2021年の衆議院選挙の分析が進んでいる。出口調査の結果などが出揃ったためだ。今日は二つの調査を見ながら色々考えるのだが「エビデンスベース」の分析の限界を感じた。日本人は本音と建前が乖離しており文脈によって意見が変わってしまううえに、自分たちが意識を変えているという自覚が全くない。
まず「文脈によって意見が変わる」ということを説明したい。給付金の話が出てきた時有権者は「税金を支払う」という観点から慎重意見を持っている人が多かった。ところが実際の支払い段階になるともらう人という観点で賛成する人が増える。つまり、同じ政策について役割と文脈によって意見を変えてしまう可能性がある。設問をいかに工夫しようともこの文脈の壁を乗り越えることができない。
その時の損得勘定で意見が決まってしまうのだ。
だがそれだけではないのだろうなと考えていたところ「維新の躍進はポピュリズムではない」とするレポートがBuzzfeedに上がってい流のが目に入った。これが恐ろしく込み入っていて結論がない。巷で言われている維新に対する分析は間違っていますと言っているが何か躍進の要因なのかという結論がない。
- 維新が大阪で躍進し自民党が全敗した。
- 維新はポピュリズム政党という批判があるがヨーロッパで使われる「理念的アプローチ」に沿って分析してもポピュリズムだというエビデンスが得られない。
- 政治家がポピュリストであることと政党がポピュリズムであることはイコールではない。つまり有権者がポピュリズムに反応しなければポピュリズム政党とは言えない。
- (ポピュリズム傾向のある)橋下徹の支持は低下し続けていた。
- むしろ維新の躍進の理由は大阪市と周辺自治体の調整提案にあるのではないか。
- 維新の支持は弱い支持であり色々な層に薄く広がっている。むしろアンチの方が強い拒否反応を示す。
- 維新が改革政党だから支持されたという言説にもエビデンスがない。改革は様々な政党が訴えているので維新が改革政党だけが支持されたとは言い切れないからだ。
- このナゾを解く鍵があるオンライン調査の「政党拒否度」だ。
- これまで共産党と公明党が嫌われてきたが、自民党に対する拒絶反応が伸びていた。
- 大阪で聞いたところコロナ対策失敗の責任は首相。内閣・首相官邸にあるという声が強かった。
- 大阪府知事の吉村さんへの支持は低下しなかったことから吉村府知事の対策は評価されていたことがわかる。
- 同じような傾向は他都市部(東京、愛知、兵庫)でも見られた。この層が離反し受け皿として選ばれたのが関西では維新だった。
- この調査は7月のものだが10月末の調査でも傾向は変わらなかった。
- 小選挙区と比例で異なる政党に票を投じるスプリットボートでもある特徴が出た。比例にだけ維新に入れたという人が目立った。
- だが維新が大阪から全国に浸透できるかどうかはわからない。
- 維新は複雑な過程を経て成立しているために直ちに全国組織を作るのは難しそうだ。
- 現在の選挙制度では地元に根を張っている政党が結局勝利する。大阪では維新が有力だったとしても直ちにそれを全国展開できない
- 物事は多角的に捉える必要がある。
なんとなく大阪で根をはることができたから受け皿になれたんだろうなあということはわかる。だが、維新はアンチも多く生み出している上に全国で同じような活動をするには巨額な費用と時間がかかるので大阪と同じことを全国で展開するのは難しいだろうなあといっている。
結局「物事には色々な視点があるよね」という結びになっていて維新の成功を教訓にできない。そもそもコロナに対する不満が維新躍進の原動力になっているだけとすれば次の選挙で維新はおそらく失速するだろうという結論しか得られない。
恐らく途中の二つを展開したかったのだが途中で折れたのだろうなと思う。その二つの要因のうちの一つはすでに指摘していた地方組織への浸透である。このブログではムラと藩という例えで複雑さを考察した。藩にあるムラからの支持を得ることで地域に浸透するという封建主義的な政治状況だ。
だが、おそらくもう一つの鍵は維新の支持は弱い支持であり色々な層に薄く広がっているという一文だと思う。
つまり日本の政治には
- ムラに属する既得権益層
- ムラを失った自由民
という二つの階層がありそれぞれに行動原理が違っているのだろう。前者を党派層と呼び後者を無党派層と呼びたい。ブログやSNSは無党派層の行動原理を元に成り立っていて党派層と連続性がない。そして党派層は縮小し続けている。
筆者はこれをあまり重要視していないようで、この文章にはこれ以上の考察がない。弱い支持というのは一体何なんだろうかということになる。
SNSの支持が必ずしも支持の拡大に繋がっていないという意味でれいわ新選組の例が挙がっている。つまり狭いところで局所的に盛り上がっているだけであるといっているのだ。一部の人たちが敵意をあからさまに盛り上がると却って周辺が引いてしまうということになる。分断された領域内だけで熱狂的に盛り上がっているといっている。
つまり無党派層の中にはノイジーな少数派がいる。
では無党派層のマジョリティは一体どんな人たちなのか。次に見つけたのが日経新聞が出口調査を元に書いた記事である。
- 出口調査の結果によって得票を補正すると……
- 40歳未満では自民党への支持が高い
- 一方で60歳以上だと自民党は単独過半数が維持できなかった
- また女性より男性の自民党支持が高かった。
- 農業が盛んな地域では自民党支持が回復した。
- 2017年にはTPPへの反発から自民党票が減ったとされていたのだが今回はそれが薄れたようだ。
- 近畿圏、神奈川県、福岡県では下落したがそれ以外の地域では得票数は増えた。
- 埼玉大の松本正生名誉教授によると30代は旧民主党への拒否感を持つ人が多い。
- 30代は民主党政権下で就職活動を経験した層だ。
- 20歳代はそもそも政治に期待していない。
- 高齢者は分配志向の野党を支持する。
- 都市部と経済的な影響を受けた女性層は自民党への反発を強めたようだ。
エビデンスを元に資料に当たれば当たるほど、何がなんだかわからなくなってしまう。そこで直感的に整理してみた。
おそらく既得権を守りたいという党派層は存在する。自民党を支持する農業従事者・公明党を支持する創価学会・赤旗を買って共産党を支持する老人・組合のいうことを聞いて「なんとか民主党」を応援するような人たちだ。TPP問題で一時自民党を離反した人たちなどはこの党派層なのだろうからグラデーションがあることがわかる。だが彼らは恐らく少数派である。
次にTwitter上で政府批判を展開するれいわ新選組支持者・護憲運動を展開する立憲民主党支持者などがいるはずだ。彼らも党派層に含まれるように思えるのだが実は無党派なのではないかと思う。彼らは「アンチ」で結びついている。つまり「誰かが嫌いだ」というのが行動原理になっている。
れいわ新選組からわかるように運動にはあまり広がりがない。それどころか蓮舫議員や辻元前議員が政府批判を繰り広げれば繰り広げるほど「いちいち反抗する小うるさい人たちだ」とい周りの人たちを遠ざける。
おそらく鍵を握るのは「弱い結びつき」の人たちだろう。これまでの分析を元にこの人たちの行動原理を探ると実に不思議な性質が浮かび上がる。
- 無党派なので「支持」ではなく「不支持」で行動する。
- だが何かに反抗する人だとも思われたくないので熱烈な不支持運動にも関わりたくない。
- さらに政党に連絡を取って支持者にされて運動に取り込まれることも避けたい。
日本の選挙はおそらく「落選運動」を中心に組み立てられているのだが、そうは言いたくないしそうも見られたくないという人が多いのではないかと思う。日本の選挙運動は共産主義・民主主義抑制の仕組みになっているため有権者は政治に関わらない。このためこうしたいびつな構造になっているものと思われる。つまり消極的支持ではなく消極的不支持が選挙を決めることになる。
「なんとなく嫌いだな」とか「なんとなく嫌だな」という人たちは取り立てて抗議をしてくれない。例えば「コロナ対策のここが気に入らない」と彼らが言ってくれれば対策のしようがある。だがそれをいってくれないために「実は気に入らなかったから票を入れなかった」という人が出てくる。
瞬間の風のようなものだから気にしなくてもいいということにもならない。
例えば松本正生名誉教授が指摘する民主党嫌いの30代は「就職活動の時になんとなく民主党が気に入らなかったからそのまま民主党を嫌いでい続ける」という可能性があるわけだ。最初の印象がその後の彼らの行動を支配する。彼らが民主党に抗議してくれればいいのだがそんなことはしない。だが何かにつけて「民主党政権は悪夢だった」などという意見に同調し支持者たちを冷笑する。
なんとなく嫌われたら終わりという減点型の政治構造なのである。
こういう構造だとアンケートで何を聞いたところで役に立つ回答は得られないだろう。
政治について質問すると感じることがある。「あなたはどういう理由で〜を支持しますか」という質問には回答がつかない。一方で「なぜ〜はダメなのですか?」については回答がつく。さらにそれが誰か個人を攻撃するものになるととても多くの冷笑的な回答がつくことになっている。何かに所属しない人は強い減点思考を持っていて自らも減点されることを恐れている。
下手に誰かを支持すると「アンチ」から攻撃されかねない。さらに主語を個人にすることも貴妃される傾向にある。ところが主語を「あいつ」にすると回答がつきやすくなり、集団より個人の嫌なところが目につくということになる。おそらくこれが帰属意識が低い消極的無支持層の政治へのアプローチなのだろう。
この砂状の有権者はグラノベッターのいうところの「弱い紐帯」そのものである。恐らく日本社会は流動化しつづけていて、今後も維新を押し上げたような弱い不支持が政治を動かすことになるのだろうと思う。