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「コメントできません」という加藤官房長官が象徴する日本外交の行き詰まり

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加藤官房長官が「イランの報道についてコメントしない」と発表した。いつもの加藤節だが菅政権の行き詰まりを印象づけるコメントだと思った。何かを言えば何かを失うし、何も言わなくても何かを失う。

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アメリカの国防長官がイスラエルを訪問した。イランの核開発について話し合ったものと思われる。イスラエルはすでに自前で核兵器を持っているといわれている。サウジアラビアやイランなどのイスラム教国と対立するために核が必要だと考えたのだろう。ここでイランに核を持たれてしまうと地域のパワーバランスが著しく崩れてしまう。片一方だけが持っているから抑止力になるのであって両方が持てば戦争が起こる可能性が出てくる。

この時期にイランの核関連施設で事故が起こり「イスラエルが原因である」と言うようなステートメントが出された。もし本当だとすればなんらかの理由でイスラエルが国防長官の来訪に合わせてわざわざ相手を刺激したことになる。

だがイランの自作自演である可能性も高い。イスラエルとアメリカが話し合っている。ここでイスラエルがテロを仕掛けて来ていてイランが怒っていると言う図式を作ればアメリカの話し合いの難易度が上がるだろう。実際にイランは濃縮割合を60%まで高めると言っている。自作自演をしてでも核兵器製造能力を持ちたいわけである。意思があるところに道ができるというわけだ。

イランを中国に置き換えイスラエルを日本に置き換えると割と日米中の関係に似ている気がする。アメリカは国内世論の不満を外に向けるために中国が使いたい。だが正面からぶつかると一人でコストを負担しなければならないので日本を巻き込んで「みんなが中国を非難している」と言う図式を作った。同じようなことをイランに対してやっている。

イスラエルと日本には違いもある。バイデン 政権が念頭に置いているのは国内のユダヤ人なのかもしれない。

一方で、敵としての中国やイランと言う設定は共通する。イランは自力で核兵器が開発したいわけだし中国も自力で国際社会に挑戦したい。これが朝鮮民主主義人民共和国くらいの規模だと敵としてはちょっと物足りないが、中国もイランも地域大国である。

アメリカの衰退も見て取れる。このニュースがあってからアメリカとイスラエルは共同して声明を出している。結束の固さが示せればアメリカ国内のユダヤ系は大喜びだろう。アメリカは中東からも極東からも離れているから「緊張が高まっても知ったことではない」のかもしれない。911に合わせてアフガニスタンから撤退するという発表もしていて「バイデン政権は国内の緊張を緩和するために外交を利用し始めた」と言って良いだろう。トランプ政権の手法から学んでしまったわけである。大統領は内政に対する権限が弱いので外交をカードとして利用しようとしている。トランプ大統領はこれをビジネスディールとして行ったので反発されたが、バイデン政権は自由と民主主義を守ると言っている。実にうまいやり方ではある。

日本はアメリカのカードとしてしか認識されていない。おそらく日本もそれがわかっているのだが政権浮揚にアメリカを利用したいという「想定したシナリオ」から外れられない。政権浮揚に当て込んでいたオリンピックがなかなかやめられないのと同じ構図である。

受身に徹してきた日本外交はかなり本格的なピンチを迎えていると言って良い。中国でのビジネスを失いたくないので中国も刺激したくないしミャンマーの軍とも関係があり官民ファンドで利権を抱えているのでミャンマー軍も刺激したくない。さらに今回ここにイラン対イスラエルという図式が加わった。ホルムズ海峡の航行の安全は日本経済に直結しているので実はイランも刺激したくないのである。

加藤官房長官は何も言えない。ただ「お答えを差し控える」のみである。政治家に取り入って出世する官僚出身政治家の限界だろう。

おそらく最近目がうつろな菅総理大臣に至っては目の前で起きているコロナの流行が第4波なのかそうでないのかも決められないようだし「今回の波は想定外だった」などと言っているようである。おそらくもはや思考はできていないのであろう。立場を最大限に利用するという程度の器の人だった。状況の変化には対応できない。

割と気軽に書いてはいるが、実はこの意味するところは大変深刻だ。

これまで外交といえば「アメリカ大統領との親密な関係」を演出しつつ、北方領土問題や拉致問題のように「解決の見込みが全く立たなくても、とにかく進展している」と言い張っていればよかった。ところが、最近の外交は「どっちかを取ればどっちかを捨てなければならない」という二者択一を迫られることが多くなった。

つまり、我々日本人は政府がどんな判断をしようとも「何かを失う」ということである。これは仮に自民党政権が倒れて立憲民主党政権になっても同じである。おそらく多くの日本人はこれに耐えられないのではないかと思う。

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