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緊急事態宣言の要請という記憶はマスコミが捏造したものだった

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Quoraでなぜ「自治体はいちいち緊急事態宣言の要請をするのか」という質問に答えた。いろいろ調べていて意外なことに気がついた。緊急事態宣言を都府県が要請したというのは「マスコミの捏造」である。人の記憶は簡単に塗り替えられてしまうということがわかる。ではなぜマスコミはそんな捏造をする必要があるのかについて考える。

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この質問を見るとすぐに「本来ならば自治体が個別に緊急事態を宣言すればいいのではないか?」と答えたくなる。それができないのは都府県に予算の権限がないからだ。では地方分権すればいいのではないか。そういう回答を書き始めた。

だが、ふと「法律はどうなっているのだろうか」と思った。緊急事態宣言は第4章に書いてあるのだが、実は都道府県知事が要請するという項目がどこにもなかった。

今でも法律を読み違えているのではないかと疑っている。だが本当にない。「新型インフルエンザ等」となっている上にマスコミの伝える情報と全く違っている。一旦流れができると本来の認識を持っている方が不安になるという好例だろう。

法律には総理大臣が緊急事態を宣言し市町村が準備をすると書かれている。ここで市町村で調整ができなくなったとき都道府県知事が出てくることになっているのである。

過去の経緯を改めて調べて見た。まず安倍総理が学校の一斉休校を決めた。文部科学省は止めたという。総理が決めたのだから国が責任を持つということになり休業要請補償の給付が始まったが混乱した。

それでも感染拡大は止まらず「このままでは医療崩壊だ」ということになる。さらに世論調査でも緊急事態宣言が必要だということになり、結局総理大臣が決断した。これが10万円給付につながってゆく。もともとは限定付き30万円給付だったが「それでは不十分だ」という周りの声に総理が押し切られた格好だ。

当時の記事を調べてみて改めて呆れた。小池都知事は要請などせず「このままでは都市封鎖だ・ロックダウンだ」と騒いでいて、安倍総理は緊急事態宣言は出さないと言い張っていた。ところが世論は小池発言に引っ張られ「とにかくなんとかしろ」ということになり「別に緊急事態になっても特段何かできるようになるわけではない」ということがわかっているにも関わらず緊急事態宣言になだれ込んでゆく。最初は7都府県(東京・埼玉・千葉・神奈川・大阪・兵庫・福岡)だったがのちに全国に拡大した。この間エビデンスによる予測や評価はなされなかった。単に結果だけを見て右往左往していたのだ。

結局後になってもこの時のバタバタが総括されることはなかった。結局総理大臣がコロナから逃げてしまったからである。唯一総括した人たちは「泥縄式だったが結果オーライ」と言っていた。

いずれにせよ「騒いだ人たちはたくさんいた」が「誰も何も要請していない」ことがわかる。そもそもそういう法律になっていない。

では二回目はどうだったかと思い出した。二回目も小池百合子東京都知事が言い始めた。世間が年末年始でホッとしているとき「その間隙を縫って」情報発信したのだ。この時も要請という言葉は使われなかったように思える。小池百合子が仕掛けたなどと表現されたからだ。この時小池都知事はそれぞれの県知事をバラバラに「みんなが賛成している」と説得し、あとでそれを黒岩神奈川県知事に暴露されていた。仕掛けたという言葉がぴったりである。

要請という言葉が使われるようになったのはこの時だった。総理大臣はできるだけ緊急事態宣言の範囲を広げたくない。だが関西地方はかなり深刻な状態になっている。そこで「関西も入れて欲しい」と集団でお願いしたというのが「要請」の最初である。NHKでは「菅総理大臣は、大阪など関西3府県の知事が政府に緊急事態宣言を出すよう要請したことについて「緊迫した状況であることは承知している。」と伝えている。1月10日のことである。

つまり、総理大臣がカッコつけて「お願いされたからやってあげているんですよ」と言い換えたのをNHKや他のマスコミが「諸処の事情に配慮して」追認しているのであろう。マスコミも「物事は整然と行われている」と演出したがっている。恐らくそれは視聴者が不安な気持ちになるからなのだろう。

日本は全体として「なんとなく上手く言っている感」の演出が上手になった。取り繕い方を覚えたというただそれだけのことなのだ。

菅総理も「自分の責任で緊急事態宣言を発出するとその補償を求められる」ことを気にしているようだ。これは安倍総理の愚策の反動なので「なんてことをしてくれたんだ」と思うわけだが、一旦付いてしまった印象を変えるのは極めて難しい。総括もしないのでズルズルと最初の印象に引っ張られ続けることになる。

東京都の小池百合子東京都知事が何を考えているのかはわからない。だが、当初小池都知事は菅総理にお願いはしていない。だが二階幹事長に会い「何やら相談している」ことがわかる。二階さんは総理には意向は伝えていないのであろうが、テレビを見て話は伝わっているはずだ。

どうやら小池都知事はバッハ会長来日のスケジュールを気にしているようだ。ここで話の輪に入っておかないと「オリンピックを邪魔される」と思ったのかもしれない。二階幹事長がオリンピックを否定するように読める発言をしたこともあり真意を確認したかったのではないだろうか。

だが、流れができると「東京都では準備が進んでいて要請内容も決まっている」というようなことを言い出した。つまり流れに乗って話を合わせているのである。

日本人がいかに立ち止まって考えられないかがよくわかる。集団でパニックになると冷静に物事が考えられなくなる。興味深いのはパニックとはいえ世の中が第騒乱になっているわけではないという点だ。街を眺めても全く騒ぎは起きていないのである。

期間を逆算して結果を出さなければならないので、今回はかなり厳しい措置になりそうである。デパートなどの大型商業施設は止められ、劇場や球場なども原則無観客になりそうである。アルコールはかなり厳しく制限され、コンビニなどにもアルコール飲料の販売を控えるよう要請が出されるかもしれないと言われている。

オリンピックを念頭に「短い期間で切り上げても大丈夫なのか?」というのが一番大きな懸念である。ここで中途半端に下げてもまた上がるかもしれない。実際に西村大臣がハンマーアンドダンスだと言い共産党に反発されている。前回は4月がピークになっていて夏は大したことがなかったので「今回もゴールデンウィークを乗り切れば」とか「ワクチンさえ手に入れば」という気持ちになっているのだろう。変異種が同じ振る舞いをするのかはわからない。実は非常に大きなギャンブルになっている。

いずれにせよ、総理大臣の頭の中に「データを見て意思決定に生かそう」という気持ちはないらしい。記者たちが「蔓延防止策のどこが悪かったのか?」と聞いても「まだ分析はできていない」と言い放ったそうだ。おそらく「失敗の責任を取らされてはたまらない」とだけ思っているのだろう。

総括がないままで場当たり的な意思決定を繰り返し最終的な破綻に向かって突き進んでゆくというのは日本の典型的な失敗パターンだ。今回はコロナとオリンピックが不幸な形で癒着しているのだが、戦前も「国体を守るため」に一般市民を犠牲にしたというメンタリティがあった。たとえは非常に悪いのだが「オリンピックの国威発揚が国体」になっているようにみえる。政治家にとって国民の命の優先順位はそれほど高くないのである。

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