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アメリカでカバに人格が認められたと言う話

選挙期間に入り選挙以外の政治ニュースがなくなった。仕方がないので別のメディアを巡回してニュースを探している。ハフィントンポストに「「カバは法的に人間」アメリカ初、動物の法的権利を認める司法判断が示される」と言う記事があったので研究してみることにした。

1993年にコロンビアの「麻薬王」パブロ・エスコバルが残した遺産の一つに4頭のカバがいた。オスは1頭だったそうだ。そのカバの子孫が100頭近くに増えている。30年近く放置していた上に天敵がいないので増えてしまったらしい。カバと言うと大人しそうなイメージがあるのだが実は大変凶暴な動物で人を襲うこともあると言う。天敵がいないためにこのままでゆくともっと増えるのではないかと懸念されているそうだ。

そこでコロンビアの当局はカバを殺そうとした。コロンビアでは動物を主体にした裁判が起こせるそうでカバを原告とした裁判が行われた。裁判所は避妊薬を注射してカバの生殖を抑制するように裁定した。

ところが動物愛護団体(ALDF)がこの避妊薬が非人道的であると言う理由で「別の避妊薬を使うように」と言う運動をやっている。ALDFはカバを守るための証言がしたいのだがコロンビアの法律ではアメリカ在住者が証人にはなれない。そこでアメリカで裁判を起こした。だがアメリカではカバが法人格を持っているかどうかということが曖昧だった。

そこでオハイオ州のある地方裁判所が「カバには法的人格がある」と認める判決を下したのだそうだ。

そもそもコロンビアではカバ(つまり動物)を原告として裁判を起こすことができる。すでにルイス・ドミンゴ・ゴメス・マルドナード弁護士が裁判を起こしている。一応判決が出て駆除でなく避妊薬を使うと言う判決が出たそうだ。だが、使われている避妊薬はマルドナード弁護士が求めていたものではなく安全性に懸念がある避妊薬使われている。ALDFはこの裁判に参加したいが「アメリカ在住」のためにコロンビアの裁判に参加できない。そこでアメリカで裁判を起こしたということになる。

なんとなくロジカルにスムーズな判決のようだしかわいそうなカバを救いたいと言う気持ちもなんとなくわかる。だが「いや待てよ」とも思った。そもそもなぜアメリカ人がコロンビアのカバ問題に介入しようとするのか。

このニュースを読んでもそもそも背景にある理屈がよくわからない。アメリカで裁判を起こして「この避妊薬は安全じゃない」と言う結論が得られたところでコロンビア当局にオハイオの地方裁判所が何かを命じることはできない。つまり意味のない裁判でしかない。

別の記事を探して読んで見た。

NewsweekではALDFの主張が読める。そもそもアメリカに外国の訴訟関係者が米国内で証言する権利を認めているのだそうだ。これが何のための制度なのかということはわからないが、とにかくALDFはこれを根拠にコロンビアのカバ問題に介入しようとしているらしい。

米国の法律は、外国の訴訟の『関係者』であれば誰でも、連邦裁判所に対して、外国の訴訟を支援するために米国内で宣誓証言を行う許可を求めることができると定めている

アメリカの裁判所が「麻薬王のカバ」を人間と認める歴史的判断

それを根拠にALDFは「アメリカの法律は外国の問題についてアメリカ人が口を挟む権利がある」と主張している。

ALDFの事務局長スティーブン・ウェルズは、「今回の判断は、カバたちには米国から証言を求める法的権利があることを認めたものだ。動物たちには法的強制力を伴う権利がある。これは動物保護の歴史における重要な節目だ」と歓迎する。「動物には、虐待や搾取から自由になる権利がある。アメリカでは裁判所が動物の権利を認めないため、既存の法的保護を実行する妨げになってきた」

アメリカの裁判所が「麻薬王のカバ」を人間と認める歴史的判断

この理屈で言うとアメリカ人は中国の人権問題についても中国の裁判さえあればアメリカから証言することができることになる。また日本でイルカが訴訟を起こせば(もちろん日本ではそんなことはできないわけだが)それにも介入してくるだろう。

つまりアメリカ合衆国は「他国の主権である裁判に自国民が踏み込んでもいい」というめちゃくちゃな法律を持っていることになる。

「自分がいいと思ったことは堂々と主張して相手を説得すべきである」と考えるのがアメリカ人である。だがこの考え方は東洋人には非常に押し付けがましく感じられる。日本人は中国問題ではアメリカに介入してほしいと考えるが、自分たちの問題(例えば鯨食や馬食などの伝統文化)で同じことをやられると「勘弁してほしい」と考える。

また「自分の理想のために社会運動をしたい」と言う気持ちは深刻な社会分断を生んだりする。

例えば中絶の問題もそうだ。1973年にロー対ウエイドという裁判があった。原告は匿名だったためにジェーン・ローと呼ばれていた。

のちにノーマ・マコノビーという女性だったことがわかった。活動家たちは「自分たちが救い出すための対象」が欲しかっただけなので裁判が終わるとマコノビーさんをぞんざいに扱うようになる。つまりマコノビーさんを救いたかった訳ではなく単に利用したかっただけなのだ。

経済的にも困窮し友達としても扱ってもらえないという状態だったために中絶反対の勢力が近づいた。マコノビーさんはクリスチャンになり中絶反対運動に参加するようになったそうだ。彼女もまた友達として扱ってくれる仲間を求めていたのであり女性の権利には特に関心がなかったことになる。

こうしていつ終わるかわからない中絶賛成反対の運動は今でも収束の気配がない。最近では中絶禁止への揺り戻しの動きさえあるそうだ。

もっとも運動体の狙いは別のところにありそうだ。アメリカ国内の動物園で飼育されている動物たちの解放運動を行なっているらしい。例えばニューヨークで飼われているハッピーという象を救いたいそうだ。こうして各地の動物たちを救うためには動物に人格(人権ではないが)があるということにしたい。この裁判もその一環として利用されているだけということになる。

専門家たちは、この歴史的な判決が、ブロンクス動物園に暮らすゾウのハッピーなど、ほかの動物たちの法的権利を巡る訴訟の判例になると考えている。フロリダ州の動物権利擁護団体ノンヒューマン・ライツ・プロジェクト(NhRP)は2018年から、ハッピーに法「人格」を与えるための訴訟を起こしてきた。ニューヨーク州控訴裁判所は2021年5月、この審理を行うことに同意した。

アメリカの裁判所が「麻薬王のカバ」を人間と認める歴史的判断

動物や環境は文句を言わないため「何かを助けたい」と考える人たちに利用されやすい。アメリカの活動家たちはアメリカ国内の問題だけに飽き足らず海外の動物も「救いたい」と考えているのだろうが、実際には一致団結して取り組める大きな問題を求めているだけなのかもしれない。

アメリカの扱う人権問題が問題の解決を導き出すことが少ないのは、おそらく社会運動の目的が他人の救済にはなく自分たちの道徳的充足感を満たすために使われるからだろう。そしてその根本にあるのは国内の同種の問題である場合も実は多いのだろう。外国の問題はその投影に過ぎない。つまりアメリカ人はウイグル人の人権には特に関心がないかもしれないし、和歌山のイルカにも興味がない可能性があるということになる。

特にアメリカ人は自分たちは世界最高水準の人権意識を持っていると信じている人たちが多く、外国の事情に介入したがる。

ただ「自分たちは世界最高水準の人権意識を持っている」と信じ込んでいるアメリカ人を正面から否定すると彼らは「声の大きさや圧力が足りないのだろう」と圧力を強めてくる傾向がある。だから中国のように正面から対立するのは得策ではない。

同盟国として付き合って行かなければならない日本のようになんとなくごまかしながらニコニコしているのが最も賢い付き合い方なのかもしれない。

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