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安倍政権を総括すると「虚」にしかならない

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巷で安倍政権の総括をせずに次の政権の話ばかりするのは如何なものかという話がある。だが総括は不可能だと思う。安倍政権は「虚構の首相によって支えられた虚構の内閣」だからである。その虚構ぶりを示すエピソードがある。安倍昭恵さんは夫の病状悪化を知らなかったそうである。このストーリーが成り立ってしまうところに深い闇を感じる。

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総理引退劇につながる病状悪化劇場を見ていて「奥さんの姿が見えない」ことに気がついた人は多いだろう。安倍総理の体調が厳しいのだから裏で支える奥さんは食事に気を使って大変だろうなと考えるのが普通だが、どうも今回の話を聞いているとそういう姿が見えてこない。安倍昭恵さん何も知らなかった 首相の深刻な病状に絶句というニュースを読んでああやっぱりと思った。

女性週刊誌の報道だから信憑性はどうなんだろうとも思えるのだが、あれだけ報道があったのに夫の病状が悪化していたとは知らなかったというのはいかにもおかしい。いかにもおかしいのだが安倍昭恵さんの場合「あの人ならそうかもな」と思わせるところがある。

記事によればだが、この夫婦はどうやら自分の進退とか健康状態というようなことを一切話し合っていないらしい。例えば仮に夫が仮病だったとしても「仮病だからよろしく」という話はするはずだし、一時的にでも薬が効かなくなっていたのであればそれもわかるはずである。仮に家族だからこそ伝えられないということがあったとしても周りを通じてなんらかの話が耳に入るはずだ。スタッフが大勢いるのだから。

安倍政権の闇を暴こうとしている人は今回の夫婦像から森友問題を考え直したほうがいいと思う。安倍総理が森友問題で隠したかったのは安倍総理と森友学園のつながりではなく夫婦生活がないということだったのではないだろうか。内閣を力強く掌握しているはずの人が過程をまったく把握できておらずおそらく本人はそれを隠したいと思っている。

そもそも安倍晋三さんに家族はいたのだろうか?

安倍総理は政治家一家に生まれた。やや告発本的な伝記を読むと父親は不在がちだったが選挙の時には理想の家庭を演じなければならないという感じだったようだ。しばらく務めた後で当然選挙区を継ぐためにということで秘書になる。つまり安倍家は政治と癒着した家庭だった。お母さんは政治家岸信介の娘でありおそらく「父の娘」だったのではないかと思われる。

安倍昭恵さんが選ばれたのもおそらく政治的な意図があったからだろう。お見合いでくっつけようとしたがなかなか一緒になるきっかけがなく電通側は気を利かして元彼を海外に飛ばしたそうだ。

もちろんお互いに気持ちがないわけではないのだろう。昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」という記事にはオムツを替えていたという話も出てくる。なかなか気持ちがなければできないことである。

結婚がわからなければ結婚しなければいい。だが彼らにはその選択肢はなかった。周囲に立派な政治家は結婚していなければならないという思い込みがあり型にはめ込まれてゆく。安倍晋三という人は父親に言われて会社を辞め母親にあてがわれた相手と結婚した人なのである。

お互いに気持ちはあるのだがそもそも家族をどう作っていいのかがわからないというところにこの話の深刻さがある。

日本の政治家には世襲が多い。地方には家業制度の伝統があり「政治家もまた家業である」という認識が一般的だったからだろう。政治制度は民主化されたのだが選抜過程までは民主化されず前近代的な伝統が残った。だがそこに生きる人たちの意識は中途半端に現代化している。

その意味では安倍総理夫婦は「憲法違反」である。両性の合意のみに基づいた結婚ではなく周りがお膳立てをしているからである。それもかなり強引な形でお膳立てをしている。こうなるとこれに耐えるためには「自らを虚にして」対応しなければならなくなる。

さて、こうした問題は実は日本を大きく蝕んでいるのではないだろうか。家族というイメージがない人に新しい家族像を作るのは不可能だ。

出生数「86万ショック」の国。安倍政権の少子化対策は何点か?というBusiness Insiderの記事は日本の少子化対策にはなんの効果もなく出生率がフリーフォールしている様子が書かれている。記事そのものは自民党の家族像が保守的すぎて現状に全く合っていないと指摘している。夫が主な稼ぎ手であり妻がそれを支えるという前提で話が組み立てられているというのである。

ここでは三人の識者の話を聞いているのだが、最初の学者を除いて「少子化が改善しないのは残念だが安倍政権のやり方は間違っていない」と高い評価をしている。現実を見たくない、現状は変えたくない、考えてもどうせ何も変わらないに違いない、立場を守るためには政府に批判的なことは言いたくないという様々な思惑が透けて見える。

Quoraでこれについて聞いたところ、50歳台の識者は単に安倍政策の恩恵に預かれなかった世代だから恩恵を理解しにくいのだろうという回答がついた。また別の回答は「政府がいちいち人の生き方に口を挟むのは問題だ」と言っている。さらに少子化には問題はないと言っている人もいた。正解が見つからないと問題自体を攻撃するというのはもはやおなじみの光景である。

仮にこうした議論を認めたとするなら減少する人口を前提に社会保障制度をどう停止するのかを考えなければならない。「とにかく変わりたくない」ので問題を見て見ぬ振りをして、何も変えずに表面的な弥縫策で乗り切ろうとしている。もはや変化することを諦めているのでどうにかして個人を無理やりその枠に押し込めるしかない。

そうして作られた家庭の一つが虚構の安倍家なのだろう。結婚が虚なので離婚もできなかった。そして虚である総理大臣が形だけは勇ましい少子化対策を立てる。実態がない分だけメッセージは力強い。「政治がなんとかしますからあなたたちは心配しなくても結構ですよ」である。

「安倍総理には子供がいないから少子化対策など考えられるはずはない」などと主張するつもりはない。おそらく彼らの崩壊した家族観には構造的な背景があるのではないかと思う。その意味では安倍晋三さんの「虚」に貼り付けになった7年が終わることになる。ただそれだけのことなのだ。分析しても何の意味もない。

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