10月23日からGoToトラベルキャンペーン東京都民上乗せ割引支援事業が始まったというニュースをやっていた。テレビでは申し込みが殺到すれば1ヶ月くらいで予算が食われてしまうだろうという悲観的な見方も飛び交っていた。とにかく、概要が決まっておらず混乱しているようだ。キャスターは「なぜいつもこうなるのか」と渋い表情だ。そうなるのは当たり前なのだがキャスターはしばし立ち止まって考えたりせず次の話題に移っていった。彼がそれを考えることはおそらく一生ないのだろう。
東京都は早い者勝ちを防ごうとして計画的な運用をしようとしているそうだ。だがこれも混乱を生じさせているようである。予算を絞れば絞るほど混乱が生じる。この事業が潜在的需要を掘り起こしてしまうからである。つまり、旅行補助はいつまでたっても不足が解消しないというよくある事業の一つになりつつある。保育園問題と同じ構造である。
この話、構造的に失敗する最初の理由は予算をつければつけるほど潜在需要が掘り起こされてしまうからである。だが理由はそれだけではない。いったん考えてしまえば「なんでこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう」と思うことだろう。
GoToトラベルというのは何だろうか。それは都民を「旅行したい」と言う気分にさせることだ。これが保育園問題と違っているところである。保育園ができたからといって子供を作るつもりのなかった人たちが子供を作ることはない。だが目の前に「お得」があれば旅行してみようという人は多いだろう。
「今の時期だけはお得だから」と言う気分で旅行に行きたい人が増えることを政府も東京都も期待している。さらに「みんなは得をしているのだから自分も得をしたい」と言う人も増えるだろう。これを外部動機付けという。動機付けはモチベーションの訳語である。つまり、褒美をつけることで人々の行動を促そうとしている。出産と違い旅行は外部動機に動かされやすい。
そもそも人々が旅行をするのはお得を追い求めているからではない。それがどこからくるのかはわからないのだが内側からやってくる。人は旅行したいと思うから旅行するのである。これを内部動機付けという。
新型コロナが蔓延したせいで「旅行はいけないのではないか」という気持ちが生まれた。合理的に考えれば感染に気をつければ旅行ができるはずだが人の目が気になる。万が一感染してしまったらどうしようと言う恐れもあるだろう。さらに旅行先で正しい感染症対策が行われているのかどうかわからない。そこで人は旅行をしなくなった。
ここで要因を整理してみよう。
- 内的動機付け
- 外的動機付け
- 阻害要因(阻害要因にもおそらく内部と外部があるのだがその境目は曖昧だ)
この三つがある。
本来ならば阻害要因を取り除いて内的動機付けを持っている人が旅行に行きたいという気持ちを萎えさせないようにするのが「正しい経済対策」だろう。外部動機付けが好まれるのはそれが手っ取り早いからである。人の気持ちを動かすためには人参をぶら下げるのが一番なのである。
外部動機付けに動かされやすい人は「自分が行きたいところ」ではなく「他人が行くところは」良いところなのだと考える。外的動機付けが強い人ばかりが旅行するとおそらく京都や鎌倉に人が殺到するだろう。
さらに外部動機付けは内部動機付けを萎縮させるという効果がある。この援助が打ち切られた時「援助がなくなったから旅行に行くのをやめよう」と考える人が出てくるだろう。こう言う人たちはかつて内的動機付けを持っていたのかもしれない。外的動機付けが強くなりすぎると「援助があったから旅行に行ったのだ」と考えてしまう。これを需要の先食いと表現する人がいるが実際には動機が置き換わっているのだ。
こうなると旅行業界を支え続けるためには常に援助をしなければならないという図式が生まれる。つまり補助金依存が起こる。補助が終わった時点で旅行ブームが終わる。おそらく好きだから旅行に行っていたと言う人は減るはずである。みんなが殺到するからという理由でやめる人も出てくるだろう。
「内部動機付けが外部動機付けに置き換えられる」などと言っても信じない人がいるだろう。先行事例を見てみよう。
高度経済成長き前、人々がテレビを買ったのは、テレビが経済的成功の証だったからである。人々は内的な動機でテレビを買って楽しんでいた。だがテレビが行き渡ると人々の内的動機は落ち着いてしまう。テレビなど誰でも持っているし気軽に買えてしまうからである。
ポイントがつくから家電を買おうという事業があった。麻生政権で考えられたようだが運営したのは民主党時代である。「エコポイントの活用によるグリーン家電普及促進事業」という。リーマンショックで落ちこんだ家電業界などを救おうと言う制度だったが実際には消費者の感覚とずれてしまった家電業界を救おうという狙いがあったものと思われる。おそらくその時に「せっかくだから」とテレビを購入した人は多いだろう。
ところがこの援助事業が日本のテレビ産業を救うことはなかった。援助をしている時にはテレビの売り上げが増えるのだがそのあと落ち込んでしまう。シャープはそのあと台湾のメーカーに買われてしまった。他のメーカーも実質的に撤退してしまう。
その後、コンテンツの中心は小さな画面で見ることに適したYouTubeになりそのあとでNetflixやAmazonプライムといった外資系の配信サービスがヒットの現場になってしまった。
ここからまた違うことがわかる。人々がテレビ購入に意欲を失ったのは実はテレビの視聴行動が変わってしまったからであった。日本の家電メーカーはその流れを読み損ねたのである。シャープの亀山工場がその典型例である。ハフィントンポストによるとかつては3,000人の雇用があったそうだ。その後も三次下請けが外国人を雇って工場を維持してきたがリストラがあり2019年には外国人のデモがあったそうである。亀山市の衰退は外国人に依存して急場をしのごうとしている地方の未来図である。
なぜこんなことになったのか。家電業界はユーザーリサーチではなく政府に働きかけて補助金を獲得する方向に走った。それが原因である。その結果がこれである。テレビの出荷量は衰退し長期的に低迷してしまう。
一方、テレビ事業は堅調に推移した。つまり人々はコンテンツを見ること自体はやめなかった。
リンク先の記事を読むとDVDのようなパッケージから放送・データ通信に移っていることも関係しているようだが、いずれにせよエンターティンメントが死ぬことはなかった。人々は依然面白いものが見たいのだ。
よく、なぜ日本にはGAFAのような画期的な会社が生まれないのかと言う疑問を持つ人がいる。この答えは簡単である。アメリカは今Googleを分解しようとしている。これは共和党も民主党も共に推進している政策である。アメリカの記事を読むと大きい会社が独占的に市場を支配するとイノベーションが潰されるからと書かれている。アメリカは大きな会社がイノベーションを阻害すると考えており、それを未然に防ごうとする。だが日本はなぜか大きな会社を温存したい。そこで様々な補助金をつけて救済を試みる。だから次世代型の産業が起こらない。極めて図式は簡単である。だから日本には亀山しか残らないのだ。
GoToトラベルにも同じような図式がある。政府は地域も分散させたかったようだが実際には特定地域に人が殺到しているようだ。日本人はとにかく大きくてみんなに人気があるものが好きなのである。だが、日本人が国債を積み増して未来の税収を先食いしてまで一生懸命にやっていることは官民あげた日本の弱体化計画である。
菅政権はこうした大きなものを温存しつつ、一般労働者には自己責任を押し付けようとしている。国力を衰退させる上では最も効果的なやり方であろう。いわゆる新自由主義的な政策と社会主義的な政策を最悪の形で有権者に押し付けようとしているからだ。
だが実は有権者の側もこうした政策が好きなのだ。
未来の日本人から見れば、菅政権も前進の安倍政権もそして麻生政権を引き継いだ民主党政権さえもその意味ではみんな日本の弱体化に加担する「反日分子」なのである。なぜ、菅政権が反日的な動きをとるのかはわからない。巷にあるネット論壇に言わせればおそらくは中国共産党かGHQの指示を受けて日本を滅ぼそうとしている人たちが紛れ込んでいるからなのかもしれない。陰謀論を入れなければ説明がつかないほど不合理なことを、日本人は一生懸命やっているのだ。