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社民党の解党と福島瑞穂の居座り

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社会民主党が解党した。最後には福島瑞穂さんに対して怒号が飛ぶ状態になったそうである。だがこのニュースはそもそも全く注目されなかった。1955年体制の一つの極が消えたというわりにはひっそりとした終わり方だ。

社民党がなぜ消えたのかと考えようと思ったのだが、実際の解党理由は簡単にわかりそうだ。二大政党型の小選挙区制についてゆけなかった。つまり社民党は総合政党にはならなかった。ではなぜ総合政党になれなかったのかという理由づけも簡単である。そもそも他人と折り合うことができない人だけしか残っていなかったのである。

政党助成金の問題もある。政党要件は2025年まで継続するようなので福島瑞穂さんのところにはかなりのお金が入ってくる。支援者や地方組織が今まで通り維持されるかはわからないのだが議員にとっては決して損になる選択ではなさそうだ。

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一応、Wikipediaの数字から衆参を合わせて議席数推移のグラフを作って見た。

1996年まで村山富市党首のもとで政権政党だったのだが政権を維持するために妥協に妥協を積み重ねた。「政治的な妥協は一切したくない」という人たちが大勢いて、最終的に民主党に人材が流れた。

特に自衛隊の問題では揺れ続けた。村山社会党は自衛隊を認めることで社会党の一部の勢力から離反された。

この反動が後継の社会民主党にあらわれた。妥協はしたくないが、かといって党内もまとめられない。

Wikipediaの記述を読むと福島瑞穂内閣府消費者・少子化担当特命大臣大臣は自衛隊を違憲とも合憲とも言えなかったそうである。結局民主党政権が普天間問題を認めることを福島さんは容認できなかった。「最低でも県外」が実現できなかったからである。人と妥協できない社民党というのは割と一貫した姿勢であることがわかる。これが福島社民党の性格なのか、それとも元々の気質なのかはわからない。

自衛隊というワンイッシューですらこうなのだから総合政策など作れるはずもない。さらに基地問題という一つの問題にこだわるあまり周りが見えなくなり、結果としては消費者保護・少子化対策というう市民団体が掲げる政策を捨ててしまったことになる。

議員が減ると政党助成金も減額されてゆく。2005年に職員のリストラをやり2013年には「三宅坂」と呼ばれた本部を手放した。建て替えのための積み立ても行われておらず解体費用の捻出にすら困るような財政状態になっていたという。

弁護士や労働組合出身の人たちが集まった政党であり、経営者が参加していなかったために、国家経営どころか政党運営すらできなくなっていたのである。

今回、もっと深いところに解党原因を求めようと思ったのだが、そもそも「人としてダメ」な状態になっていることがわかる。

自分たちで政策が作れない上に5名の議員を割っている。このためNHKなどでは諸派扱いされてしまう。だがWikipediaには第25回参議院議員通常選挙にて比例区の得票率が2%を超えているために、2025年の第27回参議院議員通常選挙まで所属国会議員が1名以上いれば政党として活動が可能で政党助成金も受け取れるという記述がある。

福島瑞穂参議院議員は2022年に改選を控えているそうでこの政党要件と政党助成金を手放すことができないのかもしれない。おそらく全国の組織を維持するための組織力はなく支援団体も付かず離れずでしか社民党を応援しないだろう。院外活動にばかり熱心な社民党についていっても実現可能な政策は作れないからである。

福島瑞穂党首が政党を維持したところで再び勢力を盛り返すことはないのだろうが少なくとも2025年までは政党要件を維持し政党助成金もらうことはできる。

福島さんは2010年にYouTubeでもチャンネルを登録したようだが5,000回を超える閲覧数のビデオはなさそうだ。IT化の波にも完全に乗り遅れている。

改めて考えると平成から政治を見始めたような人たちは「これがリベラルだ」と思うだろう。日本の改革にとってはもはやマイナス面しかない政党になってしまった。55年体制の残骸とは言えあまりにも無残な終わり方だった。

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