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ますますめちゃくちゃになる靖国神社の議論

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2016年以来、4名の閣僚が靖国神社に参拝したそうだ。習近平国家主席が訪日しなくなり配慮が必要なくなったからであろう。日本人にはご都合主義なところがある。だが、ところがこれに関連するニュースを見ていて「外国からは誤解されたままになるんだろうな」と感じた。だがおそらく最大の問題点は日本人自体がこの問題がよくわからなくなっているという点にあると思った。おそらく参拝した閣僚もあまりこの点を深く考えていないようだ。

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At least four Japanese cabinet ministers paid their respects in person at Yasukuni, which honours 14 Japanese wartime leaders convicted as war criminals by an Allied tribunal, as well as Japan’s war dead.

Japan’s Abe, on WW2 anniversary, vows not to repeat war, sends offering to shrine

表題は「日本の安倍が第二次世界大戦記念日に戦争を繰り返さないといいつつ神社に供えものをした」という意味だ。発信したのはロイターだが書いた人の中には韓国人の名前もあり韓国発信だということがわかる。

少なくとも4人の大臣が個人的に、日本人戦死者とともに14名の東京裁判で戦犯になった日本人の戦時指導者を讃える靖国神社に彼らの尊敬を示した。

この言い方は確かにそうなのだが、日本人にとっては違和感を感じる。神社に参拝したことで尊敬を払ったとは言えるが讃えているとまでは言い切れないだろうと思ったからだ。

改めて靖国神社について調べてみると知らないことが意外と多かった。靖国神社には「明治政府から見た逆賊が祀られている」と読める記述と「祀られていない」という記述がある。調べてみると本殿には逆賊を祀らずにわざわざ鎮霊社という別のお社を建てて祀っているそうである。

根底には恨みという日本人独特の考え方があったのだろうと思う。日本人は神の世界でも敵と味方を分ける傾向があるようだ。だが敵も祀る。恨まれるのが怖いので放置はしないのである。

例えばこんな事例がある。千葉神社の脇には香取神社があり千葉神社のお神輿は必ずそこを通って行く。千葉神社の説明によると千葉神社はもともとは香取神社の敷地「神取山」であり、そこに千葉氏が社を建てたそうだ。だから「遠慮して挨拶してゆく」のだという。

おそらくこの説明は嘘だろう。香取神社はそれほど大きくなく見捨てられているようにさえ見える。遠慮しているのではなく、おそらくわざと敷地に建てて支配者が変わったことを誇示しているのだろう。だがあからさまに誇示すると恨まれるのであえて小さな社を建てて「誠意は示している」と言っているのだ。この辺りに日本人独特の屈折がある。

靖国神社の話に戻る。おそらく靖国神社の本殿にA急戦犯を合祀したということは靖国神社がA急戦犯を体制側の人間であると認めたことを意味している。もし靖国神社が敵味方なく英霊を合祀するならば鎮霊社のような社を建てて区別したりはしないはずだ。

おそらく靖国神社をお参りする閣僚の人たちは逆賊のいる鎮霊社にお参りしないであろう。つまり、閣僚たちは明治政体との連続性をアピールしているということは間違いがなさそうである。遺族会の支援を当てにしているものと思われる。だから英文の「to pay their respects」まではなんとなくそうだなと思える。

14人の永久戦犯を讃える(to honer)としてしまうところまでくると誤解されているなあと思う。おそらくこれは神道とキリスト教の文化の違いである。

キリスト教で神に祈るということは神の持っている原理を唯一のものとして認めるという意味になる。つまりキリスト教的な伝統をそのまま当てはめると「日本教」という宗教があり、それは戦争礼賛を含んでいる。なぜならばA級戦犯を肯定しているからである。A級戦犯を肯定しているのは間違いがない。彼らは本殿に合祀されているからだ。だからそれをhonerするという見方をされる。

だが、おそらく日本人にはそこまでの思いつめた気持ちはないだろう。正月に初詣で「その神社の教義に帰依した」と思う人はおそらくそれほど多くない。なんか願いごとが叶えばラッキーくらいにしか思っていない。

ただ靖国神社側としてはA級戦犯を一般戦死者に混ぜ込んでしまったために、一般戦死者が戦争指導者を肯定してなくなっていったと解釈できる余地を作ってしまった。おそらく巻き込まれていやいや亡くなった人や食料の補給路を断たれて死んでいった人たちはこれを良しとしないはずである。日本人はこれを未だに総括していない。なんとなく8月に話題にしてそれで終わりになってしまう。

ところがこれが中国や韓国から非難されたことで「意地でも参拝を止めない」という人が出てきた。このため閣僚のいうこともおかしなことになっている。一方で「静かな気持ちで参拝したい」と主張し「中国や韓国に非難される筋合いのものではない」という。つまり意地になっているのだ。

ただ、ここに軍国コスプレの人が加わって海外に発信されることで「日本は実は戦争をやりたがっているのではないか」などと思われてしまうのだ。Twitterでこの記事をつぶやくとこういう絵になって拡散してしまう。この張り付いた表情からは「戦争への反省なき日本」というイメージしか伝わらない。

こうして日本はますます外国から「反省なき国家」として誤解されることになる。おそらく靖国神社の問題点は形の上では戦争を反省したことになっているのだが心情的には受け入れがたいという屈折した感情だ。ここに「格下の中国と韓国にはとやかく言われたくない」という意地が入り込み自分たちの気持ちがうまく説明できなくなっている。

だが海外は全く別の見方をしている。つまりそれが信念のある崇拝に見えてしまい、結果的に日本の外交オプションを狭めてしまうのである。

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