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文字の発明と広がり

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地球上で文字が発明されたのは数回しかないそうである。現在数千あると言われる言語で文字を持っている言語は数百しかなくそのうち広まっているものはフェニキア文字系のアブジャド・アルファベットと中国系の漢字しかない。これを「文字の歴史」という本を読みながらおさらいしてみたい。いつもは政治ネタについて書いているのだが突然文字を扱うのは実は文字の広がりと国家はつながっていると思うからである。

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現在見つかっている文字の最初のものは粘土板に書かれた記録だった。楔形文字というそうである。単なる記録用の記号が漢字のような表意文字になりさらに表音文字も含まれることとなる。楔形文字はかなり複雑な体系だった。

もともとは膠着語のシュメール語の文字としてた楔形文字だがアフロ・アジア語族のアッカド語に取り入れられた。シュメール語とアッカド語は言語構造が異なっている。中国語と日本語のような関係である。アッカド語話者はシュメールの文字を「訓読み」もしたそうだ。

こうした文字体系が広がっていったということは「国家が財産を管理する」という体系が広がっていったことを意味している。またハンムラビ法典からもわかるように、国家が何をやっていいか、やってはいけないかを決めることで権威を高めていった。ハンムラビ法典は発見された世界で二番目に古い法典だそうだ。一番古い法典は「ウル・ナンム法典」というシュメール語で書かれた法典である。つまり、周辺の国はシュメールから文字だけではなく国家制度の基礎も学んだのである。

日本は中国から文字と国家制度を学んだが中国とは別に進化した。しかしアッカドはシュメールの都市国家を吸収し帝国になった。このためシュメールは言語として残らなかったと言われている。

さらに楔形文字系の文字は一旦は周辺世界に広がったものの現在に生き残ることはなかった。現在のアルファベットの元になったのはアフロ・アジア語族のエジプト語を記述したヒエログリフ体系だ。これも表意と表音のセットだったのだがそこから民衆が使う文字が生まれ表音が生き残ってフェニキア文字になった。そこからアラム語のアルファベットが作られヘブライ語やギリシャ語に広がってゆく。

文字は国家制度と一緒に広まることがある。これを「官僚系文字」と言おう。だがこれとは別の広がり方がある。通商のために広がることがあるのだ。これは「ビジネスマン系文字」と言える。フェニキア文字は実利的なビジネスマン系文字である。

ビジネスマンは「難しいことはわからないがとにかく意思疎通がしたい」わけで、単純な表音文字体系だからこそ他言語間のコミュニケーションに生かされたに違いない。アフロ・アジア語は子音優勢の言語だったので母音記号がなかったのだがギリシャ語で母音記号が発明された。結局競合する二つの文字体系のうち生き残ったのは単純な方だった。

楔形文字・ヒエログリフとは全く違った経緯をたどったのが漢字である。漢字はもともと占いの結果として生まれたのだが、そのうちに官僚組織維持のための文書基盤になる。その意味では楔形文字・ヒエログリフ・漢字は「官僚系文字」である。

中国には同じ系統の発音が違う言葉を話す人たちがたくさんいるが、漢字によって文語体系が共通化されることで「中華圏」という共通の文化圏が生まれた。漢字の広がりは中国の官僚制度の広がりに関係がある。中国の諸言語は意思疎通ができないほど違っているのだが、中国語(漢語)という一つの言語として成立しているのは書き言葉としての漢字が発達しているからである。

漢字は異なる言語体系を持つ周辺の日本語や朝鮮語を話す人たちにも受け入れられたのだがそれぞれ別の体系の文字を派生させた。日本語も朝鮮語も膠着語なので漢字だけを使って書き表すことはできなかったからである。日本人は優れた国家制度と文化を文字を通じて輸入することに成功した。

このため日本語は世界でも有数の古い文字体系と自分たちが固有に作り出した音節文字を組み合わせるという世界でも類を見ない複雑な書き言葉を今でも使っている。我々が仏教と国家システムを中国から輸入してから後の記憶を保持できるのはおそらく中国から習った通りの文字を使い続けているからだろう。そしてそれは寺子屋制度を通じて一般の人たちにも広く用いられた。西洋は表音文字だけが生き残ったが、日本は中国から表意文字を受け継ぎ表音文字(実際には音節文字なのだが)も発明し、今もそれを保持し続けている。

ヒエログリフと楔形文字は一旦忘れられてしまう。それが現代によみがえったのは古代と近代が極めて細い糸でつながっていたからである。エジプト語は祈りのための言葉としてコプト語が保存されておりそれを手がかりに解読が進んだ。楔形文字はペルシャに受け入れられていたのだがペルシャ語そのものは生き残っており王様の名前から解明が進んだそうである。

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