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ますます乱暴になる「34兆円補正予算」案

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テレビでギョッとするニュースを耳にした。自民党が34兆円予算を菅総理に要望したというテレビニュースだ。テレビは聞き流していることが多いのでヘッドラインしか頭に残らない。それにしても34兆円とはと思った。どうしてこうなったのかと考えたのだがやはり安倍政権の負の遺産だなと思った。あの政権はあまりにも多くのものをごまかしすぎた。

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10兆円予算のうち7兆円ほどは使われていないという話を聞く。政府は「国民にお金をばらまく」という誰にでもできそうな仕事すらできていない。財務省などが抵抗しているのかもしれないし実際にはファイナンスできていなかったのかもしれない。もはやこうした事情は国民にはわからない。国会の予算審議はない。あったとしても野党に原因究明は無理だろう。

まだ3兆円しか使えていないとしたら、政府が34兆円を配ることなどできそうにない。にも関わらず34兆円予算を要求するとはいかにもめちゃくちゃな話である。しかも補正予算であり同時に本予算と一緒に審議するのだという。半年以上かけて7兆円も余らせているのに2ヶ月で34兆円を使うというのだろうか。その辺もよくわからないのだが近いうちに大枠の補正予算案骨子を出すと言っているのでそれを待つ以外になさそうだ。

こうしているうちに「国から追加補給がないなら年内に店をたたんでしまおう」という飲食店が出てくるだろう。インパール作戦で陸軍兵士に補給せず今までの失敗にこだわり新しい作戦を出し続けた大本営に似てきたがそれでも中小零細は待つしかない。

実際のニュースを整理してみると実は自民党が34兆円予算を要求したという話はないこともわかる。まず、景気が落ち込んでいる。年率換算だと34兆円程度になりそうだという。記事をよく読むと前期には年率換算で57兆円の需要不足が起きそうだったそうである。つまりその時の瞬間風速で刻々と変わる数字が一人歩きしているだけなのだ。

こうなると自民党がいい加減なのかあるいはマスコミがいい加減なのかもよくわからない。お互いに誰かが責任を取ってくれるだろうと思っているのかもしれない。

補正予算を要求した下村さんが菅総理に「落ち込んだ需要と同じくらいの予算を出してほしい」と要望した。菅総理は金額については明らかにせずに「ぜひそうしたい」と曖昧な返事をした。そしてそれをテレビ(確認したところTBSと日本テレビ)が「34兆円要望」と読めるように伝えたというわけである。菅総理の問題点がわかる。細かいところに目が行き大局観がないのでその場その場で的確な情報発信ができない。参謀としてはよかった。だが総理になるべき人ではなかったのかもしれない。

医療機関の赤字は増えていると言われている。飲食店の中には困窮から潰れるところも出てくるだろう。明らかに必要なところにお金が行っていない。国民は「政府に声が届いていないのではないか」と不安に思っている。おそらく政府は当事者能力を失っている。菅総理が表に出てこれないのはそのためだろう。一段高いところからものを見ている人がいないのである。

さらに政府の迷走するキャンペーン運営が不透明感に拍車をかけている。GoToキャンペーンがその一例である。需要を喚起して周辺需要を底上げしたい。だがあまりにも運用がまずすぎて逆に観光業や飲食業にたいして混乱を生んでいる。あれはおそらくなくてもよかった混乱だった。財政余力があり自民党の言い分通り「さらに出せる」というならさっさと直接給付すればよかった。だができないのか、やる気がないのか、何をやっているのかがわかっていないのか、すらもわからない。

経済は無数の契約から成り立つ複雑な体系なので中央集権的に管理することなどできない。政府が効率的にそれを分配することなど最初から無理な話だ。政府にできることは複雑さを抑制することだけである。

予想が難しくなれば投資予測は不可能になる。だからいずれ誰もお金を使わなくなってしまうだろう。例えばキャンセルを繰り返すGoToトラベルを利用する人はいなくなるはずだ。申し込んだもののいつキャセルになるかわからないと人々が学習してしまう。これは設備投資も同じことである。企業も「これが落ち着いてから考えよう」と思うはずである。

現在の需要不足の原因の一旦はおそらく先行きの不透明さそのものにある。

さらにお金を持っている高齢者はお金を使わなくても生きて行ける。高度経済成長期の初期に育った人はもののない時代を生きていてこうした状態に慣れているからだ。ますます高齢化し不透明化する経済環境を予想すると34兆円でも57兆円でも需要がたちどころに減ってしまうのである。高齢者がやることといえば健康増進のために近所を必死の形相で散歩するくらいである。散歩にお金はかからない。

高齢者は手持ちのお金を温存して生きて行ける。だが現役世代はますます困窮するだろう。

大きな枠組みを作ることができず庶民感覚の小さな改革しかできない菅政権にコロナ禍下の経済政策を作るのは無理だろう。岸田文雄元政調会長くらいの政策通ならなんとかなるかもしれないのだが全体をまとめる政治力はなさそうだ。現在の自民党でリクエストを募ると各利権団体からの細々した要望が集まるだけなので前回の補正予算と同じような混乱が予想されるだけである。

環境変化を読み込んだ上で経済の大まかなグランドデザインを示した上で予算の策定プロセスを明快に示すことが本来の国家観であるべきだ。例えば池田勇人の所得倍増計画も田中角栄の日本列島改造も国家観(国家ビジョン)だったといえるだろう。日本はイデオロギーではなくこうした経済改革が政治を動かしてきた。

だが、今の自民党には新しい国家観は期待できそうにない。安倍政権が7年以上の長い間、漠然とした美しい国という言葉を使って「国家観」をおもちゃにしてきたからである。

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