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アルマーニの起源

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アルマーニについて見てみよう。今ではバブルの代名詞として知られている。アルマーニだが、成功したのは新しい市場の開拓に成功したからなのだ。信じられないかもしれないが、その成功はどこかユニクロの成功に似ていて、違っているところもある。テキストとして使ったのはジョルジオ アルマーニ 帝王の美学だ。
ジョルジョ・アルマーニは、1975年に自身の会社を興す前に、デパートで働いていた。かつて西武パルコがそうだったように、ミラノの街が外国からの文化を受容する窓口になっていたようだ。同じ時期1967年にファッション雑誌『ウォモ・ボーグ』が誕生した。全てに前例がないので自分たちで作り上げる余地が多分にあったのだという。
アルマーニはその後、セルッティの元で働くようになり、ファッションの基礎を学んだ。そして1975年にゲイのパートナーでもあったガレオッティ(後に40歳の若さでエイズで亡くなる)に促され自身のブランドを立ち上げた。アルマーニ自身は意外な事に針の持ち方を知らないそうだ。つまり彼はテイラー出身ではなかった。リテイラー出身なので「街で何が流行っているか」ということを形にするのが彼の役割なのだ。イタリアにはこうした職業は存在しなかった。後にこういう人たちは「デザイナー」と呼ばれることになる。
アルマーニの特徴は、スーツから彼が余分だと考えるものを除いてゆく「脱構築的」な考え方と曲線を多用したパターンだ。これが体の線を活かした独特なラインを生む。しかし、保守的な人たちの間では1970年代にはオイルショックによる不況もあり、こうした新しいラインは受け入れられなかった。アルマーニを着ていたのは主に俳優やアーティストといった人たちだ。
彼の服はアメリカに渡った。高級デパートで扱われるようになり、1970年代の終わりまでには俳優達が着るようになった。そして1980年のアメリカン・ジゴロでリチャード・ギアが着たことで世界的に知られるようになった。この図式は面白い。アルマーニはしつらえの高級服に手がとどかなった人たち向けに作られている。セレブしか入る事ができないパーティーや映画を通じて「高級感」をアピールしつつも、一般の人たち向けに作られた服なのだ。この「憧れ」がアルマーニの人気の秘密になっている。「憧れ」が続く間、このブランドの人気は保たれるだろう。裏返せば、憧れが消えたとき、ブランドの寿命も終わってしまうことになる。憧れを作っているのは「情報の格差」である。なので、彼らは情報をコントロールしようとする。
アルマーニは確かに高級品なのだが、既製品であることには変わりはない。ハンドメイドの工業製品なのだ。ピエール・カルダンらがこうしたジャンル – プレタポルテ – を作るまでは、服には一般庶民向けの服か、テイラーが作る高級服しかなかった。つまり、プレタポルテの位置づけは新しい「ニッチ」だったわけである。そしてこういったニッチに飛びついたのは、アーティスト、俳優といった人たちであり、この人たちが後にトレンドセッターとなることで、普通の人たちまでがプレタポルテの服を着るようになった。アルマーニは自分の服は飾るための高級品ではなく、シゴトをする人が着るための服だと言っている。(これについては実際に、お店の人にいろいろ聞いてみよう。本当にアルマーニはシゴト服として使えるだろうか?)
新しいニッチの創出が成功に結びついたのは、ユニクロも同じだ。ユニクロの服はパターン化された工業製品だ。かつて、ファッション業界にはこういった考え方はなかった。全ての製品が多様化・個性化に向かう中で、ユニクロだけが部品化・機能化を指向したのだろう。色も形も単純で比較がしやすい。そして「暖かい繊維」といった売り方は電化製品のそれに近い。デザインが多様化してくるとこんどは逆に「何を選ぶのが正解なのか」が分からなくなる。つまりこちらは、情報が多様化し、どこまでも伝わるようになった時代にあったポジションを獲得しているのだ。スペックはニュアンスよりも伝わりやすいのだ。
ファッション雑誌は(雑誌については別の独立したエントリーをつくろうと思っているのだが)新しいデザインを売るためにそれぞれのメッセージを発信する。すると全体としては混乱したメッセージがつくられ、訳が分からなくなってしまう。ユニクロが解決しているのは「一般庶民にも分かりやすいおしゃれさ」だ。ここに、みんなユニクロを着ているという第三者のメッセージや家族の情報が加わることで、ユニクロが正解なのだと思わせるような空気が生まれたのだと思われる。
ユニクロを見ていて面白いなと思うのはこうしたニッチが意図して作られた訳ではないという点だ。多分正しく認知もされていないし、柳井さん自身もこういう認識はしていないのではないかと思われる。その証拠にユニクロはジル・サンダーと組んだ服を作ったり、アーティストと組んだTシャツなどを発表したりすることがある。マーケティングとしては面白そうだ。
さて、ユニクロは最初から工場から流通・マーケティングまでを一環してカバーしているが、アルマーニはそのようなやり方を取らなかった。最初はGFTという会社を通じて流通を行なう。SIMのような会社と提携して品物をつくってもらっていた。そしてライセンスという比較的新しいやり方を通じて、各地のデパートに品物を卸していた。成長するに従って、アルマーニはいくつかの拡張戦略を取る。一つはこうした流通や製造の過程を自前化することだ。ジーンズやカジュアルラインを作っているSIM(現在はSIMINT社)は、1989年に20%の株式をアルマーニ社に取得され、1994年までには90%以上の株式がアルマーニに保有されている。日本にアルマーニを持ち込んだのは伊藤忠商事だった。主にデパートで売られていたのだが、直営のショップが出来始め2000年代に入ると銀座にアルマーニタワーが作られた。
もう一つの成長戦略がラインの拡張だ。イタリア軍人に服を着てアマチュアモデルになって貰ったことから軍服などにインスパイアされエンポリオ・アルマーニが作られる。ビジネスマン向けにコレッツィオーネが出来る。そして若年向けにアルマーニ・ジーンズや、A|Xといったブランドが立ち上げられた。最後には、ホテル、スパ、家具などと多角化路線を突き進んでいる。
ユニクロが柳井正さんの強烈なリーダーシップによって支えられているように、アルマーニも、パートナーの死後はジョルジョ一人が支えている。評伝には彼の「病的」ともいえるコントロールについての記述がある。ファッションショーに使われる素材はすべて本社から送られ、全ての最終判断はジョルジョが行なう。コンセプトはジョルジョの頭の中にしかないのだ。部下を叱責する姿は、例えばアップル社のスティーブ・ジョブズを思わせる。部下は完全に「手足」となることが期待されるのだ。つまりこれは同時に彼らが死んだ後、ブランドの行く末に問題を抱えているということになる。
さて、情報という観点からまとめてみよう。アルマーニのようなデザイナーズブランドは、選ばれた人たちの物でしかなかった情報を小出しに一般に流出させることで裁定取引(アービトラージ)の機会を作り出していた。しかしユニクロはアービトラージがなく、かつ情報の取捨選択が難しい状況で選ばれやすい服を市場に提供している。背景には情報価値の暴落(情報のデフレ)がある。だからユニクロを模倣したい企業は、その安さを分析するのではなく、企業がどのような情報環境でどんな情報を提供しているのかを分析すべきだろう。