グーグルが反トラスト法で訴えられている。「検索エンジンを独占している」からだそうだ。私はグーグルのユーザーとして「便利だから使っている」と思っているので「独占している」と言われるとなんだか不思議な気持ちになる。言いがかりにしか思えない。BBCの記事によるとEUでもグーグルは提訴されているという。欧米ではちょっとしたテック産業叩きが起きてるようでテックラッシュと言う言葉まで生まれているそうである。だがその内情を調べてみるとよくわからないことが多い。
このグーグル叩きはマイクロソフトがブラウザーを独占していた時のことを思い起こさせるようだ。これを引き合いに出した記事が多く見つかる。優位な地位を利用して独占的な地位を維持しようとすることを私的独占という。グーグルはマイクロソフトと同じように私的独占をしているというのだが、何が私的独占にあたるのかということは明確な規定はなく現在の独占禁止法の規定ではうまく規制できないのではないかと言われているようである。
マイクロソフトのブラウザー独占もマイクロソフトの分割には至らなかった。同じようにグーグル裁判も10年単位で時間がかかるのではないかと言われているという。WIREDも「グーグル叩きには決定的な証拠がない」と裁判には懐疑的なようだ。さらにWIREDは「悪役がいない」と書いている。「政治的なショーである」という含みがある言葉である。WIREDはこの反発をいわゆるテックラッシュと呼んでいる。
とはいえ、今回の政府の行動は重要である。これは、いわゆるテックラッシュ(巨大テック企業への反発)が具体的なかたちとなって現れた瞬間である。今後はフェイスブックやアマゾンなどに対する訴訟も起こされる可能性がある。これらの企業がわずかでも打撃を受ければ、革新的な競合他社が入り込む余地が生まれるかもしれない。
グーグルの反トラスト法訴訟に足りない“決定的な証拠”と、テックラッシュの行方
かつて画期的なイノベーションの支え手とされていた企業が「大きくなりすぎた」という理由だけで叩かれるといういじめの構造がある。
では誰がテック産業をいじめようとしているのだろうか。
訴えが起こされた当時参加州はどこも共和党優勢の党だった。当時はトランプ大統領や共和党の政治的意図があるのではないかという懸念があった。中国叩きのように大きければなんでも叩く相手になるというわけである。
しかし選挙結果が確定し民主党のカリフォルニア州も訴訟に参加する見込みとなった。CNETによると意思決定したXavier Becerra司法長官はバイデン次期大統領に保健福祉長官に指名されているそうだ。おそらくバイデン政権の意思も確認しているはずである。つまり超党派で「大きくなりすぎた企業はよくない」という認識があるとも言えるし、民主・共和両党ともに戦う相手を探しているともいえる。民主党は共和党のキャンペーンに良されることを恐れて参加を控えていただけかもしれないのだ。
日本の携帯電話は楽天に参入させて競争を煽るところまではやるがNTT DoCoMoの解体論議は出てこない。さらにユーザーも大手志向が強いので後から出てきたAahamoのようなサービスがいいところ取りをするようなことが起こる。長期的にみるとベンチャーを潰しているわけでアメリカと全く真逆になっている。日本の政治は民意ではなく企業側を向いておりその弊害も大きい。
アメリカにはより複雑な事情がある。民意を味方につけるためには大企業に拳を振り上げてみせる。ファーウェイのような外国の企業も標的になる。だが雇用の支え手としての大企業には期待している。
ところがここでも面白いことが起きている。普通に考えるとベンチャー気質は自由な雰囲気を好むのだから民主党の政策と相性がいいはずである。だが、実際にはテック企業が相次いでカリフォルニアを離れている。
なぜテック企業がカリフォルニアを離れているのかということがわからない。英語で調べてみたところNewsweekの記事が見つかった。イーロン・マスクさんがカリフォルニアに三行半を突きつける内容だ。
カリフォルニアではこのところ環境などへの規制が激しくなってきている。また税金も上がっておりこれが経営者たちに不評のようだ。民主党には常に「大きすぎる政府」という批判がつきまとう。マスクさんは「官僚主義」と批判している。テキサスはグーグルを訴えた11州の中に含まれいるというのだが企業誘致という意味ではカリフォルニアよりも有利な条件を準備しているのだろう。
こうなると全体的な傾向はよくわからない。「アメリカは分断されている」などというのだが実際にはこうしたわかりにくさも生じている。アメリカではまだ個別の動きが出てきたばかりで全体的な構造はできていないようだ。当事者たちもおそらくそれぞれの立場からそれぞれのことを言うばかりでテックラッシュが何を意味しこれからどうなるのかを掴んでいる人はいないものと思われる。