森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の「女性がいる会議は長引く」発言が大炎上している。今日はなぜ森喜朗さんが招致委員会会長を退くべきなのかを書く。キーワードは「女がいる会議が長引いた理由」である。実はこれがわかるとなぜ今回のオリンピックが国民から反発されているかということがわかるのである。そのことを理解していない森さんは招致委員会のまとめ役としては不適格なのだ。
この問題は女性差別なのか老人排除なのかと言う視点で語られることが多い。ただその裏側にあるのは「ワイドショーを盛り上げたい」と言う見世物意識だったりする。その議論の構造はかなり下賤で下世話なものである。ただしその中核には重要な問題が隠れている。それは国際大会が真に国民に愛されるためには何が必要かという問題である。
森さんの発言は要するに男性メンバーが「女性がいる会議は面倒ですよ」と愚痴をこぼしたと言う話である。ではなぜ女性がいる会議は面倒だったのかということになる。実は理由がある。
2019年にラグビーのW杯があった。この招致に尽力したのが森喜朗さんであることは間違いがない。「ラグビーW杯日本招致」世界とのタフな交渉録と言う記事があり、森さんの突破力が大きな役割を果たしたことがわかる。開催が決まったのは2009年だそうだが実に16年越しの交渉だったそうだ。
ところがこの前後の日本のスポーツ界はかなり揺れていた。朝日新聞にその一端がわかる記事がある。女性がいる会議の「女性」が名乗り出たのだ。
理事に就任したのは、レスリングが五輪種目から外されそうになったり、柔道界でのパワハラが大きな問題になったりした頃でした。背景には、競技団体の役員に女性がほとんどいないことが原因のひとつだというスポーツ界の大きな反省がありました。読売新聞で女性問題を長年取材し、女性向けサイト「大手小町」の編集長を務めるなど女性の本音とずっと向き合ってきたことから、声がかかりました。
ラグビー協会初の女性理事「私のことだ」 森氏の発言に
ここで触れられている柔道の事情についておさらいする。金メダリストが女性に性的暴行を働くと言う事件があった。これが2011年である。懲役5年の実刑判決だった。だがそれでも柔道界の暴力的な指導体質はなくならなかった。2013年にはこの金メダリスト同じような指導者が多くいたということが話題になる。柔道界では慢性的な暴力やパワハラが蔓延していたのである。
これはもう外からの空気を入れるしかないということになる。オリンピックから外されかねない柔道にも危機感はあったのだが、特にW杯を控えるラグビーにとっては大きな問題だっただろう。これが政府が各競技団体にうるさく言った事情である。
稲沢裕子さんが長く話さなければならなかったとしたらそれは旧態依然としたお友達体質の男性理事たちが直視したがらない問題が何かしらあったからなのだろう。つまり女性だから長く話しているわけではなく世間一般の価値観を伝えているに過ぎないということになる。この問題をジェンダー問題に矮小化すべきではない。
一連の森発言から指摘される側の男性はそう思っていなかったことがわかる。単に「うるさい女がわきまえもせず目立とうとしている」と思っていて、それをボスの森さんに愚痴ってたのだ。政治でも言えることだが、村社会に生きている男性はそれくらい周りが見えなくなってしまうのである。
この問題は実は構造的である。オリンピックやラグビーW杯のような国際大会を誘致するには政治の力が必要である。国際的な説得や国内の予算獲得などの根回しが上手だからだ。だが、体育会系の村に住んでいる彼らは運営がうまくできない。政治家もまた村社会で世間とは乖離している。ラグビーはそれでも女性理事を加えて意識を補正することに成功した。だからW杯も無事に開催できた。2019年の大会は成功したと言っていいだろう。
これとは全く違った経緯をたどったスポーツ・興行がある。それが相撲である。相撲はNHKで中継されることで国民的スポーツの地位にあるとされてきた。だが国際社会の目に晒されないので自己改革ができない。さらに相撲部屋の年寄株は興行収入を分け合うお茶屋利権構造に組み込まれている。
時津風部屋力士暴行事件が起きたのは2007年である。その後も暴行を「かわいがり」と言い募る傾向はいなくならなかった。相撲人気はモンゴル人力士に支えられていて興行利益を彼らに頼っている年寄たちはモンゴル人力士に強いことが言えない。貴乃花部屋騒動でわかるようにいまでも「かわいがり」体質は残っている。このため事件が発覚するたびに自分の子供を相撲部屋に預けたいという親は減ってゆくものと思われる。
モンゴル人が横綱の地位にしがみついているせいで「横綱が誰もいない場所」が開催されるようになった。37年ぶりだったそうだ。NHKがある限り相撲協会が潰れることはないだろうが相撲の人気は長期的には低迷するだろう。相撲部屋が危険な上に強い力士が出ないからである。
国際社会の目がなく外からの価値観も入れない相撲は長期的に低迷してゆくことになるだろう。
おそらく、さらに調べれば外の目線を入れたことで会議が長くなったということがわかるはずだ。今回の「これは私のことに違いない」だけでは弱すぎる。マスコミは当時の事情をきちんと調べた上で当事者たちの証言を集めるべきである。おそらく「面倒な会議の意義」を理解していた男性もいるはずだ。これが本来のマスコミの機能であるべきで、森会長の老醜を晒すだけ出逢ってはいけないと思う。
森会長の発言がだけが問題だと言うわけではないことがわかる。森会長を排除できない日本のオリンピック関係者が問題なのだ。女性や芸能人などの協力者が減っているそうだがそれは当たり前だ。古臭い価値観を持った日本のオリンピック関係者に喜んで協力したい人などいない。実際にボランティア離れが始まっているという。賢い判断だ。
森会長は「新型コロナウイルス対策で一般客の観覧が懸念される中、「有名人は田んぼ(の沿道)を走ったらいいんじゃないか」と持論を展開した。」そうだ。ラグビーワールドカップもオリンピックも自分たちが呼んでやった。感謝されるべきであって文句を言われる筋合いなどないと考えているのだろう。
新型コロナ蔓延のリスクがあるのに広告代理店や一部の企業の利益のためだけにオリンピックなど開催すべきではないと言い返したい。政権浮揚に結びつけるなど問題外である。予算委員会では政府の定めた厳しすぎる感染防止策のために地方自治体の業務が圧迫されそうだというような質問まで出ている。
「森さんが呼んだ」というなら森さんたちがどこかの田んぼでも借りて自分たちだけで村の運動会でもやればいいと思う。それがいやなら「わきまえない理事たち」を入れて一般国民の心情にあったオリンピック準備をすべきだ。会議はかなり紛糾し長くなるだろうが、そうしたほうがいい。