先日来、携帯電話からトランプ大統領まで「情報が氾濫すると人は選択に疲れる」という話を書いている。これについて何かフレームワークになるようなものがないかと探してみたところ「行動経済学」というジャンルを見つけた。早速、図書館から本を取り寄せて読んでみた。
行動経済学では人間の合理性は限定的なものであると考える。そしてこの限定的な合理性の癖をヒューリスティックと呼んでいるようである。UIでも使われる用語だが、行動経済学では「歪み」というややネガティブな捉え方をしているようであった。
情報が氾濫して過負荷状態に置かれると、人々は「より簡単な選択」をするか「選択そのものを諦めてしまう」という傾向があるようだ。だが、最終的にどう言う状態に置かれるかはその時々によって変わる。
この「エッセンシャル版行動経済学」は簡単に読める入門書だ。要点だけが簡潔にまとめられており読みやすかった。
途中難しい数式が出てくることがないのも好ましい。行動経済学にはゲーム理論による説明が出てくることが多い。専門家によっては数式をひけらかす人もいて大抵ここでつまづいてしまう。
本当に研究者になりたいなら数式は避けては通れないのだろう。だが、一般の人は単に思考のためのツールボックスがあればいい。だから難しい数式の理解は必ずしも必須ではないと思う。
例えば、携帯電話のマーケティングは過負荷状態だ。このため人々はより良い選択肢を探せなくなる。結果的に「選択そのものを諦めてしまう」ことがわかる。実際に格安携帯に乗り換えた人は10%ちょっとしかいない。よくわからないから今のままと言う人が多いのではないだろうか。
実際には「よくわからない」と答えるのは気が進まないので「興味がない」と言い切ってしまう人も多いのではないだろうか。これは2018年の調査である。オンライン調査に慣れた人なのでリテラシーは高いが、それでも40%くらいが、よくわからないあるいは興味がないと答えている。
だから結果的に既存の三大キャリアの方が有利になってしまう。もし仮に政府が本気で携帯電話料金を下げたいならばこうした複雑なビジネス条件を全て禁止にし本体価格と月額料金だけのシンプルな料金体系にした上で乗り換えのための一切の手数料をなくすべきであるということになる。
トランプ大統領については面白いことがわかった。トランプ大統領は情報を混乱させておいて単純なメッセージを信じ込ませている。ここからトランプ大統領が情報過負荷を引き起こして人々を惑わせていると思いたくなる。
だがこの情報過負荷状態の最初のきっかけを作ったのは実はメディアの側のようだ。ドナルド・トランプという失敗した不動産ビジネスマンがいた。これをアプレンティスという番組で成功者に仕立て上げた人がいる。Jeff Zuckerという人だ。日本語の記事ではジェフ・ズッカーとジェフ・ザッカーという呼び方が混在してる。NBCエンターティンメントの社長だった。
のちにこの人は「ドナルド・トランプという候補」が大統領選挙キャンペーンで視聴率が取れることに気がついたようである。メディアは次第に彼をフィーチャーするようになり、最終的にトランプ候補が共和党の大統領候補になってしまう。
もちろんトランプ大統領はただこれに乗っただけではない。SNSと言う粘着性のあるメディア(特に動画コンテンツ)と一体感を増すイベントを組み合わせで、ある種宗教のような情報空間を作った。だがおそらく最初のテレビの援助がなければトランプ候補が大統領になることはなかっただろうし、情報選択に疲れた視聴者がいなければテレビの成功もなかっただろう。
情報過多が進んだことでテレビがそれに適応し、テレビが適応したことで政治家でない人が成功したことになる。
ザッカー氏は最終的にCNNワールドワイドの社長になる。どういう経緯だったのかはわからないがトランプ候補と敵対的な関係になった。だがこの敵対的な姿勢がビジネス的にはあたった。2020年の大統領選挙ではCNNの登録者は120%にまで増加したそうである。デイリー新潮はこれを「視聴率のための報道だった」というような書きぶりで紹介している。
この騒ぎはアメリカの分断などと言われ日本でも様々な議論の対象になった。だが、元はと言えば単なるお金儲けのショーだった可能性がある。人々は情報の負荷についてゆけなくなり敵と味方に別れて争うようになった。合理性は一段落ちたがこちらの方が受け入れやすかったと言う人も多かったのだろう。携帯電話市場の例と違って豊富な援助があったために分断状態が生まれた。
このように、情報過負荷が起こると人々の合理性のギアは一段下がってしまう。そこで動きを止めてしまう人もいるだろうし逆に煽られて理性的ではない争いに巻き込まれることもある。様々な要素が複雑に連関していてその後どんな動きが起こるのかは容易に読むことができない。
ここまでのパターンがわかると色々なものに応用ができそうだ。
例えば最近では新型コロナの再流行と経済の関係で情報が氾濫している。第三波と呼ばれる再流行が起こりそうだが政府はGoToトラベルキャンペーンやGoToイートキャンペーンを続けている。西村担当大臣は「選ぶのは消費者である」と言っている。ではこれはいいことなのか悪いことなのか。
今のところ政府が「決めることができなくなってる」というのはわかる。判断は消費者に求められる。消費者は限定的な情報で複雑な意思決定を迫られることになるので当然ながら合理性を失い単純な選択にシフトすることが予想される。
おそらく、消費者は「ポイントや還元といった単純なメッセージによって旅行に行っている」と考えるようになるだろう。本来の動機を誤認してしまうのだ。旅行にゆきたいという内発的動機付けがインセンティブによって外発的動機付けに置き換わる現象をクラウディングアウトと呼ぶそうである。
ポイントの目的はインセンティブを与えてまずは楽しんでもらうというところにある。普段の状態であれば「普段は旅行にゆかないが、いざ行ってみたら意外と楽しかったのでまたゆきたいと思った」というになるのだろう。習慣がつくとそこに気づきが生まれて内発的な動機付けが外発的な動機付けによって生まれるということもあるそうである。ポイントが繰り返しと結びついていることが多いのはそのためだ。
ところが今回のキャンペーンの場合新型コロナによって様々な制限があり消費者は迷いながら旅行や食事に出かけることになる。さらに予算はすぐになくなり習慣がつくこともない。おそらく内発的な動機付けは生まれずポイントによって動かされているという感覚だけが強化されることになるだろう。
最終的に政府も消費者もどうしていいかわからなくなり中途半端なままで消費が冷えかねないということになる。おそらく西村担当大臣がやっていることは旅行業や飲食業にかなりのダメージを与えることになる。消費者はコロナが流行しポイントの予算が終われば旅行に行かなくなってしまうからである。