国会の代表質問が始まった。枝野代表はありもしない枝野政権を夢想し甘利幹事長は手をひらひらさせて変な抑揚で岸田政権を褒め称えていた。途中で甘利さんの軽薄さが辛くなってきた。追い討ちをかけたのは辻元清美さんだった。口汚い言葉で自民党政権を罵っていた。誰もが感情をあらわにし「何かをごまかそうとしている」ように見える。
この混乱ぶりをみて「いったいこれは何なんだろうか?」と思った。おそらく国会が解決策を提供できなくなっているのだろう。小選挙区制のもとで単に多様性を失った日本の議会政治は末期に向けて走り出している。そんなことをぼおっと考えていたのだが「米価の安定」についての言及があった。誰がどんな文脈で語ったのかは忘れた。
少し調べてみたのだが結構大変な問題のようだ。何よりもどう解決していいのかわからない。
適当に検索したところ河北新報の記事が出てきた。3連作で米価下落について書いている。米価が下がっている。特にブランド米の下落傾向が強いようだ。関東地方のコメが下がっているので東北も競争上下げるしかない。飼料米への転作もやったが追いついていない。在庫量も増えている。卸は保管経費がかさむという。このまま米価が下がり続けると法人農家も設備投資計画を見直さなければならない。もう個別の農協では対応できない。国が出てきてなんとかしてほしい。
まさに悲鳴だ。
この記事だけを読むと「コメの値段が下がるのは消費者にはいいことなのではないか?」と思う人が出てくるのではないかと思った。
実は小麦の値段が上がっている。こちらは2021年10月から値段が上がっている。こちらはもっと複雑である。とうもろこし価格が高騰している。説明がないので「干魃」が影響しているようであると思ったのだが実はバイオ燃料として売れているらしい。飼料用小麦が相対的に安くなったため需要が増えて全体価格が上がった。特に中国がアメリカやカナダの小麦を買っているらしい。ここにアメリカ・カナダで干魃が起きた。さらに海上運賃が上がった。コロナウイルスが影響しているようだ。コロナ禍の影響から経済は回復しつつあり船が足りないらしい。さらに為替も円安傾向に触れている。
気候問題・ウイルス・中国のとの関係・バイオ燃料などありとあらゆるパラメータが連動して小麦の値段が上がっている。
コメの価格は下がったのだから小麦をやめてコメに移行すればいいではないかと思う。だが実際に小麦を食べていた人がすぐさまコメに移行することはできない。
コメは調理に時間がかかる。またおかずを揃えなければならない。ほんのちょっとしたことなのだが、このちょっとした手間もコストになる。高度成長期のように専業主婦が多ければ大した手間には感じられないのだろうが家事の担い手たちも忙しくなっている。すぐさま米飯中心の生活に戻るのは難しいだろう。
貧困対策としてコメを支給するという方法はある。だがコメだけ炊いても対策にならない。おかずを準備する労力が必要になる。つまり大規模にやると国営の給食センターが必要になるのだ。
それでも外食を中心にコメは食べられていた。外食産業は米飯炊飯やおかず調理を工場化したりして調理コストを抑えてきたのではないかと思われる。外食産業がなくなることでこうしたコストカットが無効になると「コメは安いがコメ中心の食事を準備は割高になる」というような状態が生まれるのかもしれない。
社会・環境変化が大きすぎて人々の意識転換が追いつかない。もちろん設備計画も追いつかない。こうなると潮流変化というよりは変化の津波である。
津波はなぜ起こるのだろう。国際的な巨大な計算機が毎時毎秒計算を繰り返している。その結果を受けて人間は右往左往しているのだ。実は計算の結果なのだが受け取る我々からしてみるとランダムで不確実な状態にしか思えない。そして変化の幅はとても大きい。
ここまで考えてくると国会がこうした変化に対応できない理由がわかってくる。計算が追いつかないのだ。
岸田政権は所得倍増計画を現代に蘇らせようとしている。すでに勉強したように所得倍増計画は基本的には成長を予測した計画経済の導入だった。これを「成長と分配の好循環」と言っている。最初のポイントは基礎になっているアベノミクスによる経済成長が本当にあったのかという検証である。おそらく大方の人が予想しているような製造業の成功などではなく利子収入の増加による資本の蓄積のことなのではないかと思われる。ところが今回問題になっているのは「そもそも複雑化している環境変化に計画経済が成立し得るか」という問題だ。そしておそらくその答えはノーだろう。バッチ処理で自治体から情報を集めてくればよいワクチンの接種状況すら把握できない。市場の変化に対応して即座に計画を立てることなどできそうにない。
この問題を解決することができる(かもしれない)手法自体はいくつかある。
- 複雑さを減らすために経済系を閉鎖する。
- 鎖国する。
- コメや小麦を国際経済系から切り離す。つまり国産化する。
- 複雑であることを認めて政府は統制と保護を諦める。
- 経済予測だけを出す。
- トランジションがうまくゆくように職業訓練や貸付などを行う。
- 国営の貧困対策として給食センターなどを作る。
- 計算能力を格段に高めるためになんらかの行政技術革新を行う。
ただ、この問題の社会化ができないのではないかと思った。
ここまで長々とこれについて書いてきて少し絶望的な気分になっている。そもそもロジックで問題を解決しようとする人はそれほど多くないらしい。変化に対応できていないことは自明だが(つまりいちいち説明するまでもない)多くの人はそう思っていないようだ。このため「論理的な結論を出すため」の論拠をあげてみたのだが実に回りくどいものになってしまった。
さらに説明が長くなればなるほど別の複雑さが加わる。実際に人々がどう反応するのかということを観察していたのだがどうやら「様々な例えや事象」に色々な連想が働いてしまうらしい。その連想に基づいて想像が働き論理的なゴールが何処かに消えてしまってしまう。
さらに実際に問題を解決しようとすると「その意思決定は損かトクか」とか「好きか嫌いか」という別の要素が働く。
岸田政権も対応する立憲民主党も基本的には「国が計画を立ててそれを実行することで経済を安定させよう」としている。人はこれをリベラルというらしい。リベラル政策の見せ方にはふた通りあり「あたかも対立するように」見えてしまうのだが実は同じことをやっている。源流を探ると資本主義の修正である。どちらも「マルクスの子孫」だ。だが人によって好き嫌いが分かれる。
- 弱者に注目すると「左派的」と言われる。個人に注目しているので社会民主主義と言われる。
- 実は安全保障や強靭化なのですよと説明すると「右派的」と言われる。集団主義的な社会主義なので「国家社会主義」と言える。
どうしていいかわからないと無条件の礼賛か無期限の非難のどちらかに回帰してしまうのだろうということがわかる。いずれにせよ、この状態だけで現象だけを見つめても問題の社会化はできない(観測地点で見え方が全く違ってしまう)ので、とにかく安全なところに逃げるしかなくなってしまうのだろう。例えて言えば常に地震が起こっていて津波が頻発しているような状態だ。
今の所、岸田政権は農家に対しては「コメの市場隔離」を約束しているようだ。備蓄米を買い入れることを市場隔離と言っているようである。自民党の重点政策としては「農業を成長産業にしますよ」と言っているが第6次産業化など昔から提唱されているが問題が解決したという話は聞かない。さらに国会答弁ではコメを買い入れて子ども食堂に配るなどと言っていた。だがブランド米を安い価格で買い入れても配給のための施設を作らなければ大規模な買い付けにはならない。つまり米価維持にはつながらないだろう。