ざっくり解説 時々深掘り

そもそも「立憲民主党・共産党連携」などなかった

カテゴリー:

選挙が終わり立憲民主党が負け維新が躍進した。これについて「立憲が左傾化したために中道批判票の受け皿がなくなった」という評価がある。これを見るたびに疑問が湧く。関東では立憲・共産連携などなかったからである。日本人の自意識と行動の間に乖離があるんだろうなと思った。日本人は今でも藩・村の単位で生きているのであるが、自分たちはもっと現代的で立派な何かなのだと思い込んでいる。

そのあとで枝野幸男代表が辞任を表明し小川淳也さんが代表に名乗りを上げた。この小川さんの経歴を見て謎の一つが解けた。成功例がありこれを全国一律で展開しようとして失敗したようである。

今回の連携は失敗だった。では何が失敗だったのか。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






今回の選挙は面白くなかった。どっちが勝ってもどちらとも国会に行くからだ。つまりそもそも選択肢がなかったのである。小選挙区では立憲民主党の議員が勝った。総務官僚でJP労組から支援を受けている。ただ僅差で負けた自民党の議員も比例で救済された。

この「立憲議員」のポスターは千葉市長から千葉県知事に転じた熊谷県知事との二連ポスターだった。民進党が割れた時「早々に裏切ったくせに」と若干苦々しい思いで見ていたが自民党に入れるのも癪なので「どうせ自分が入れても大勢に変化はないんだろうなあ」と思い投票した。

この候補者は組織票を持っていてなおかつ地元の政界ともコネクションができている。熊谷千葉県知事は民主党系の市議だった人だが敵を作らず自民党も含めたオール与党体制で千葉市政を運営してきた。唯一の野党は共産党である。

市民団体のおばさまたちは熊谷県知事のファンが多い。若くて背も高いからである。おそらく物腰も柔らかかったのだろう。後継の神谷市長はそれほどイケメンではないのでどういう評価になっているのかが気になるところだ。

市民団体には社民党からも時々お願いがくるようだがあまり熱心には支持していないらしい。社民党はお願いを投げっぱなしだと彼女たちはいう。市民団体の女性たちは学習会にお付き合いすることはあっても実は政治にはさほど興味がない。ある意味サークル活動の一環になっている。共産党とはなんらかのつながりがありそうだがこれはおじいさんたちのネットワークである。おじいさんたちに波及効果はない。

この現象は隣の1区でも同じである。こちらはNTT労働組合の支援を受けている。域内にはJEFなどの大きな企業もある。つまり、労働組合の系列ができている。1区は中央区・稲毛区・美浜区をカバーする。つまり組織を抑えてなおかつ地元の政財界とも連携すると共産党の関与がなくても選挙に勝ててしまう。

千葉県知事選挙には千葉市緑区選出の弁護士・元県議が出馬した。緑区は3区である。3区は隣の市原市と同じ選挙区を構成していて自民党の議員を出している。松野博一という人なのだが、今回たまたま官房長官になった。だが、千葉の自民党議員たちはこの候補を推さずに熊谷知事を推した。100万票近い差がついたため「反党行為だ」という意見が出た。千葉市といっても緑区は蚊帳の外と言った感じだったわけだ。市原市がどうなっているのかはよくわからない。

地元の政治状況は「様々な村」から構成されている。土地整理組合だったり、労働組合だったり、市民団体だったり、PTAだったりと村の成り立ちは様々である。さらにこの村が複雑に結びついていて独自の人間関係で結びついている。これがまるで藩のような半ば独立した単位を形成しているというのが日本の政治状況である。

おそらく立憲民主党はさいたま市や埼玉県でも同じようなコミュニティを形成しているのではないかと思う。おそらく枝野幸男代表を中心にした藩である。ただ大宮藩はおそらく市民団体の関与が強いのではないか。これが枝野代表の元で市民団体との連携が進んだ理由になっているのだろう。同じような事情が菅直人さんの地元の武蔵野市などにもありそうだ。

今回の横浜市ではもともと菅総理・小此木八郎さんなどと一体だった藩が江田憲司副代表に「乗っ取られた」形になった。横浜のドンの個人的な感情の色合いが強い。血が通ったという言い方もできるしウエットで湿っぽいという見方もできる。こちらはこちらで全く違った藩が形成されている。

日本の政治評論は「日本は小選挙区制なので二大政党制を作らなければならない」というアメリカ型の政治を前提にしている。二大政党制を形成するものは政策なので「政策を前提とした」分析もなされる。そして政治家たちは地元の政治家も含めてこの二大政党制を前提とした発言をしそれが報道される。

一方で巷の政治評論を見ていると東西冷戦・55年体制型の「保守対リベラル」とか「右翼対左翼」という分析が多い。このフレームは漠然としていて明確な定義がないがなぜかみんな知っている。過去の歴史的経緯が固着したものなのだろう。日本は自由主義陣営から東側を見ていたので共産党と社会党の区別がついていなかったりもする。

ところが実際に日本人は全くそうは行動していない。まず村がありそれが複雑な人間関係を基にした藩のような組織を作っている。関東近隣を見る限りこの藩に共産党は入っていない。共産党は日本では珍しい「ちゃんとした」政党だ。元々は共産党の国際組織がありその支部だった。マルクス・レーニン主義という共通理念がありそれに基づいた政策がある。ところが共産党は「頭でっかち」であり村や藩を前提にしたネットワークには入れない。

枝野さんは地元では「藩を作ったところが小選挙区で勝つ」ということがわかっていたはずである。江田憲司代表代行もそのことがわかっていたはずだ。実際にそう行動して成功しているからだ。関東には共産党連携という文化はなくその必要性もなかった。

このためおそらくどこかの成功例を見て無理やり全国展開しようとして失敗したんだろうなと感じた。藩単位でガラス細工のように共産党を組み込むことはおそらく可能だったのだろう。ただ、どこでその成功例を見たのか?というのがわからなかった。

今回小川淳也さんが代表選挙に名乗りをあげると聞いた。テレビで「維新と連携できなかったことが失敗だ」と言っていたので、今度は維新と接近してますます立憲民主党が混乱するのではないかと思った。だがWikipediaで調べてみると「共産党と連携することで当選ができた」というようなことが書かれている。ローカルで政策協定を結んだようだ。もう少し調べて見ないとわからないがこれを中央に展開しようとして枝野さんは失敗したんだろうなあと感じた。

仮に小川さんが代表になり上から維新との連携を模索すれば立憲民主党はさらに混乱するだろう。藩の連合体から現代政党になりきれておらず上からの統制ができないからである。もちろんこの状態で政権は取れない。

問題点が明確になれば解決策は見つけられるのだろうが、現在の議論を見ているとそもそも総括ができていないようなので先行きはかなり険しいんだろうと感じた。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です