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情報発信しない総理と逼迫する現場

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千葉市消防局に電話をした。対応してくれた課長補佐は「現場の人たちは激励を聞くことが少ないので電話があったことを伝えておきます」と言っていた。いろいろ考えさせられることが多かった。

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まず電話をした動機から説明したい。朝日新聞で「救急の現場では入院先が見つからず帰らざるを得ない人たちがいる」と書かれている記事を見つけた。一方で「テレビでは騒ぎになっているが本当に医療逼迫など起きているのか?」という人たちもいる。そこで過去の搬送できなかった事例と最近の事例の数を比べれば何かわかるのではないか?と思った。

千葉市は政令指定都市なので独自の消防局を持っている。また総合広報がなく各部局の名前がウェブサイトに掲示されている。各々が問い合わせや取材を受ける構造になっているのだ。そこで「救急の現場担当者」として紹介されたのがその課長補佐だった。新聞記事に名前が出ている人だった。

まず「統計資料はない」という。忙しいのに手間をかけてもいけないと思うので統計がないということを聞いたら電話を切ろうと思ったのだがかなりいろいろなことを教えてくれた。この課長補佐はそもそも「数字や統計でしか情報が伝わらない」ことに違和感を持っているようだった。現場の抱える逼迫感が伝わりにくいと考えているのだろう。そもそもここが第一印象と違っていた。現場は逼迫感を細かく伝えたい。だが話を聞く方は「おそらく読み手は数字やインパクトのある情報しか興味を持たないだろうな」と感じる。ここで期待と認識がずれてしまう。

マスク

まず、「搬送できないという事例は通常でも年に何回か起きている」そうだ。だが、今年はそれが毎日数件起きているという状態だという。逼迫とは言えるが崩壊とまでは言えない。かろうじて対応はできているからである。また、崩壊を食い止めようとしているので逼迫して緊張した状態が続く。いつまで頑張ればいいのかが誰にもわからない。

本来新型コロナ患者の病院の振り分けは保健所がやる。だが保健所はすでにパンクしている。支援する県のセンターがあるそうだがこれももう思うように動いていないそうだ。

消防局では知見が溜まってきていて救急隊員でもコロナ患者にある程度対応できるようになっている。だから自分たちで「あたりをつけて病院を探している」そうだ。一回の出動が何回分にも相当するのだが時間ではなく回数でカウントされる。さらにいえば「病院にかけて断られた回数」も記録して報告しなければならない。これも膨大な数になる。そうして数だけが一人歩きしてしまうのである。

だが、新聞報道はどうしても回数の話になってしまう。この話を聞いてから新聞記事を読み直すといろいろなことがわかる。

まず朝日新聞の記事から見てゆく。

千葉市では、コロナ患者の搬送先が見つかるまで、救急隊が59回照会電話をかけたり、3時間以上かかったりするケースが出てきた。

記事を読むと数だけでびっくりしてしまうケースだが、実際には「出動回数自体も伸びていて」かつ「一回の稼働時間が伸びている」ことが問題だと読み解くべきだということがわかる。出動している間は救急車が占有されていて他の人たちが使えない。だが、実は調整にあたるべき保健所や県も逼迫している。だからこれを読み取った国側は「消防署の負担を減らすために一時引受先を作るべきだ」と考えるべきだということになる。

さらに救急隊員が応急措置を担っていることもわかる。最近話題になっている酸素ステーションの話が出てくる。

呼吸困難など中等症以上の患者でも搬送先がなかなか決まらず、「現場に滞留する救急車が酸素ステーションになっている」という。

酸素センターを作っても治療の役に立つことはないのだが少なくとも救急隊員は「ここに運び込んだら次に行ける」ようになる。

ただ「酸素ステーション」がゆくあてのない患者のゴミ捨て場のようになってしまう可能性もあることがわかる。つまり消防署員が効率よく患者を送り込めるようになっても治癒の見込みがなければ患者は酸素ステーションに滞留するだけなのだ。酸素を吸入したからといってコロナが治癒するということはない。結局病院に転院しない限り問題は解決しないのである。結局「総合的な体制をどうするのか?」という話になる。おそらく酸素ステーションを作ったら次はなし崩し的に「そこで治療もやろう」という話になるはずだ。

だがそれでも現場には「医療崩壊」という感覚はないようだ。目の前に患者がいるのだから「もう何もできません」というわけにはゆかない。おそらく「崩壊」してしまった方が楽なのだが崩壊させられないという事情がある。逼迫しているが崩壊していないからまだ大丈夫なのだとは言えない。

朝日新聞の記事はよく書けているとは思うのだがこうして実際に話を聞いて見ないと担当者の金箔は伝わらない。今回はたまたまこの記事を取り上げたのだが新聞記事を読んでいちいち担当者に話を聞くわけにはいかない。おそらく全ての記事の裏側には担当者の本当に伝えたかったことがあるのだろう。

この課長補佐はTBSの取材にも答えている。こちらは危機感を演出するために「もう諦めます」とか「限界に近づいています」などといっている。医療崩壊寸前であると言いたいのだろうが、おそらくは現場の感覚とは違っている。

こうした声を聞いてから菅総理の会見を見直すとやはり腹が立ってくる。菅総理は「感染拡大を最優先」と発言し内閣官房もそのままの文章を載せていたそうだ。菅総理だけでなく内閣官房も総理の言葉にそれほど重みがあるとは思っていない。どうせ誰も聞いていないだろうと考えているのだろう。救急隊員は「今すぐ酸素吸入を」と毎日切迫した現場にいるわけだがそうりは「そのうちにセンターを作ります」と呑気に語っていた。さらに薬を先出しできる体制にしたと胸を張った。これも実際にはそんな体制にはなっていないそうである。

政治はおそらくそれほど切迫した感情を持っていないのだろう。彼らが心配しているのは目の前の選挙のようだ。自民党と公明党はリモートで意見交換ができないので5人で食事をしつつ密談したようだ。党利党略で解散戦略を練りたい二階幹事長に対して公明党は疑心暗鬼に陥っており「直接食事をして確認する必要がある」と思っているのだろう。目を見て腹の探り合いをしないと安心できないというわけである。

しかし、消防局に話を聞いてから事情は急転した。すでに自宅待機で死亡者が出ていた千葉県内では柏市で妊婦が自宅出産したが新生児が助からなかったという事例が出てきた。とても可哀想な事例なのでおそらくこれで騒ぐ人が出てくるだろう。あるいは「消防は何をやっているんだ」という人も出てくるのかもしれない。現場の広報努力とは全く別のところでショッキングなニュースが取り上げられそれだけが話題になってしまうのである。

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