不思議なことがある。PCR検査が不足して難民が出ているようなのだが「政府の政策のせいだ」という人がいない。気がついているのに知らないふりをしているのかそれとも本当に気がついていないかがわからない。だが遅かれ早かれ誰かがこのことに気がつくだろうと思う。
まずPCR検査が不足している理由を考えたい。理由は二つあるようだ、新型コロナの確定診断をしてしまうと病院の経営に差し障るからという理由と保健所の人手が足りておらず新型コロナが確定してしまうと余計な仕事(濃厚接触者のフローなど)が増えてしまうという理由があるようだ。つまり、病院と保健所がボトルネックになっている。
コロナ対応病院の8割赤字 経営圧迫深刻に―団体調査という記事を読むと、受け入れていない病院も受け入れた病院も経営が圧迫されているそうである。経済が死ぬよりも前に病院が潰れてしまうのではないかとさえ感じられる。
だがコロナ専用病院はなかなかできない。高額の報酬が見込める治療を諦めることなり損だからである。東京都ではコロナ専門病院が9月以降にできるそうだが、おそらくこうなるとPCR検査が必要だと認める医師は増えるのではないかと思われる。
さらに保健所の問題も解消しない。だが国がこれを手当てすることはないはずだ。保健所が効率化されれば検査数は増える。検査数が増えれば費用はすべて国が持つことになる。これは財政を圧迫する。自民党が支持者たちに配れるお金が誰かに取られてしまう。
だが、一部の自治体はこのカラクリに気がついたようだ。自分の地域の保健所業務を効率化して検査体制を増やせば請求書はすべて国に回せる。「なんとかモデル」の中には失敗するものも出てくるだろうが、成功モデルができた時点で他の自治体も一斉に真似をするのではないかと思われる。表向き厚生労働省はこれを止められない。手柄は市区町村長のものになりお財布は総理がなんとかするという図式である。
構造的には保育園と同じである。何かを「無料」に潜在需要が掘り起こされてしまいフリーライダーが増える。日本の場合、政策を立てている人がフリーライダーをかなり警戒していて需要に対して少なめにしか供給しかしない傾向がある。その上、責任の所在がよくわからないので「いつまでたっても足りないし誰に文句を言っていいのかわからない」という状態が続く。だがやがては攻略法を研究する自治体が出てくる。
共有地(コモンズ)の悲劇として知られるありふれた現象だ。日本では「お母さんが「保育園に落ちた、日本死ね」と言ったというような感情的な話にしかならないが、裏では予算ハッキングの飽くなき試みが続く。最近のよい例がふるさと納税である。ルールの改正を試みてハッキングに成功した自治体を排除しようとしたために裁判沙汰にまでなった。
おそらく当初あった「日本ではPCR検査ができるところが少ない」というのは政府の言い訳というか嘘である。私費でできる検査は増えているからだ。拡充すると必要のない人が押し寄せるというフリーライダーに対する警戒心が強いのだろう。政府はできるだけマスクと手洗いで解決してほしい。そのために配ったのがアベノマスクである。「あれで戦え」ということだったのだろう。
だがこの言い訳のせいで議論は見えにくくなり、最終的には厚生労働省利権問題というような陰謀論につながってゆく。さらにハッキングに成功したところからトクをするという変な競争も生まれる。
おそらく日本のPCR検査体制はそれほど脆弱ではない。単に自己責任型に誘導したいだけなのだと思う。6月にはすでに「PCR検査、民間診療所で広がる 「1回4万円」も」という日経新聞の記事を見つけた。新型コロナによって「誰もが安心安全でいられる」というユニバーサルヘルスケアという体制は事実上放棄されている。
国の財政のことを考えると致し方ないのだがとにかく誰もそれを説明しない。おそらく多くの中小企業経営者は「政府はいざとなったら助けてくれない」ということを身をもって学んだはずである。
大企業経営者もバブルの経験から「いざとなったら銀行は助けてくれないし国も何もしてくれない」ということを学んだ。これは銀行不信と法人税回避の流れを作り「失われた10年・20年・30年」の原因になっている。戦後の混乱期を生きた高齢者も政府は信じていない。だからお金を抱えたまま誰も使わない。おそらく、今後中小企業の経営者もこのマインドを身につけるだろう。誰も政府を信じないという社会である。
検査が受けたい時に受けられない。あとは自己責任で感染しないようにするしかない。感染爆発しても国は緊急事態宣言を出さないかもしれない。とにかく身を潜めてどこにも出かけないのが一番である。やったふりのGoToキャンペーンも東京オリンピック幻想も何の役にも立たない。
「検査問題」は今後の経済のV字回復には極めて重要だ。キーになるのは政府や社会への信頼感情勢であるである。社会への信頼は公共の財産であり短期間で作り出すのは極めて難しい。
日本の政治家、特にそのトップにいる安倍晋三総理大臣がどこまで現状を把握しているのかという問題があるのだが、出てきて会見しないのだから、彼が何を考えているのかは誰にもわからないだろう。社会の不安は記者たちの罵声(総理、なぜ記者会見しないんですか)によって総理大臣に直接ぶつけられることになるだろうが、おそらくそれもトーンダウンするに違いない。国は何もしてくれないがそれは仕方がないということを学ぶからである。