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なぜ日本人はGoToトラベルをやめられないのか?

今日は「なぜ日本人はGoToトラベルがやめられないのか」と言うことについて書く。これを戦争に置き換えると、なぜ日本人は第二次世界大戦がやめられなかったのかと言う問題になる。

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GoToトラベルの見直しが決まったようだ。テレビではあれこれと話題になっているのだが詳細が全くわからない。

土曜日の菅総理の見直しの発表は極めてわかりにくかった。なぜわかりにくいのかすらもよくわからないと言う状況だった。

月曜日になっても「政府が責任を持つべき」か「都道府県が責任を持つべき」かと言う「議論」が続いている。新型コロナウイルスが蔓延していることがわかっているにも関わらず三連休の人出はとても多かったそうだ。日本人は目の前の危機にも関わらず旅行にゆくことをやめられないというとても滑稽な状況に陥っている。あとで結果的に感染者が増えれば「なぜあの時に止められなかったのか」と言い出す人が増えるだろう。なぜ第二次世界大戦を止められなかったのかと戦後の人が語ったのに似ているのだが誰も何も反省しない。

では、日本人はなぜ一度始めたことを止められないのか。

第一に「エビデンス軽視の姿勢」がある。GoToトラベルが新型コロナウイルスの拡散とどの様な関係があるのかを冷静に議論する人はいない。皆それぞれの感覚で旅行はいけないのではないかとか十分に対策をとれば大切であるなどと言い合っている。全体を把握することはもちろん難しいのであろうが「できる範囲で情報を集めよう」と言う人がいないと言う特徴がある。

そもそも春先に出た緊急事態宣言の効果測定も終わっていない。緊急事態宣言が出た時にはすでに感染者数が落ち始めていたことがわかっている。つまり緊急事態宣言はおそらく感染拡大に効果はなかった。だがこれを指摘する人は多くない。こんな分析をすれば緊急事態宣言を拙速に出した当時の総理大臣を責めることになってしまうからである。

ではなぜ日本人はエビデンスを集めたがらないのか。その能力がないということはなさそうである。2020年の初春にはかなり色々な知見も出た。都道府県の情報をまとめるサイトもたくさん作られた。ただ統治・マネジメントサイドはこうした能力のある人たちを使いこなせない。責任問題に直結し金ない数字は見たくないのである。

結果回避の姿勢は「泥縄の結果オーライ」と言う言葉によく表れている。ただ、これさえも政府自身が言うことはできず第三者に「言わせる」形になっている。菅政権は自分たちで安倍政権の総括ができなかった。総括をしていないからそこから学んで一貫性のある政策が作れないし証拠も集められない。

一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(理事長・船橋洋一元朝日新聞主筆)は8日、有識者で構成した「新型コロナ対応・民間臨時調査会」による新型コロナウイルス対策の検証報告書を発表した。水際対策の遅れなどに触れた上で、政府の一連の対応について首相官邸スタッフの証言を引き合いに「泥縄だったが結果オーライだった」と総括した。

「泥縄の結果オーライ」 アベノマスク、首相周辺独走―コロナ対応で民間検証

代わりに政府は損得勘定に強い関心を持っているようだ。

朝日新聞によれば、専門家は「今旅行を止めないとオリンピックが開けなくなりますよ」と政府に訴えたと言う。「東京オリンピック中止にかかる様々なインパクト」と「旅行を止めた時に生じるインパクト」を比べることができるようになって政府はやっと動いた。

ここから二つのことがわかる。日本人は原理原則を立ててそれに基づいて議論をするのがとても苦手である。その一方で損得会計には極めて強く反応する。ではなぜ損得会計に強い反応が出るのか。

日本人は長い時間をかけて会議が始まる前に利害調整をする。結論は極めて複雑な利害関係によって決められているので一度決まったことは容易に動かせない。

さらに損得勘定が崩れれば誰かが責任を問われる。日本の「責任」とは社会的に抹殺されると言うことである。日本社会は全ての人間の命を賭場に投げ出すことで裏切りを防いでいるのである。日本人にとって責任を取ると言うのはすなわち辞める・既得権益を手放すと言うことを意味している。

この場合「オリンピック中止を宣言したもの」は社会的に抹殺されるということになる。おそらく安倍総理はこれから逃げた。代わりに磔にされるのは菅総理であろう。国民の命や科学的な事実よりも利権保持のほうが当事者にとってはずっと大切でありその処罰も過激だ。旅行業者が行き詰まろうが死者が増えようが「おかわいそうに」で済むがオリンピックが中止になれば政治の世界では生きてゆけなくなる。つまりオリンピックだけは政治家にとっては当事者問題なのだ。

新型コロナ対策について最後の防波堤になっているのは「国民の奮戦努力」である。その象徴が菅総理の「普段の生活に気をつけてください」と言うメッセージングである。当事者意識を持たない菅総理はこのメッセージだけを繰り返すことになるだろう。最終的に精神論に落とし込まれなんの援助も得られなかったというのも第二次世界大戦の末期に似ている。おそらく最初から援助するつもりはない。単にそれが表面化しただけのことである。

当事者意識も共感能力も失った政治は、表向きの強いリーダーシップを強調して国民の関心をつなぎとめるという浅知恵を覚えてしまった。不幸なことにそれを支持する国民は多かったようだ。

新型コロナ対応・民間臨時調査会」による新型コロナウイルス対策の検証報告書は「トップダウンの判断を演出したことが裏目となり、政権の体力を奪った」と結論付けたそうだ。これまで安倍政権は「うまくいったことは全て自分たちの手柄である」と言わんばかりのメッセージングをしてきた。そしてそれが明らかにうまくいかないとわかると官房長官に政権を押し付けて体調不良で退場してしまった。

戦争を始めた時には手柄を競い合っていた人たちは敗戦の責任は取らなかった。そればかりかさらなる人員を要求して手柄作りに邁進した。最終的に昭和天皇が「自分が全ての責任を取るから」となるまで止められなかったことから、統治の責任を感じていた当事者は誰もいなかったことがわかる。それは当時も今も変わっていない。

繰り返しになるが、国民も表面的な勇ましさが大好きである。安倍政権はかなり強力に支持されており後継の菅政権の支持率も高い。戦前の日本人も中国に進出する軍隊を熱心に応援していた。中国大陸進出に消極的だった朝日新聞は売れなくなってしまい進出賛成派に転じたそうである。

今回、新型コロナに敗戦するかどうかはわからないのだが、おそらく最悪の結末になっても日本人が反省することはないだろう。ただ同じところをぐるぐると回り続けるだけである。我々にできるのはおそらく普段の手洗いに気をつけてフラフラと出歩かないことくらいである。

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