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空気のように軽くなった菅総理の会見と風が支配する政治

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菅総理の会見があった。「見ても仕方ないだろうな」とは思ったのだが一応ニュースは押さえておこうとおもった。NHKは総花的な政策の羅列を伝えた後で野党の批判を形式的に並べていた。片山共同代表が「維新の出した政策は何一つ審議されなかった」と怒っているのが印象的ではあったが何も伝わってこない。これを見て「総理大臣の会見の意味はなくなったな」と思った。時事通信のコラムを読むと補正予算で場を繋いで年始に解散すれば本予算は遅らせても構わないという観測すらでているそうだ。こんなことが定着すればますますなんでもありになるだろう。菅政権は単年度主義という原則すら形骸化させようとしているのだ。それほど選挙が怖いのだろう。

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総理大臣の会見にはさまざまなメニューが並んでいたようだ。金額が並んでいるのだがそれが効果的に使われるかどうかは全くわからない。そもそも会計年度をまたぐとなると「いつ使う予算なのか」すらわからなくなる。全くメッセージ効果はない。

だが、誰も何も期待はしていなさそうだった。日経新聞が議事録的にメニューをまとめている。事務的にメニューを並べる以外にはまとめようがない。そんな印象である。朝日新聞は総理は何も答えていないと言っているが本気で怒っている印象はない。単にそう書いているだけである。

桜を見る会の問題も日本学術会議の問題も従前の主張を繰り返すだけだった。これも総理大臣側から進展することはないだろう。

テレビでは、検察審査会にかけられた時「一応総理大臣の捜査はした」という形を作るために話だけ聞くのだろうという観測を伝える人がいた。もし捜査するつもりがあるのなら事前に「捜査します」という情報が漏れることなどないというのである。一応「検察の怠慢だ」と怒って見せる人もいたがそれもこれもすべて儀式のようなものである。

マスコミ全体に奇妙な諦めが漂う。印象に残るのは「やる気のなさ」である。

NHKは政権批判はしないが援護もしない。どちらにせよ責められるからだ。NHKはこのところ世論と変な取引をしてる。既得権益にしがみつかなければ自分たちの立場が危ういと思っているということだけは切実に伝わってくる。

菅総理大臣側も何も説明しない。安倍総理はパフォーマンスのために大きなことをいうと野党やマスコミに責められていた。そこで菅政権では「誰にも突っ込まれないように」しているのだろう。確かに誰も突っ込まなくなったが人の心を打つこともなくなった。こうして会見自体に意味がなくなってしまったのである。

菅総理から情報発信がないということになるとおそらくマスコミはそれ以外の人たちの声を聞きにゆくことになるだろう。すでに「関係者」の発言が飛び交ってる。予算成立を遅らせて選挙を優先するというのもその声の一つだ。こうして「風」が政局を作るという奇妙な状態が生まれそうである。

新型コロナウイルスという目に見えないものによって生じた変化に対して政治の言葉が聞こえてこない。そこで各種の噂話や大臣・専門家の言葉が飛び交うというようなことが増えるのだろう。おそらく我々はそれに慣れてゆくしもう慣れ始めている。

新型コロナで先が見えないのだから細かいことに執着しても仕方がない。おそらくそんな時代になりつつある。

新型コロナウイルスはその意味では我々の考え方を大きく変えたのだと気付かされる。安倍政権は民主党政権まであった「我々は変わらなければならない」というメッセージを否定する政権だった。とりあえず安倍総理大臣が発するメッセージを信じていればよく安倍政権が発信する数字を信じていればよかった。名目GDPが上がり有効求人倍率が上がり株価が上がりという言葉を信じていればよかったのだ。それは全てコロナが吹き飛ばした。目に見えない小さなウイルスが我々の意識を根底から揺さぶったのだ。

秘書だけが知っていたのか総理も知っていたのかなどということはどうでもいいことである。は「安倍総理が有罪であるから我々の主張の方が正しかった」という認識ももう意味はない。おそらく森友・加計学園の問題もしぼむだろう。総理大臣の価値は失墜しつつあるから総理の首を取っても意味はない。

ついに自分たちで考えなければならない時代に突入したのである。これがいいことになるか、悪いことになるかはおそらくその人次第なのだろうと思う。

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