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教育関係者がウイルスよりも恐れるもの

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日本人は空気に怯えて生きている。緊急事態宣言祭発出でそれがよくわかる出来事があった。まん延防止等重点措置から緊急事態宣言に切り替わったので強いメッセージを出さないのか?と聞いて回ったことがあった。人々が口々に恐れていたのはウイルスではなかった。興味深いことに誰もその存在にすら触れたがらないのだが明らかにそれを意識して話しているというものがあった。それが世論だ。最初の緊急事態宣言では学校や公民館などが閉じられた。それが再現されることを恐れている人が多いのである。

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人流を抑えるために強いメッセージを発信してもらいたいと感じる人は多い。だがそれと同時に強いメッセージが過度の自粛ムードにつながることを恐れている人たちもいる。学校や幼稚園の閉鎖や公民館などの公共施設の閉鎖につながるからだ。人には移動しないでほしいが自分たちの活動が制約されるのも嫌なのだ。そこで損得勘定を働かせようとして何も言えなくなってしまうようだ。

特に首都圏は「地方から煙たがれる側」なので活動制約を嫌う人が多い。むしろ今強い宣言やロックダウンなどを求めているのは地方だろう。自分たちの迷惑になるから都会の汚れた人たちに入ってきてもらいたくない。

子供の権利が建前になっているのだが、教育関係者が休職させられたり父母が会社に行けなくなったり自分たちが施設を使えなくなるといった権利意識や生活防衛意識とリンクしている。つまり子どもの権利保護は建前にすぎないことになる。

このためダブルバインドに陥り結論が出せなくなる。つまり人流を抑えて医療関係者の負担を減らそうという正解をいわなければならない気持ちと同時に世論が沸騰して自分たちの権利が抑制されることを恐れる気持ちがある。日本人は他人を信頼しないので正解だけを言い続けなければならない。だが正解を選んでしまうと自分にとって得か損かわからない。そういう気持ちが働くようだ。

政自分以外の人間はバカで情報に踊らされて何をしでかすかわからない。だから人々は非難の対象にならないように自粛して来た。学校関係者や幼稚園関係者たちも同じような気持ちを持っている。感染が拡大して人々がパニックに陥るとおそらくその矛先が教育機関に向かうであろうという確信がある。

一般の国民は「誰に攻撃されるかわからない」という不信感から黙ってマスクをして東京と地方の往来も自粛して来た。だが高齢者がワクチンを打ったからもう大丈夫だとか、政府もオリンピックをやっているからもう自分たちだけが我慢しなくても平気だということになりつつある。ウイルスの脅威はむしろ増しているので去年よりも強い自粛をしなければならないがそうはならない。

日本人にはウイルスよりも他人の目と非難のほうが何倍も怖いのである。

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