立憲民主党が「パートナー」を募集しているそうだ。嫌な記憶が蘇った。この問題を考えていたところ、私が運営し5,000人程度のフォロワーがいるスペースに立憲民主党がなぜ支持できないのかを書いた投稿があった。タイミングがいいなと思った。
Quoraはアメリカ発祥のナレッジのプラットフォームだ。アメリカではそこそこ認知されているが日本でのプレゼンスは低い。だがその分、バイリンガルや海外経験者など政治意識が高いメンバーが多い。ただ、それでも政治について扱う人はあまりいないので、私のような政治を勉強したことがない人間が日々のニュースを投稿するだけで5,000人ものフォロワーがついてしまう。
スペースにはhttps://politics.quora.com/のようなサブドメインが与えられていて半ば独立したサービスとして位置付けられようとしている。ただ、そんな意識高い系のQuoraでも立憲民主党のプレゼンスは全く高くない。
この投稿はまず「菅直人総理大臣の福島処理が気に入らない」という趣旨で書かれている。面白いことに投稿者は滅多に本音を覗かせることはない。おそらく別の何かがあるのだろうがそれは聞いてみないとわからないことが多い。そこで少し当てずっぽうで掘ってみることにした。するとコメント欄に「経営理念が見えない」と別のことを書いてきた。
よく立憲民主党は「反対ばかりで対案がない」という主張を聞く。それを少し掘った内容である。おそらくこの意見も本音ではないとは思うが一度意識づけられてしまうとそこから離れられなくなる。離反要素を探すためにはさらに色々な人に話を聞く必要があるだろう。
この投稿者は社会に深い関心があり新聞報道などから政策についてよく見えているのであろう。だがその裏にあるメカニズムについてはあまり関心がなさそうだ。
組織経営・政党理念という点では思い当たることがある。立憲民主党には組織経営に対して哲学がない。今回も場当たり的にサポーターを募集しているがこれは民主党時代からの伝統だ。サポーター制度は、組織でリストを作るという意味では一歩前進ではあるが「これも一過性で終わるだろうなあ」という気がする。
2009年の政権交代の時、民主党には多少の期待があった。この時に地元千葉9区と千葉1区の議員とコンタクトした。まず選挙の時に1区の事務所にゆき、そのあと9区にも話を聞いた。
三つのがっかりがあった。
最初のがっかりしたのは1区の選挙事務所の雰囲気だった。いろいろなところから人が集まって来ていたのだがITバブルを彷彿とさせる感じだった。マニフェストについて聞いて見たのだが「今の民主党には勢いがあるからそんなことは気にしなくていい」という。この雰囲気が藤井財務大臣の「財源なんてどうとでもなるし、ダメなら謝ればいい」という発言につながり、最終的には野田総理の消費税増税に至る。今の立憲民主党の総合政策の弱さの根はかなり深いところにある。
「日本人にはマニフェストは無理」という意見がある。千葉市で政策ベースの政治が実行され実際には雰囲気も変わっているので「必ずしもそうではない」という実感はある。千葉の熊谷市長はそれなりの人脈構築を成功させ県知事に転出した。つまり熊谷市長(当時)は民主党文化から脱却したからマニフェストを維持できたのだし県知事にもなれたことになる。
次にがっかりしたのは政策について聞いても地元の選挙事務所が全く答えられないところだった。個人商店的にそれぞれが政策立案しているらしく組織として共有しているという形跡が見られない。そもそも説明する気がないようで一区の地元秘書からは「話が聞きたいならある程度の人数をまとめて来い」と言い放たれた。
最後にがっかりしたのは個人情報の取り扱いである。彼らは政策に興味はなく選挙事務所に問い合わせをしても無駄ということがわかったので「もう連絡してこないでくれ」と依頼した。だがそれからもメールで一方的に主張が送られてくる。これは今でも続いている。
特に9区の代議員はひどいものである。民主党が解党した時にはどこの党に所属しているかを配下の市議会議員にも伝えなかったようだ。地元事務所も「よくわからない」と困惑気味だった。最終的に政権批判だけが彼の仕事となった。元総務官僚なので内部事情には詳しい。
政権批判は構わないと思うのだが、おそらく地元には興味がないのだろうなと思った。しばらくはふらふらしていたが、最終的に立憲民主党に戻って市議会議員との関係も復活したようである。
だが、当時「民主党」だった看板は今では単に白く塗られたままになっている。コロコロと政党が変わるので「どうせまた変わるから」と思っているのかもしれない。地元をまとめきれていない彼を批判する人はいない。誰も興味がないからだ。
こうした彼らの言動には一貫性がある。彼らはサポーターは欲しい。おそらく資金的にも援助してもらいたいのだろう。だが、一旦取得したリストにはまるで関心を示さない。地元に説明するつもりもない。おそらく単なる数であって一人ひとりの顔には興味がないのだろう。
サポーター制度を作って党で管理することにしたのは一歩前進だと思う。だが、選挙が終わったらどこにリストを売られるかわからないという怖さがある。地元の市議会議員はいざというとときに頼れるかもしれないと思うが、国会議員は信用できない。だから、名簿を差し出す気になれない。
色々と書いたのだが立憲民主党には同情できるところはある。自民党をコカコーラとすれば立憲民主党はペプシだ。お試し試飲には成功したが「あれはまずい」ということになった。コカコーラもどうやら手抜きしてまずくなっているが、だからと言ってペプシを勧めるのも憚られるという状態である。なぜペプシを飲まないのか?というのに実は大した理由はない。ペプシだから飲まないし勧めないわけだ。理由は後付けである。
だが社会に関心があるひとほど「味はわかららないがペプシはだめだ」と言いたがらない。あれこれ理由をつけて投票しない理由を挙げることになる。表面上の批判だけを聞いていても無駄なので少しづつ掘ってゆく必要があるのだが、支持のない野党なので誰も建設的な批判はしてくれない。
今回の批判者は「総括していない」と言っているが、仮に立憲民主党が内部的に総括してもそれが伝わることはない。少し離れたところから「是々非々」で話を聞いてくれる人と政党をつなぐ場所がないのだ。そもそも日本には冷笑的に政治を語る場所は多くあるが、建設的な社会を目指して協力し合おうというまとまった政治的プラットフォームも政治文化もない。さらに政党から人を出してプラットフォームに参加しようという意識もない。常に「自分たちの集まりに来てくれ、話を聞いてくれ」と言い続けている。
では自民党でいいんですか?という話になるのだが、どうやら価値観がかなりずれていて自力更生は難しそうである。彼らをピリッとさせるためにはライバル政党が必要だ。有権者はいざという時のバックアップも必要なので「日本人は政党を作れない」とばかり嘯いてもいられない。
批判政党になってしまった立憲民主党には建設的な批判を受けられる場所がなくしたがって軌道修正ができない。おそらく彼らが必要としているのは明日票を入れてくれる便利なサポーターではなく、ある程度協力的で建設的な批判をしてくれる人たちなのかもしれない。政治的に意識の高い人は意外と多いのだが、それが見つけきれていないという事情もあるのかもしれない。