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コロナのない世界を想像してごらん

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塩野義製薬がワクチンと治療薬の目処をつけたそうだ。この記事をどう解説しようかなと思っていたところ、ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞が思い浮かんだ。想像することで見えて来るものもあると思ったのだ。

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現在、我々が大騒ぎしている理由は菅総理が見込みのないままに突っ走っているからである。まずそれを止めよう、菅総理を辞めさせようというのが私の提案だ。でも次がいないではないかという声が出そうである。だが、次の人は凡庸な総理で構わないのではないかと思う。

塩野義製薬がワクチンと治療薬の目処を立てた。ワクチンは12月までに完成しそうで経口薬も4月までにできそうなのだという。これを「よかったよかった」と紹介している記事が複数件あった。だがよく読んでゆくと「治験がきちんと済めば」という条件がついている。つまり塩野義製薬の社長は「治験のプロセスを簡略してくれ」と言っている。これは世論に訴えかけるための記事なのである。

このプロジェクトには二つのリスクがある。一つは塩野義製薬が予定通りにワクチンと治療薬を完成させられないリスクである。おそらく政治的プレッシャーのない塩野義製薬は単に経営的にこのリスクを計算しているだろう。これをprobabilityという。probabilityは根拠のある類推で構わない。これをscientific wild guessというのだが、英語のWikipediaはSWAGという項目で説明している。

日本人は「科学的アプローチ」というと100%を求めたがる。だが新しいものには根拠はないのだから人間がカンで類推するしかない。これをできるだけ科学的に管理しようとするのがSWAGである。科学は100%安全だというのがそもそも思い込みなのだ。

ところが製剤にはもう一つリスクがある。それが予期せぬ薬害リスクだ。こちらはそもそも計算もできない。

血友病の非加熱製剤がエイズウイルスを媒介したことがある。薬害エイズ事件として知られている。血友病の権威が主導した研究だったが厚生労働省の官僚と一緒に裁判に巻き込まれた。結局うやむやなままで無罪判決が出てしまう。この薬害エイズ事件の結果人々は「何かあっても政府は責任を取ってくれない」と感じるようになった。これがワクチンをめぐる不信感にもつながっている。

同時に厚生労働省も面倒なことには立ち入りたくないと考えるようになる。日経新聞はこのことを問題視しており「必然だったワクチン敗戦 不作為30年、民のはしご外す」という記事を出している。塩野義製薬社長のコメントもこの文脈から厚生労働省と政治にプレッシャーをかけたい意図があるのではないかと思う。厚生労働省には期待できないにせよ、政治が「よしわかった、責任は俺がとる」と言ってさえくれれば良いのである。

薬害エイズ事件には「権威者が関わると誰もそれを止められなくなる」という別の問題もある。透明性のある第三者が監督し「問題が生じたら早めに火を消す」というリスクコントロールが重要である。日本人はこれも苦手だ。

だが、この一連の議論はテクニカルでわかりにくい。

そこでどうやったら響くのだろうか?と思った。

まず塩野義製薬のワクチンと製剤がうまくできた世界を想像してみる。それはおそらくは2022年の4月ごろになるだろう。その頃から2021年を振り返ると「半年くらいでコロナが収束するんだったら何も慌ててオリンピックを中止することもなかったし、経済を止めて大人しくしてさえいれば電話回線が止まるほどワクチン接種でパニックになることはなかっただろう」と感じられているはずである。つまり、日本人は本来しなくていい苦労をしている。

もちろん、このシナリオには二つのリスクがある。一つは塩野義製薬がプロジェクトを完成させられなかったリスクである。もう一つはワクチンで副作用が出たり塩野義製薬の瑕疵で重大な問題が起きたケースだ。おそらく塩野義製薬一社でこの補償をするのは難しいだろう。

あとはこの理想にどれだけ近づけるように社会が頑張れるかということだ。ここが国政の出番だ。泣きながら折れたバットを振り続けている菅総理にはもう届かないだろうが、自治体を差し置いて自衛隊にワクチン接種センターを作らせるのは国政の仕事ではない。

塩野義製薬はいったいどれくらいの確率で成功するのかということを算出しているはずだ。何故ならば投資を管理するのに必要だからである。失敗するか成功するかわからないプロジェクトに金は出せない。経営者は結果責任なので常に確率上のプレッシャーにさらされている。もちろん他にもアイディアを持った企業はあるだろう。

おそらく総理大臣の役割はまず塩野義製薬と外部の指揮者を呼んでこれらの確率について情報を聴取することだろう。

見込みがついた世界と3ヶ月先も読めず中途半端な対応を繰り返し体力がじわじわ奪われる世界がある。さてどちらを取りますか?ということだ。答えは明確なように思える。

やがて終わりが来ることはわかっている。であればあとはジタバタしないでその時を待ったほうがいい。いったん経済が止まったら医療現場の負担は減るだろうから最低規模でバブルを作ってオリンピックをやればいいと思う。

ただし、やはり100%確実ではないのだから失敗した時の責任は政治に取ってもらわないと困る。失敗しても責任を取らないような人が一生懸命にプロジェクトを運営してくれるはずはない。つまり政権を維持するために新型コロナ対策をする人が総理大臣であってはならない。話をよく聞いた上で「私が最終責任を持つから思う存分やってくれ」と言い切れる人が総理大臣であるべきである。

おそらく一人で全てを解決できるスーパー総理大臣などいないだろうが、相手の話をよく聞いて任せてくれる人は自民党であっても大勢いるだろう。おそらく「次の人材」を探すのにそう苦労はしないのではないだろうかと思う。一度立ち止まって冷静に考えるという浄血機ではあるが、さほど難しい話ではない。

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