな特質の一つだ。大脳が発達しており「今起きていること」と切り離して「頭の中の抽象的な世界」を持つ事ができるのは人間だけなのだそうだ。部長がこのまま成績が悪ければ俺が責められかねないと未来を予測するのも、部下が話を聞いているフリをできるのもこの特質のおかげだ。
よく「クリエイティブな人」という言い方をするが、クリエイティビティは「頭の中の抽象的な世界」の働きだ。これが亢進されるとよりクリエイティブな人になれるのだろうか。
統合失調症 – 抽象化能力の暴走
「天才と分裂病の進化論」は、この疑問に一部だけ答えてくれる。分裂病(統合失調症)は脳の中の仮想の世界が暴走している病状のようだ。この本は「事実」と「仮定」から成り立っており、明確に「天才と分裂病に相関がある」という結論には達していない。統合失調症は人種を問わず0.7%から1%程度見られる、人類が共通に持っている特質である。作者は人間が脂肪を蓄積できるようになった結果、脳の中に抽象概念を扱う領域が発達したと考えている。
作者が注目したのは、科学者やノーベル賞受賞者の中には統合失調症的な資質を持っている人たちがおり、子息や親戚に統合失調症を患った人たちも多いという点だ。こうした資質は遺伝するので(3〜5の遺伝子が関連しているのではないかと考えられている)、天才と統合失調症には関連があるのではないかというのである。
例えば、読字障害がある人の中に、三次元の立体化がうまい人がいる。この人たちは全身運動は苦手だが手先は器用だ。音楽、哲学、宗教などに高い関心を持つ人たちがおり、想像力が亢進するとシャーマンになる。この段階に至ると「他の人たちに聞こえない声」が聞こえたりするそうだ。病気ではなく「分裂症的な人」は全人口の10%〜20%くらいいるのではないかと類推している。かなりの数だ。
論の問題点
この論の第一の問題は「天才」の定義が明確でない点だろう。次の問題点は、いうまでもないがサンプリングの問題だ。奇行を持った天才は取り上げられやすく、記憶にも残りやすいので「天才となんとかは紙一重なんだなあ」と考えているだけかもしれない。
発明大好きな工学博士がシゴトから疲れて帰ってくる。奥さんは近所の噂話をはじめる。この奥さんは団地のすべての人たちのポスト、人間関係を把握しているばかりではなく、3か月ごとに新しくなるドラマの人間関係についても事細かに把握している。工学博士が退屈して自分の新しい発明に対して話そうとすると、奥さんはこういって遮るだろう。「私、難しいことはよくわからないの」
抽象的な数式をまるで母語のように取り扱う工学博士は確かに天才的だが、100人はくだらないと思われる人々の人間関係を把握している奥さんの才能もかなりのものだ。
工学博士ばかりがいる社会や奥さんばかりがいる社会を想像してみるとわかる。工学博士ばかりの社会では群れは大きく広がらないだろう。協力して何かを成し遂げるよりも研究室に引きこもっていたいタイプだからだ。一方奥さんばかりの社会は群れを発展させることができない。現状に完璧に満足しており、世の中をより便利にする工夫はあまり起こらないかもしれない。
生き残るためにはどちらが有利か
狭く、緊密な環境では一人が好きで突飛な考えを持った人は排除されるかもしれない。この群れが危機的な状況を迎えると、群れを統合したい、新しくて得体のしれないものを排除したいという傾向はさらに大きくなるはずだ。
すべての人が抽象的な概念を取り扱うようになるべきだとも思えない。第一に、現実世界にどんな影響を与えるかを全く気にしないで空想世界を現実に当てはめることには危険が伴う。また、この本が示唆するように、創造性と病的な状態は紙一重である。人類があまりにも創造的になりすぎたら、もはや正常ではいられないかもしれないのである。