先日イスラエルの話を書いた。このブログは政権に批判的な人が読んでいる率が高いと思うのだが「イスラエルなんか関係ない」と考える人が多いのではないかと思う。確かにそうかもしれないのだが実はかなり重要な動きが起きている。
イスラエルについて考える前に上川法務大臣の「個人として謝罪」について見てみよう。上川法務大臣は名古屋の入管施設で収容中に亡くなったウィシュマ・サンダマリさんの家族と面会した。個人としてお悔やみは言ったが政府としての対応は拒否した。ニューヨークタイムズはこれを日本の内政問題としつつ日本は有色人種を差別していると伝えた。政府が公式見解を出さないと各国のメディアは自分たちの国の文脈を乗せて勝手に解釈を始めてしまうのである。「こんな解釈になってしまうのか」と記事を読んで驚いた。
イスラエルがガザ地区を攻撃した。マスコミの入ったビルを空爆して破壊したのだが通告は1時間前だった。おそらく攻撃の背景には後がなくなったネタニヤフ首相とリクードの思惑がある。つまり政局を有利に持ち込むために戦争を仕掛けているのだ。これがジャーナリストたちから反発を受けている。
AP通信は「イスラエルはガザの取材拠点を奪うことで情報が外に出ないようにしたがっているのだろう」と言っている。CNN経由で独立調査を要求した。イスラエル政府が信頼できないと言っているのだ。バイデン政権もこれを深刻に受け止めておりイスラエルにジャーナリストを保護するように訴えている。
だが仮に政局からパレスチナ情勢をエスカレートさせようとしているとしたら、おそらくイスラエルはアメリカのいうことなど聞かないだろう。やけになって暴れ出した可能性もある。実際にイスラエル政府はいつも見捨てられる不安からアメリカにとって厄介な行動を引き起こしてきたのだと分析する人までいる。この記事はイスラエルを「別れたくないからと言って騒ぎを引き起こす厄介な恋人」に例えている。
アメリカには大勢のユダヤ系がいて選挙に重要な役割を果たしている。アメリカとしてはイスラエルの政権を見放すこともしたくない。だが明らかに国際世論はイスラエルに批判的でありハマス=テロリストという図式が成り立たなくなりつある。こうやってアメリカの愛を確かめているのかもしれない。だがアメリカの内部からも「もう見放してもいいのではないか」という声がではじめた。自国の通信社が攻撃されたのだからそれは当然だろう。
アメリカの国務長官はテロリストはもちろん許せないが「イスラエルは民主国家として状況を沈静化させる責任がある」と発信した。おそらくこれがアメリカ合衆国が言える最大限のことである。
中山防衛副大臣の不規則Tweetも個人のものとして扱われた。おそらく今の政府は政府見解が出せないのだろう。防衛副大臣の発信は日本政府が国際世論に疎いかを宣伝してしまっている。特にイスラム圏の反発は大きい。日本の国益上中山副大臣を更迭しないことは日本はイスラムを理解するつもりなどないのだという強いメッセージになっている。
ラマダンの期間を狙って第三の聖地であるモスクで強い取り締まりを行うのは、例えていえば正月三ヶ日に初詣客がいっぱいの神社に催涙弾を打ち込むのと同じような暴挙である。これを政局のためにやっているわけだからイスラエル当局に非難が集まっても当然だ。
日本の防衛省はその程度の国際世論も読めないダメな組織だということになり菅内閣はこれくらいの総括もできないダメな内閣なのだということになってしまう。だが日本政府批判にはならない。むしろ相手の好き勝手に解釈されそのまま流布してしまうのである。
菅総理の不在は自民党の中では菅総裁の不在ということになる。脳死状態は自民党側にも及んでいるようだ。
岸田元政調会長が1.5億円の用途を明確にするように申し入れた。自分の裏庭が荒らされたのだからこれは当然である。だが党を預かるはずの二階幹事長は「俺は知らない」と返事をしたようだ。当時の選対本部長がやったと言っているそうだ。記事によると二階幹事長はそれ以上のことを言わず林幹事長代理に「甘利さんに聞いてくれ」と説明したようだ。甘利さんは1ミリも知らない、いや1ミクロンも知らないと否定して見せた。きっと知っているのだろう。
だが、総括できない。これまでこうした問題を仕切ってきた菅総裁の意思決定がないからだ。だからごまかし続けるしかない。
説明ができないと公の場で自白しているのに等しいのだが、この問題が消えてなくなることはないだろう。総括しないことで広島の地方組織は怒っているそうだ。地方とのパイプラインが壊れかけている。
地方組織が壊れている兆候は他にもある。徳島県では後藤田正純議員を公認しないように二階幹事長に申し入れたそうである。知事と県議会の馴れ合いを批判した後藤田さんに反発した県側が後藤田外しを狙っているのだそうだ。新型コロナ対策では県知事の能力の差がかなり広がっている。リーダーシップを発揮する都道府県知事がいる一方で全く表に出てこない県知事たちもいる。飯泉嘉門知事は自治省出身で保守に担がれる格好で知事になったそうである。「馴れ合い」批判が出るのはわかる気がする。
おそらく菅総理はもはや内外の諸問題にあまり関心を持っていないのだろう。どうせ政権が続かないのなら色々気にしても仕方がない。閣僚の個人的な発言は国際世論の反発を招きかねない。また党務の混乱は地方からの離反を招くだろう。今後どのような動きが出るのかに注目したい。